16 入籍の日
11月に優子の実家を訪問した後、我々の今後について話し合いを重ねた。何の話し合いか…?「籍」を入れるか入れないかである。
私は前妻・恭子との離婚経験から、「籍」を抜くということがどれほどエネルギーがいるのかを痛感している。極論かもしれないが、「籍」を入れなければ抜く必要もない。だから入れなくても良いのではと思っている。一方の優子は、多感な頃に両親の不仲を経験したから、「結婚」という二文字に良くない印象を持っている。
優子とは、昨年の7月の「知多半島ツーリング」の帰路、「一緒に歩いていこうか」と合意し、今年の3月から同じ屋根の下で暮らしている。今のところ、「事実婚」であっても特段困っていることもない。子どもをもうける予定もないので、おそらくそのままでも困ることはないと思う。
しかしながら、話し合いを重ねて導き出した結論…やはり籍を入れようかということになった。優子と「合意」を交わしてから1年以上が経ち、我々を取り巻く環境も随分と変わった。双方の親との和解の道筋が立ち、今後は2人だけの小さなカゴではなく、それぞれの親も含めた、大きなカゴの中で動くことも多くなるだろうという想定の下での結論である。
事実婚の下では、いわゆる「姻族関係」が発生しない。丸く言えば、私と義父母、親父と優子の間には「親族関係」が発生しないということになる。例えば親父や義父母が要介護状態になり、私が義父母のために動く、優子が親父のために動く必要が生じたと仮定する。そんな時、事実婚のままではできることが限られてくるのだ。これに限らず日本社会では、かなり柔軟な運用がされ始めているとはいえ、まだまだ事実婚のデメリットは大きい。
決して、我々が「結婚」を踏みとどまっていた原因が解消されたわけではない。しかし、今後長い目で見た時に、法律的に「夫婦」でいる方が、よりメリットが大きいだろうという結論に達したのである。結論に至るプロセスはきちんと踏んでいるが、また国松課長に、「お前たちらしい」と笑い飛ばされそうな話である。
12月に入り、区役所で婚姻届の用紙をもらってきた。そして12月5日土曜日の夜、国松課長のご自宅を訪問した。国松課長夫婦に「証人」になってもらうためである。
国松課長からは、やはり大笑いされた。でも、心底喜んでくれた。桜が咲いたら、庭で花見を兼ねた披露宴をやろうと…。ありがたい話である。
そして、官庁御用納めの翌日、12月29日の朝…自宅の前には、バイクに跨った2人の姿があった。区役所に婚姻届を出しに行くのだ。タンクバッグには、封筒に入った婚姻届が収まっている。まるでヴァージンロードを歩くかのように、ゆっくりゆっくり大きなバイクを走らせる。駐輪場にバイクを停め、夜間通用口へ…。警備員氏に婚姻届を手渡す。
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
これで手続き終了。あっけないものである。
バイクで出たついでに、行きつけのライダーズカフェまで走り、マスターに入籍の報告をした。
「おめでとう!!」
マスターからは派手な歓迎を受けた。
婚姻届を提出したからといって、何かが劇的に変わるわけではないよね…とかそんな話をしながら、2人でモーニングをいただく。…といっても、優子は森山姓を名乗るため、運転免許証や保険証、銀行の通帳の名前の書き換えが必要になる。これらは結構面倒臭い。ちなみに、職場では旧姓の「和田」を通す。
自宅に戻り、「森山・和田」の連名だった表札を、元々の「森山」に架け替えた。それでようやく実感が湧いてきた。
森山直樹・43歳、森山優子41歳…これからも2人で同じ道を歩いてゆく。
次回、第二部最終回です。