03話 セッション開始
ガチャ、と音をたてて玄関の扉をリクは開いた。
「……ったく、あんま待たせないでくださいよ」
ドアを開けた先には、やはりエイトが立っている。待ちくたびれていたのか少し機嫌が悪そうだ。ついでに、相変わらず人相も悪い。
「…………」
リクは何も言わず、俯くように顔を逸らしたまま、手を差し出して代金を渡そうとする。もちろん、視線は合わせないように。
「ん……てかリクじゃん。オマエんちここだったんだな」
(くっ……!)
軽い調子の声で、エイトがあっさりと気付く。リクの容姿は客観的に見て、どこにでも居そうな平凡な男子高校生だ。身長も平均ほどで、髪も長すぎず短すぎずな程度。高校一年生らしく、幼さの抜け切っていない顔立ちにこれといった特徴や個性はほぼ無かった。
だからこそ、気付かれずにこの場をやり過ごせるのではと、あわよくば思っていたのだが――
(さすがに、昨日出会ったばかりの人の顔を忘れるわけなんてないよね……そもそも顔を逸らす程度じゃ無理があるか)
悔やみつつも、仕方ないと観念するリク。ただ、正体と住所がエイトに知られたからといって、今の二人の関係は単なる客と配達員でしかない。気まずさは残るだろうが、普通に代金を支払った後に帰ってもらうだけでいいのだ。
(それに、次の配達が控えてるだろうし、僕の家に長居なんて出来ないはず――)
「――にしても、ド平日のド昼間っから出前たぁ、いいご身分じゃねえか。ま、今どきは不登校だって珍しくはねえか」
不意のタイミングでのエイトからの茶化すような言葉に、リクはぴくりと肩を揺らした。
「…………」
「お、もしかして図星だったか? だとしたら悪ぃな」
反論代わりに少し睨むような目を向け、リクは黙って商品を受け取る。そして代金を押し付けるように渡し、リビングへと踵を返していった。
「おいおい怒んなよ、冗談だっての」
『さっさと帰れ』と背中で訴えるリクに対し、エイトは代金をしまい込むと、当然の如くスニーカーを脱ぎ始める。そして遊び慣れた友達の家かのように、ずかずかとリビングにまで上がり込んできた。
「え、ちょっ……待っ……」
土足では無いにしても、人の心だけでなく他人の家にまで入り込んでくるなんてあまりにも非常識すぎる心療士。いや、そもそも今は出前の配達員か。どちらにせよ、今のリクは呆気にとられることしかできずにいた。
(な、なんなんだこの人……)
「へぇ、結構良い家に住んでるんだな。ここ分譲だろ?」
リクが戸惑う一方で、エイトはお構い無しにと部屋の中をキョロキョロと見回す。今の彼は完全に、ただの不審者となっていた。
「大丈夫だって。何かするつもりはねぇしすぐ帰るっての」
既に不法侵入しているだろう、という指摘をしたい気持ちに駆られたが、リクはこらえた。このまま黙ってスマホを拾い、すぐに通報することも可能ではある。ただ、彼の行動には一つだけ違和感があった。
「てか、バーガー食えよ。冷めちまうと味も落ちるぞ?」
(本当に、本当に無茶苦茶な人なんだけど……やっぱり悪い人には見えないんだよな)
――そう、悪意が全く感じられないのだ。
昨日知り合ったばかりではあるが、竹を割ったようなその気風の良さから、妙な親しみやすさと頼りがいが彼にはあった。確かについ先ほどにはデリカシーに欠けた言葉を浴びせられ苛つきもしたが、そういった部分も含めて裏表のない性格がどこか信用に値したのだ。
(この人になら、相談してもいいかもな……)
配達員としてではなく、心療士としての彼を本気で頼ってみようかと、リクの心が淡く揺らぐ――
「うぉ、良いパソコン使ってんな〜! これ〝グラボ〟ってヤツだろ? オマエめちゃくちゃゲーマーなんだな」
「まぁ……それなりには」
部屋中を物色し続けるエイトに対し、リクが適当に返答をしながら、テーブルの上のセットメニューが入った袋をガサガサと開く。そして中から包装されたハンバーガーと紙ケースに入ったポテト、コーラの注がれた紙カップを取り出し、黙々と食事を開始した。
(おいしいな……やっぱり)
身体に良くないとわかっていても、美味い物は美味い。出前の配達員が自分の家を漁り回るのを横目に食すという、とても不可解なシチュエーションではある。それでも久しぶりのジャンクフードの味に、リクは束の間の充足感を得た。
しかし――
「……父ちゃんと母ちゃんは共働きか?」
軽い口調で問われるが、今のリクにとっては重い質問。すん、と顔の色が漂白され、視線をテーブルに落として黙り込む。だが、食べる手だけは決して止めなかった。
「…………」
何も発さず、無心でひたすらバーガーにかぶりつき、咀嚼のリズムを乱さずに食べ続けているリク。食べ続けることで、感情を多幸感だけで満たそうとしていたのだ。
「……なるほどな。わかったよ」
エイトはそんな少年の様子を見て、何かを察したようだ。それ以上は余計な言葉を重ねずに、食卓を挟んでリクの向かいのイスにドカッと腰を下ろす。
「ポテト、少しくれよ」
「……どうぞ」
「ここのポテト、冷めてもウマいんだよな」
テーブル越しに差し出されたポテトを容器からひとつまみし、口へと運ぶエイト。
「次の配達、行かなくて大丈夫なんですか?」
「良いんだよ。そもそもコッチが本業だしな」
リクの心配にあっさりとそう答えてみせたエイトは、昨日見せた財布と同じ蛇柄のケースに覆われたスマホを取り出し、何かを操作している。おそらくではあるが、バイトのシフトをキャンセルしているのだろう。
「あの、僕……あんまりお金は――」
「オマエは運が良いな。初回のカウンセリング無料キャンペーンが、ちょうど今日から始まったところだ」
「嘘……ですよね」
「嘘じゃねえよ。オレの事務所なんだからオレの都合で好きに開催出来るんだっての」
エイトが冗談で少しだけ場が和ませると、彼は唐突にスマホで音楽アプリを起動させ、スピーカー部分を上向けてテーブルの上に置いてみせた。
(一体なにを始めるんだろう……?)
怪訝に捉えるリク。きっとここから彼独自のカウンセリングが始まり、心療士としての本領が発揮されるのだろう。不安と少しの期待を入り交じらせ、リクはスピーカーから流れてくる音楽にじっと耳を澄ませる。
「まぁ、あんまり気にすんな。ちょっとした雰囲気作り程度に思ってくれていい」
彼がそう言い終えると同時に、曲が始まる――
(……なんか、落ち着いた感じの曲だな)
遅いテンポのゆったりとしたビートに、英語混じりの日本語でラップする男性ボーカルと、女性ボーカルがHookでしっとりと唄い上げる――恐らくジャンルはヒップホップなのだろう。しかし、これといって何かを特筆するほどの曲ではなかった。
そもそも、これからシリアスな話題に移るというのに一体なぜこの曲を流したのか。なにか狙いがあるのだろうか。といった疑問が次々と浮かび上がるが、肝心のエイトは黙って曲に聴き入り、リクの目を見て待っている。
(うーん……一応なにか感想は言った方が良いのかな?)
ちなみに、リクには音楽的な知識など一切ない。好きだったアニメの主題歌や、親と一緒に観ていたテレビから流れてくるような、一般的な曲しか耳にした事がなかった。
「どうした? なんでも伝えてくれて良いんだぞ?」
「えっと……なんだかお酒が飲みたくなる感じの曲ですね。お酒は飲んだことないんですけど」
「いや、曲の感想じゃなくてだな」
「あ、そうか……すみません」
リクは天然ぶりを少しだけ発揮したあと、無言でうなずくように小さく息を吐く。心なしか、気分が軽い。彼の放つ独特な雰囲気のおかげか、それとも流れてくる曲のせいなのか。あるいはそのどちらも作用しているのか。わからないが、心置きなく全てを打ち明けられそうだ。
そしてリクは手に持っていたバーガーをテーブルに置いたあと、一度深呼吸をしてから、ぽつりと呟く。
「……もう、生きてくのがつらいです」
――漂うように流れていた曲が、再生を終える。