〜小 話〜 身勝手な願いだと知っていても
その日、部下から廊下に不審者がいると相談され向かうと、なるほど見覚えのある後ろ姿があった。
「こら。部外者は立ち入り禁止だぞ」
やれやれと背後から近寄ったジャンマルコは、リリアンが振り向く前にその頭を拳で軽く小突いた。コンっと小気味いい音が鳴る。
「マルコ殿! よかった。探してたんだ。君の名を出しても、知らないと言う人ばかりで困っていたところだ」
「一応おれは教会の暗部だからな。おれの存在を知ってるのは同期や部下、上司くれぇなんだわ。んで、その部下から不審者がいるっつーから来てみりゃ、何してんだよこんなとこで。別れの挨拶なら朝に済ましただろ」
「伝え忘れたことがあってな。皆にはわがままをを言って、待って貰っている」
リリアンたち一行は、昼頃ローマを発つことになっていた。しかし謹慎が明けた自分は仕事が待ってくれず、朝のうちに簡素な別れを済ませていた。
「なんだ? あ、待て。おれも気になることがあったわ」
「先に聞こうか」
「わりぃな。今朝からあの悪魔の姿がなかったが、ようやく地獄に帰ったのか?」
ラファエルはローマ滞在中に挨拶を済ませ天国へ帰っていた。シャルロットも同じく。だが彼女はアレクシスの守護天使の為、彼の危機には必ず駆けつけるという約束をして。しかしアスタロトはどうだ、今朝の別れの時、奴はその場にはいなかった。
「今は帰っているらしいぞ」
「今は?」
「仕事に疲れたら、またうちに泊まりに来ると言っていたな」
ジャンマルコは呆れた。
「別荘暮らしのつもりかよ。いいご身分だな」
「ふはっ、実際に地獄では公爵らしいぞ。よっぽどアニーの料理を気に入ってくれたんだな」
「料理、ねぇ……」
どうだか。リリアンを見下ろし、ややあってため息をつく。あまり詮索しても気分が悪い。しかしと思う。
「よくアレクシス殿の許可が下りたな」
「初めは渋っていたな。今回の騒動で、パリには彼を悪魔と知る人間もいたからな。だから次に遊びに来る条件として、目撃者の記憶を消すならいいと言っていたぞ」
「なるほど、な。お前はそれでよかったのかよ。父親はもう貴族じゃなくて聖職者だろ。悪魔が近くにいると色々不味くねぇか?」
「不味いだろうが、うまく誤魔化すさ。それに、アスタロト殿の希望を叶えてくれるようにお願いしたのは私だ」
「は? そこまで肩入れしてんのか? 聖職者の立場から言わせて貰うが、あまり悪魔と仲良くするな。今度こそ魔女の烙印を押されるぞ」
「心配してくれてありがとう。だが、肩入れとは少し違うな。アスタロト殿は、アレクの紛れもない恩人なんだ。恩人に悪魔も人もない。私は私の恩を返すだけだ。それに、前にも言っただろ?」
リリアンはニッと唇に弧を描いた。
「それがどうした、と」
「……はぁ~。参った。そこまでの覚悟があんならもう何も言わねぇよ。だけど気を付けろよ? まぁ、何かあってもあの父親が傍にいるなら大丈夫か」
また魔女の疑いが掛かるようなことがあっても、次はあの天使の笑みを浮かべる悪魔のような男がどうにかする筈だ。今回の魔女裁判の時みたいに。
「結局、裁判でもおれは役に立たなかったしな」
「そんなことはない。来てくれてとても嬉しかった」
……どうだか。再びそう思う。
「ただの知り合いなんかより、アレクシス殿の方がよっぽど心強かっただろうよ」
「君は前に、私のことを鈍感と言っていたが、君も大概だぞ」
「あ?」
「そろそろ行かないといけないから、用件を話してもいいか?」
「あ、ああ」
今何か、聞き逃してはいけない大事なこと聞いた気がする。聞き返そうとしたが、リリアンの真剣な瞳の前にたじろぐ。
「私の正式な名は、リリアン・ホーマン・シエル・ジュネリー・スワフ・プァーファル・ババロニー・リャイル・カロラン・アロマネオだ」
「は?」
「できれば覚えておいてくれ」
「いや無理だろ! 長すぎるわ!」
「それで君がもし、おじいさんになって、今の仕事を続けられなくなった時でもいい。いつか、この性を名乗って欲しいと思う」
「え?」
………え?
「それを伝えたかったんだ。ではまたな。たまには遊びに来てくれよ」
「ちょっと待て……っ」
用件は済んだと言わんばかりにさっさと踵を返すリリアンの手首をとっさに掴む。リリアンの低い体温を掌に感じ、自分がひどく熱を持っていることに気づいた。そしてカラカラの喉から何とか声を絞り出す。
「紙に書くから、もう一度言ってくれ」
迷い子のようなジャンマルコのその声に、リリアンはふはっと肩を震わせて笑うと、満面の笑みを咲かせたのだった。
これにて本当に完結です。ここまでお読み下さってありがとうございました。
ちなみにサブタイトルはジャンマルコ視点です。




