03話 セッション開始
ガチャ、と音をたててリクは玄関の扉を開く。
「ったく、あんま待たせないでくださいよ」
ドアの向こう側に立っていたのは、やはりというべきか、あの男だった。
蒼井詠人――昨日、公園で半ば強引に名刺を押しつけてきた、あの金髪の青年。
待ちくたびれていたのか、表情にはわずかな不機嫌さが滲んでいる。もっとも、彼の場合は機嫌の良し悪しとは別に、元々の人相がかなり悪い。そういう損な顔立ちをしていた。
「んじゃ、1800円になりまーす」
エイトが愛想良く代金の請求をする一方で、リクは口を噤ませていた。顔を俯かせるように逸らしたまま、ただ手元だけを差し出して代金を渡そうとする。もちろん、視線は合わせないように。
昨日からの見知った仲ではなく〝客と配達員〟として、この場をやり過ごしたい一心だった。
「おっ……てかリクじゃん。オマエんちここだったんだな」
(くっ……!)
だが拍子抜けするほどに軽い調子で、あっさりとエイトに気付かれてしまった。
リクの容姿は客観的に見て、どこにでも居そうな平凡な男子高校生だ。身長も平均ほどで、髪も長すぎず短すぎずな程度。高校一年生らしく、幼さの抜け切っていない顔立ちにこれといった特徴や個性はほぼ無かった。
だからこそ、気付かれずに済むのではと、あわよくば思っていたのだが――
(さすがに、昨日出会ったばかりの人の顔を忘れるわけなんてないよね……そもそも顔を逸らした程度じゃ無理があるし)
悔やみつつも、仕方ないと観念するリク。
ただ、正体と住所がエイトに知られたからといって、今の二人の関係は単なる客と配達員でしかない。気まずさは残るだろうが、普通に代金を支払った後に帰ってもらうだけでいいのだ。
(それに、次の配達が控えてるだろうし、僕の家に長居なんて出来ないはず――)
「――にしても、ド平日のド昼間っから出前たぁ、いいご身分じゃねえか。ま、今どきは不登校だって珍しくはねえか」
不意打ちのようなタイミングにて放たれたその軽口に、リクは肩をぴくりと揺らす。
「お、もしかして図星だったか? だとしたら悪ぃな」
謝罪の体を成してはいるが、微塵も悪びれた響きも様子も窺えない。
リクは反論代わりに少し睨むような目を向け、黙って商品を受け取る。そして代金を押し付けるように渡し、リビングへと踵を返していった。
「おいおい怒んなよ、冗談だっての」
『さっさと帰れ』と背中で訴えを浴びせ続けるリクに対し、エイトは代金を財布にしまい込んだあと、なんの躊躇もなくスニーカーを脱ぎ始めた。次の瞬間には、まるで昔から出入りしている友人の家にでも遊びにきたかのような気安さで、ずかずかと廊下に踏み込んでくる。
「え、ちょっ……待っ……」
土足ではない。ないのだが、そういう問題ではない。
人の心にずかずかと入り込んでくるだけでは飽き足らず、他人の家の敷居まで平然と跨いでくるなど、もはや非常識というレベルを通り越している。
心療士という肩書きが本業だったのか、あるいは今は配達員としての顔なのか、その線引きすらも曖昧だ。どちらにせよ、リクは呆気にとられることしかできずにいる。
(な、なんなんだこの人……)
「へぇ、結構良い家に住んでるんだな。ここ分譲だろ?」
リクが唖然と立ち尽くしている間にも、エイトはお構いなしにと部屋の中をキョロキョロと見回している。遠慮という概念をどこかへと置き忘れてきたかのような無法ぶりを遺憾無く発揮した彼はもう、限りなく不審者に近い。
「大丈夫だって。何かするつもりはねぇしすぐ帰るっての」
いや、既にもう不法侵入はしているだろう――と、喉元まで出かかった指摘を、リクはどうにか呑み込んだ。このまま黙ってスマホを拾い、すぐに通報することも可能ではある。ただ、彼の行動には一つだけ違和感があった。
「てか、バーガー食えよ。冷めると味も落ちちまうぞ?」
(本当に、本当に無茶苦茶な人なんだけど……やっぱり悪い人には見えないんだよな)
――そう、悪意が全く感じられないのだ。
昨日知り合ったばかりだというのに、彼には竹を割ったような、ある種の豪快さと率直さがあった。気安くて、雑で、図々しい。そのくせ、妙に親しみやすくもあり、薄っぺらさのない頼りがいまで感じさせる。
確かについ先ほどは、デリカシーの欠片もない一言を浴びせられ苛つきもしたが、そういった部分も含めて裏表のなさそうな性格が、どこか信用に値したのだ。
(この人になら、相談してみても……)
配達員としてではなく、心療士としての彼を本気で頼ってみようかと、リクの心が淡く揺らぎ始める――
「うおっ、良いパソコン使ってんな〜! これ〝グラボ〟ってヤツだろ? オマエめちゃくちゃゲーマーなんだな」
「まぁ……それなりには」
勝手に部屋中を観察し続けるエイトに対し、リクは生返事のような相槌だけを返した。その間に、テーブルの上へ置いたセットメニューが入った袋をガサガサと開ける。そして中から包装されたハンバーガー、紙ケースに入ったポテト、コーラの満たされた紙カップを順に取り出し、黙々と食事を開始した。
(おいしいな……やっぱり)
身体に悪いとわかっていても、美味いものは美味い。
出前の配達員が自分の家を物色しているのを横目に食すというのは、状況としてはあまりにも不可解で、冷静に俯瞰すればだいぶ狂っているだろう。それでも、久しぶりのハンバーガーの味と塩気の強いポテトが、今のリクに確かな充足感をもたらした。
しかし――
「……父ちゃんと母ちゃんは共働きか?」
軽い口調で問われるが、今のリクにとっては重い質問。すん、と顔の色が漂白され、視線をテーブルに落として黙り込んでしまった。
だが、食べる手だけは決して止めない。咀嚼のリズムも乱さずに、無心でひたすらバーガーにかぶりつく。食べ続けることで、感情を強引に多幸感だけで満たそうとしていたのだ。
「……なるほどな。わかったよ」
エイトはそんなリクの様子を見て、なにかを察したようだ。それ以上は余計な言葉を重ねずに、食卓を挟んで向かいのイスにドカッと腰を下ろす。
「ポテト、少しくれよ」
「……どうぞ」
「ここのポテト、冷めてもウマいんだよな」
テーブル越しに差し出されたポテトを容器からひとつまみし、口へと運ぶエイト。
「次の配達、行かなくて大丈夫なんですか?」
「良いんだよ。そもそもコッチが本業だしな」
リクの心配にあっさりとそう答えてみせたエイトは、昨日見せた財布と同じ蛇柄のケースに覆われたスマホを取り出し、なにかを操作している。おそらくではあるが、バイトのシフトをキャンセルしているのだろう。
「あの、僕……あんまりお金は――」
「オマエは運が良いな。初回のカウンセリング無料キャンペーンが、ちょうど今日から始まったところだ」
「嘘……ですよね」
「嘘じゃねえよ。オレの事務所なんだからオレの都合で好きに開催出来るんだっての」
エイトが冗談で少しだけ場が和ませると、彼は唐突にスマホの音楽アプリを起動させ、スピーカー部分を上向けてテーブルの中央に置いてみせた。
(一体なにを始めるんだろう……?)
怪訝に捉えつつも、好奇心が湧く。きっとここから彼独自のカウンセリングが始まり、心療士としての本領が発揮されるのだろう。
不安と少しの期待を入り交じらせ、リクはスピーカーから流れてくる音楽にじっと耳を澄ませた。
「まぁ、あんまり気にすんな。ちょっとした雰囲気作り程度に思ってくれていい」
彼がそう言い終えると同時に、曲が始まる――
(……なんか、落ち着いた感じの曲だな)
遅いテンポのゆったりとしたビートに、英語混じりの日本語でラップする男性ボーカルと、女性ボーカルがHookでしっとりと唄い上げる――恐らくジャンルはヒップホップなのだろう。しかし、これといってなにかを特筆するほどの曲ではなかった。
そもそも、これからシリアスな話題に移るというのに一体なぜこの曲を流したのか。なにか狙いがあるのだろうか。といった疑問が次々と浮かび上がるが、肝心のエイトは黙って曲に聴き入り、リクの目を見て待っている。
(うーん……一応なにか感想は言った方が良いのかな?)
ちなみに、リクには音楽的な知識など一切ない。好きだったアニメの主題歌や、親と一緒に観ていたテレビから流れてくるような、一般的な曲しか耳にした事がなかった。
「どうした? なんでも伝えてくれて良いんだぞ?」
「えっと……なんだかお酒が飲みたくなる感じの曲ですね。お酒は飲んだことないんですけど」
「いや、曲の感想じゃなくてだな」
「あ、そうか……すみません」
リクは天然ぶりを少しだけ発揮したあと、無言でうなずくように小さく息を吐く。
心なしか、気分が軽い。彼の放つ独特な雰囲気のおかげか、それとも流れてくる曲のせいなのか。あるいはそのどちらも作用しているのか。わからないが、心置きなく全てを打ち明けられそうだ。
そしてリクは手に持っていたバーガーをテーブルに置いたあと、一度深呼吸をしてから、ぽつりと呟く。
「……もう、生きてくのがつらいです」
――漂うように流れていた曲が、再生を終える。




