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きみの描く雨が、僕のセカイを塗り替える  作者: あるふぁ
第1章:モノクロのセカイに落ちた、一滴の雫

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7話 二つのセカイの摩擦音

♢不器用な肯定(2)


 しかし、デスクの椅子に深く腰掛けた錬慈は、驚くことも、軽蔑することもなく、ただ窓の外の雨を眺めるような平穏な瞳で彼女を見つめ返した。その穏やかな眼差しは、彼女の告白をただの事実として受け止めていた。


「そうなの? 別に良いんじゃないのか。高校に行きたくない理由もあるだろうし、つらい思いをして高校に通って高校を卒業しても、しなくても人生、そんなに変わらないと思うけどな。だったら、ムリして高校に通わなくても良いんじゃねーのか……」


 錬慈の低い声音は、激しい雨音に溶けるように穏やかだった。彼の脳裏には、かつて、頑張れ、という言葉で追い詰めてしまった高校時代の友人の顔が、一瞬だけ去来していた。届かなかった後悔が胸の奥をかすめる。だからこそ、彼は世間の正論を彼女にぶつけることを明確に拒絶する。


「ま、一流企業に就職をしたいなら必要かもしれないけどな。……でもさ、高校よりも、自分がやりたいことを見つける方が、ずっと大切だと思うぞ。高校卒業しても、やりたいこと、好きなことを見つけられずになんとなく生活を送ってるヤツより良いと思うけどな」


 錬慈は、首の後ろを少しだけガシガシと掻いた。それは彼が真剣に言葉を選び、内なる本音を吐露している時の癖だった。ぶっきらぼうでありながらも、そこには彼女の存在を丸ごと肯定するような、不思議な温かさが宿っていた。



♢聖域の打鍵音


「何か好きなことないのか? やりたいこととか……。というよりも、もっと気楽に考えろって。まだ若いんだしな! 高校に行かなくたって死にはしない。まあ、親には怒られる程度だろ。少しは凹むかもしれないけどな」


 結乃は、ぶかぶかのスウェットの膝をぎゅっと抱きしめ、錬慈の言葉を一つも漏らさないように聞き入っていた。

 今まで誰からも掛けられたことのない、自分を否定しない言葉。それが、冷え切っていた心の奥底にじわりと温かい絵の具を落としていくような不思議な感覚だった。張り詰めていた胸の痛みが、その温度で少しずつ融解していく。


「実際、中卒や高校中退だから働けないって事はないし、同じ職場で同じ給与で働いてる事もあるぞ。高卒してないと取れない資格や、出来ない仕事があるのも事実だけどな……」


 錬慈は一度言葉を切り、リビングのオレンジ色の照明の下で、まっすぐに彼女の瞳を捉えた。その飾らない双眸には、憐れみも誤魔化しもない、ひどく純粋な誠実さが宿っていた。


「自分のやりたい事に関係なかったら、みんなが高校に通っているからといって、苦しんでまで高校にこだわらなくても良いと、俺は思う」


 その言葉は、結乃にとって世界で初めて与えられた、逃げ場の肯定だった。学校に行かない自分は異常で、価値のない人間なのだと思い詰めていた絶望の淵から、彼は静かに手を差し伸べてくれた。


 錬慈はそれ以上深く詮索せず、キーボードの前に手を戻した。


「さて、俺は仕事するから。君は適当にくつろいでなよ」


 そう言い残すと、彼はいつものようにパソコンに向かってファンタジー小説の執筆を始めた。

 カタカタ、とキーボードの規則正しい打鍵音が静かな室内に響き渡る。スイッチが入った瞬間に、彼の纏う空気が不器用な保護者から、プロの表現者へと鮮やかに変質する。その真剣な横顔には、先ほどまでの気だるさはなく、ただ自身の描く世界へと没頭する静かな熱量が満ちていた。


 規則正しく刻まれるその音は、もはや彼女を追い詰める現実の足音ではなかった。窓の外で降り続く激しい嵐から、この部屋という聖域を護るように包み込む、もう一つの優しい雨音のように、結乃の耳に心地よく響いていた。



♢二つのセカイの摩擦音


 リビングの絨毯の上に、結乃はちょこんと膝を抱えて座り込んだ。

 錬慈の貸したスウェットの裾が大きく余り、白く細い足首を完全に覆い隠している。彼女は自分のスクールバッグのチャックをそっと開け、使い古されて角が少し擦り切れたスケッチノートと、一本の鉛筆を取り出した。指先についたココアの香りが、微かにノートの紙へと移る。


 そこから、奇妙な時間が始まった。


 室内に響き渡るのは、錬慈が凄まじい集中力で叩き出す、小気味よいタイピングの音。


 カタカタ、カカカッ、――ッターン。


 一定のリズムを刻みながら、時折、改行のキーが力強く弾かれる。それは彼が紡ぐ魔法や騎士たちのファンタジーの世界が、原稿用紙の上で着実に一歩ずつ組み上がっていく、力強い足音のようでもあった。液晶画面に向かう彼の背中は、どこか現実から遠く離れた戦場にいるかのように張り詰めている。


 対して、結乃は暖かな絨毯の上にうつ伏せになり、ノートを大切そうに抱え込むようにして鉛筆を走らせた。


 サッ、ササ……サッ。


 カサついた紙の上を黒鉛が優しく滑る、微かな摩擦音。彼女の細い手元で、形にならない心の叫びや、言葉にできない繊細な感情が、滑らかな美しい線となって具現化していく。

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