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レーヴァルト戦記 ~最弱のコピー能力が別の魔法に化けるので、恩人の領主を守るために戦います~  作者: 深夜のトースト
第4章 灰色の城の囚われ人

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第10話 帝国の内側

翌朝。


鍵束の音が、朝の配膳と一緒に、廊下を通り過ぎていった。


チャリ、チャリ、チャリ。


看守が、鉄格子の隙間から、木の椀を一つずつ押し込んでいく。薄い麦粥。硬いパンが一切れ。


雷夕の牢の前で、看守は、ちらりと雷夕の顔を見た。


何も言わなかった。

ただ、椀を押し込んで、次の牢へ。


チャリ、チャリ。


音が、角の向こうへ遠ざかっていく。


「――行ったね」


向かいの牢から、ヨアヒムの声がした。


昨夜とは、違う声だった。


穏やかさは、変わらない。けれど、その奥に、何か、一本の芯のようなものが通っていた。


「話をしよう、雷夕殿。――時間が、あまりない」


*


ヨアヒムは、鉄格子の前に座っていた。


痩せた背中を、まっすぐに伸ばして。


昨夜、顔を覆って肩を震わせていた男と、同じ人間とは思えなかった。


「まず、聞かせてほしい。リヴァールは、なぜ、ここに私がいると知ったのか」


雷夕は、話した。


イヴァルキアの国境の盗賊の、廃坑のアジト。

財宝の箱の底にあった、国境軍の移送記録。

焼けた半分と、符牒だらけの残り半分。


ベルリアの焦土の将の、天幕の鉄の箱。

北への護送路の、地図。


新月の、布告。


ヨアヒムは、黙って聞いていた。


時折、小さく頷きながら。

リヴァールの名前が出るたびに、ほんの僅かに、目を細めながら。


*


「――そうか」


話を聞き終えて、ヨアヒムは、長く息を吐いた。


「あの子は、ずっと、探していたのか。……騎士団を抜けてまで」


「ああ」


「馬鹿だね」


声が、少しだけ、震えた。


けれど、ヨアヒムは、すぐにそれを押さえ込んだ。


「――では、今度は、私の番だ。あなたは、帝国の中のことを、どれだけ知っている?」


*


雷夕は、少し考えた。


「……帝国が、強い。魔法の兵が多い。イヴァルキアとか、カランドとか、周りの国を呑み込もうとしてる」


「それから?」


「強硬派ってのがいる。ディートリヒって奴は、そうだった。民間人ごと町を焼いて、平気な顔してた」


「それから?」


「……アルブレヒトって将とも、戦った。あの人は、違った。民間人には手を出すなって命令して、焼け残った家の戸を、全部閉めて帰っていった」


ヨアヒムの目が、僅かに見開かれた。


「アルブレヒト・フォン・リンデン?」


「知ってるのか」


「名前だけは。――そうか。リンデンが、そう動いたか」


ヨアヒムは、何かを確かめるように、小さく頷いた。


「それから?」


「……それくらいだ」


*


ヨアヒムは、しばらく黙っていた。


それから、鉄格子の前の床の埃の上に、指で、線を一本引いた。


「帝国の中には、大きく分けて、二つの流れがある」


線の左側に、点を一つ打つ。


「一つは、先代の皇帝の意志を継ぐ、と言う者たち。大陸を、武力で一つにする。それこそが帝国の使命であり、先代の遺志だ、と。――強硬派と呼ばれている。その中心にいるのが、ヴォルフガング・ガルドヴァールという男だ」


「ガルドヴァール……帝国の名前と、同じ」


「そう。帝国の名を持つ男だ。――今、帝都の中枢は、ほとんど、彼らが握っている」


指が、線の右側に、もう一つ点を打った。


「もう一つは、戦を終わらせたいと願う者たち。武力で呑み込むのではなく、周りの国と、言葉で手を結ぶ道を探している。――和平派、と強硬派は呼ぶ。我々は、自分たちを、そう呼んだことはないけれどね」


*


「我々、って」


「私も、その一人だった」


ヨアヒムは、床の右側の点を、指先でそっと撫でた。


「表に立つことはなかった。私の役目は、繋ぐことだった。帝都の中で和平を願う役人たちと、軍の中で同じことを願う者たちとを。――手紙を運び、言葉を運び、人と人とを会わせる」


「……リヴァールの上官だった頃も?」


「騎士団にいた頃から、ずっとだ。あの子は、何も知らなかったけれどね」


ヨアヒムは、少しだけ、寂しそうに笑った。


「知らせたくなかった。知れば、あの子も、こちら側に来てしまうから。――結局、来てしまったようだけれど」


*


「そして」


ヨアヒムの指が、床の右側の点の、すぐ隣に、もう一つ点を打った。


「軍の中で、和平を願う者たちの、中心にいる男がいる」


雷夕は、その点を見下ろした。


「ジークフリート・フォン・アーレンス」


ヨアヒムの声が、ほんの僅かに、柔らかくなった。


「若いが、帝国で一番の騎士だと、誰もが言う。強硬派ですら、彼の剣の腕と、その家柄には、手を出せない。――だから、彼は、まだ表に立っていられる」


一拍。


「……私の、剣の弟子だ」


*


雷夕は、ヨアヒムの顔を見た。


痩せた頬。削げた顎。

それでも、その名前を口にした時だけ、ヨアヒムの目に、ほんの少しだけ、誇らしげな光が灯った。


「あの子が十二の時から、剣を教えた。リヴァールより、ずっと前だ。――最初に教えたことは、リヴァールと同じだったよ」


「剣の振り方より先に、剣を振らずに済ませる方法を考えろ」


雷夕が言うと、ヨアヒムは、目を丸くした。


それから、くしゃりと笑った。


「……あの子は、そんなことまで、あなたに話したのか」


*


「――なんで、戦争なんかしてるんだ」


雷夕は、床の二つの点を見下ろしたまま、言った。


「戦を終わらせたい奴が、帝国の中にもいるなら。なんで、イヴァルキアにも、カランドにも、ベルリアにも、攻めてくるんだ」


ヨアヒムは、しばらく、答えなかった。


それから、床の線を、指で、ゆっくりとなぞった。


「強硬派が、帝都を握っていられるのは――戦に勝ち続けているからだ」


「……」


「勝ち続けている限り、民は、強硬派を支持する。版図が広がれば、税が入る。兵の手柄が、民の誇りになる。――逆に、戦が止まれば、民は、なぜ戦をしていたのかを考え始める。強硬派は、それが一番怖い」


ヨアヒムの声は、静かだった。


「だから、戦を止められない。止めれば、和平派に、帝都を奪われるかもしれないから。……あなたたちの国が攻められているのは、半分は、帝国の中の、権力争いのせいなんだよ」


*


雷夕は、何も言えなかった。


シュテルン村の焼けた家々。

レイフ砦の崩れた外壁。

ベルリアの北門で燃えた、四人の自警団。

カランドの国境の町。


その全部が――半分は、帝国の中の、誰かと誰かの、争いのせい。


(……ふざけんなよ)


拳を、握りしめた。


けれど――怒りは、ヨアヒムに向けるものではなかった。


「……和平派が勝ったら、戦は終わるのか」


「終わらせる。――少なくとも、ジークフリートは、そのつもりだ」


ヨアヒムは、まっすぐに、雷夕の目を見た。


「だから、私は、ここで死ぬわけにはいかなかった。あの子に、まだ、伝えていないことがある。帝都の中の、誰が味方で、誰が敵か。――この五年、ずっと、それだけを考えていた」


*


隣の牢で、エルザが、身じろぎする気配がした。


「――先生」


静かな声だった。


「先生は、ここを出たら、その、ジークフリートという方のところへ、行くんですか」


ヨアヒムは、少しだけ、黙った。


「……ああ。そうしなければならない」


「――そう、ですか」


エルザの声は、それきり、途切れた。


雷夕は、石の壁の向こうの、見えない少女のことを思った。


(――海を、一緒に聞きに行こう、って)


昨夜、エルザが話してくれた。

先生が、五年間、何度もそう言ってくれたのだと。


*


しばらく、誰も、何も言わなかった。


松明が、じじ、と鳴った。


「……でも」


雷夕は、ようやく、口を開いた。


「出られなきゃ、何も始まらない」


両手を、見下ろす。


手首の、目に見えない錠。


「劣化が、使えない。鍵を掛けられた。壁の外に出ても、典獄長が開けない限り、開かないって。――俺の力も、リヴァールの力も、ここじゃ何も使えない」


ヨアヒムが、眉を寄せた。


「……劣化?」


「俺の固有スキルだ。見た相手の力を、劣化させて写す。どう化けるか、分からない」


ヨアヒムは、何かを考えるように、黙り込んだ。


*


「――ライトさん」


隣の牢から、エルザの声がした。


さっきとは、違う声だった。


迷っている声だった。

言うべきか、言わないべきか。ずっと胸の奥にしまってきたものを、取り出すべきか。


「……一つ、聞いてもいいですか」


「何だ」


「昨日の夕方。ライトさんが、鍵の間で、鍵を掛けられた時」


「……ああ」


「何か――感じませんでしたか」


*


雷夕は、眉を寄せた。


「感じたって……劣化が、閉じ込められた感じは、した」


「その前です」


エルザの声が、少しだけ、強くなった。


「鍵が、手首に触れた、その瞬間。――ほんの、瞬き一つほどの間。何か、胸の奥で、身じろぎしませんでしたか」


雷夕は、記憶を辿った。


冷たい鍵の先。

手首に、そっと当てられた感触。


――カチリ、という音。


その、直前。


(……あった)


ほんの、一瞬。


閉じ込められる、その直前に。


劣化が、何かに気づいたように――身じろぎした、気がした。


ほとんど、錯覚だと思って、気にも留めていなかった。


*


「……あった、かもしれない」


雷夕は、ゆっくりと言った。


「気のせいだと思ってた。でも――」


「気のせいじゃ、ありません」


エルザの声が、震えていた。


「典獄長が、誰かに鍵を掛ける時。――その瞬間だけ、他の全員に掛かっている封が、緩むんです。ほんの一瞬だけ。瞬き一つほどの間だけ」


向かいの牢で、ヨアヒムが、息を呑んだ。


「……エルザ」


「ごめんなさい、先生」


エルザの声が、掠れた。


「三年前に、気づいていました。新しい人が来るたびに、自分の力が、ほんの一瞬だけ、戻ってくるのを。――でも、言えませんでした。言っても、どうにもならないと思ったから」


*


ヨアヒムは、しばらく、何も言わなかった。


鉄格子を握りしめたまま、石の壁の向こうの、見えない少女の方を見つめていた。


「――三年」


ようやく、ぽつりと言った。


「三年も、一人で、抱えていたのか」


「……はい」


「どうして、言ってくれなかった」


「言ったら――先生が、何かしようとすると思ったから」


エルザの声は、静かだった。


「一瞬だけ力が戻っても、ここからは出られません。でも、先生は、きっと、その一瞬で何かをしようとする。……そうしたら、先生が、罰を受けるかもしれない。だから」


*


ヨアヒムは、目を閉じた。


長い間、そうしていた。


それから、目を開けて――静かに、笑った。


「……私は、良い先生じゃなかったね」


「そんなこと――」


「生徒に、そんなことを心配させるなんて」


ヨアヒムは、鉄格子に額を押しつけた。


「ありがとう、エルザ。――三年間、守ってくれて」


壁の向こうで、エルザが、小さく嗚咽を漏らす気配がした。


*


雷夕は、黙って、二人のやり取りを聞いていた。


それから、自分の両手を、もう一度、見下ろした。


(――一瞬だけ、緩む)


典獄長が、誰かに鍵を掛ける時。


その一瞬だけ、封が緩む。劣化が、戻ってくる。


そして――。


エルザの力も、戻ってくる。


触れた人の力を、大きくする力。


(劣化と、増幅――)


頭の中で、何かが、カチリと噛み合った気がした。


「……エルザ」


「……はい」


「その一瞬に、俺の手に、触れられるか」


壁の向こうで、エルザが、息を呑んだ。


「――え?」


「一瞬だけ戻ってきた劣化で、典獄長の封を写す。封は、その時、典獄長が使ってる最中の力だ。写せるはずだ。――でも、一瞬じゃ、たぶん、劣化は細い糸みたいにしか出ない」


雷夕は、鉄格子の隙間から、石の壁の方へ、手を伸ばした。


「その細い糸を――お前の力で、大きくしてくれ」


*


長い、長い沈黙だった。


やがて、石の壁の向こうから――細い手が、一本、伸びてきた。


白い手だった。


その指先が、鉄格子の隙間で、雷夕の指先に、そっと触れた。


冷たかった。


けれど、震えてはいなかった。


「……やって、みます」


エルザの声は、小さかった。


けれど、確かだった。


「八年間、ずっと、この手の中にあったものを。――一度だけ、使ってみます」


向かいの牢で、ヨアヒムが、静かに目を閉じていた。


祈るように。


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