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第1章-1 秋名のダウンヒル、再び

Alliance for Intelligent Combustion Engineeringという、内燃機関車向けの部品を扱う会社による業界団体がある。

略称AICE、アイスと発音されるのは、命名者の意図したものであったろう。


大きな業界では無いが、旧車の保有者は社会的地位が高い者も多く、目立たないが実は社会的影響力がある、という評価を一部の筋からは受けていた。

3Dプリンターの高性能化、普及により、旧車を維持するコストは、啓介が現役で走っていた時代とは比べ物にならないほどリーズナブルになって久しい。

彼自身の会社、TKマッハコーポレーション、TKMCまたはMCと呼ばれることが多いが、その主力もまた、旧車用部品であった。

業界内では、やや高めの価格設定ながら、高い精度を考慮すればむしろ良心的、と評されることが多い。

AICEが大きく成長する中で、創立メンバーである彼の会社は、一貫して旧車ドライバーたちの心情を理解し、良い部品を供給する、異様に現場寄り、走り屋寄りの存在であった。彼自身の公道ランナーとしての経歴、ライバルたちの要望、がそのコアコンピテンスであったが、今となっては大きな声で吹聴できることでもない。




今年のAICE総会の会場は、秋名レイクビューホテルであった。

その名前は、啓介にとって、青春時代の記憶の中で、周辺部ではあるが忘れえないものであった。

秋名のハチロク、拓海のホームコースの頂上にあって、拓海が豆腐を運んでいた、ホテル。


そんな話題が出たときに、彼の兄が言った。


「啓介、知っているか?

あのホテルの豆腐は、未だに藤原とうふ店らしいぜ?

藤原の親父さんが運んでいるらしい。

相変わらず、豆腐配達の帰り道のダウンヒルは、幽霊みたいな飛ばしっぷり・・・だとか」


その息子の豆腐配達帰りのダウンヒルに遭遇したのは、もう30年ほども昔のことになる。

あのときのパンダトレノの速さは、異常だった。幽霊みたいな、と最初に評したのは自分自身だった気もする。


「マジ、かよ・・・あのオッサン、70歳以上限定だったら、世界一速いんじゃねえか?」 


「いや、普通にお前より速いだろう」


「馬鹿抜かせ・・・」

啓介の声が小さくフェードアウトし、目が泳ぐ。正直、勝てる自信は全くなかった。

久しぶりに、豆腐を配達後のダウンヒル、追っかけてみるか。親父さん、俺の黄色のFDみて驚くだろうな・・・ 尊敬する老ダウンヒルスペシャリストの細い目を思い出して、啓介はチェシャキャットじみた、悪童じみた笑顔を浮かべた。




啓介は知らなかった。

AICEの総会が、秋名で行われることになった理由も、その演出が仕掛けられた背景も。

彼は、何も知らず、ただ尊敬する老ドライバーとの再会を期待して、パーティの飲食を控えめにして、早々にベッドに入った。




翌、早朝。

スマホのアラームが鳴る2分前に、啓介は目を覚ました。この男、走る気満々である。

(※アラフィフ、年商50億円の企業のCEOです)

彼が熱いシャワーを浴びている頃に、スマホが誰も聞いていないアラームを鳴らす。

雑に体をぬぐって服を着て、ようやくスマホのアラームを停める。AM4:03。


ご苦労なことに、深夜にも稼働しているエレベーターに乗り、一階に降りる。

初夏ではあるが、外気はまだ涼しいよりも冷たいくらいだ。

愛車、黄色のFDのキャビンに体を収め、キーをひねる。AM4:11。


ライトを点灯せずに待つこと数分、今時珍しい内燃機関の音が遠くから響いてくる。

いい音だ・・・啓介は嬉しくなった。いい音を奏でる自動車は、ロータリーでなくても、啓介を喜ばせる。この際GT-Rでも許す。

いい音、出してんなあ。オッサン、車の使い方、うまいからなあ・・・

啓介は、配達を終えた、小さな白黒のクルマが通り過ぎるのを待って、彼のFDを出した。AM4:22。


すぐに気づく、違和感。

「暗かったからはっきり見えなかったが・・・あの車、なんだ?

あんな小さなオープンカー、あったか?

藤原とうふ店って書いてあったと思うが、オッサンのスバルじゃなかった。パンダだけどハチロクでもねえ。

外見は兄貴のFCに似ていたが・・・」


その小さな車は、決して速くは無かった。しっとりした、地面に吸い付くような穏やかな走り。速くはなくとも、只者の走りではないことが一目瞭然。

ま、いいか、追い付けばわかるだろう。


FDとの差が見る見るうちに縮まる。車高は第一印象より、さらに低い。米国の規制をクリアできないのではないかと思わせる低さだ。

ライセンスプレートは横長で藤色の縁がついた、所謂MFGプレート。頭文字はX、その後に4桁の数字が続く。Xナンバー・・・試作車か!

どこの世界に豆腐を運ぶ試作車がいるというのだ!

いや、ここに確かにいるわけだが。


早朝、かわたれ時の木々の下、沈む闇の中に浮かび上がる白い車体。まだ暗く、加齢からくる視力の低下から免れていない啓介の目には、その車の情報は多くは届かない。

音は・・・エンジン音は・・・ロータリーでは無いのは間違いない。

レシプロ。

レシプロでもこの音は・・・ストレートシックス?

まさか、いや、間違いない!

こんな小さな車に、直列六気筒、だと?そんなふざけた車があるのか?


アクセルを踏み込み、抜きにかかる。

並走し、ちらりと運転手を見やった先、座っているのは・・・まさか、いや、見間違えようがない。啓介がライバルと思ったただ一人の男。拓海!?


並走は一瞬だった。

緩やかに走るその車を、FDは一瞬でパスする。リアヴューミラーの中のヘッドライトが、少し小さくなる。

続く瞬間、啓介は珍しく迷う。

車を停めて話をするか?

頭を一つ振ってその思いを振り払う。そんなのは後でいい。今は、拓海が駆るあの車と走ってみたい。

拓海が駆る以上、その車は面白いものに間違いなかった。


パッシングをする。ついて来いよ!

FDが猛然と加速する。

一瞬、小さな車は引き離される。出力は大したことが無いようだ。

軽くて低くて、走っていて楽しいだろうが・・・涼介の超絶の分析能力には遠く及ばないが、啓介の耳にも、その車が決して大排気量では無いとわかっていた。


だが、それはまさしく一瞬のことだった。

パッシングで応えた拓海車のまとうオーラが変わる。

目に見える変化は、可変エアロがリフトしたことだけで、それも先行する啓介の目にはわずかにしか届かない。

しかし、その車は、エンジン音が変わり、車高が下がり、一瞬前とは別物に化けていた。

エンジン音の中に、低デジベルながら甲高いモーター音が混ざる。

啓介の経験に無い、急加速。急でありながら、恐ろしいほどにスムースだ。

その切れ味に、背筋を戦慄が走る。


なんだ、こりゃ?


一瞬の硬直。アクセルにかける力がわずかに弛緩する。

その刹那、拓海車がするりと並び、ありえないほどのスムースな回頭を示して、FDを抜いて行った・・・超低速カーブに、キンコン、キンコンという間抜けな警告音を響かせて。

30年前の記憶がフラッシュバックしたかのような一幕であった。


「MFGプレート」とは、富士山復興目的で制定された特例措置法に基づいて発行された特殊ナンバーです。EVだらけになってしまった世の中、被災地での活動に必要な内燃機関車が不足を極めたため、条件付きで改造車、試作車などを走行可能にした法律、という設定です。独自設定ですが、原作の社会情勢に鑑み、実際に似たような法律があった可能性は高いと思います。

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