ALONE~sasahara~(1)
――最悪な夜だ。
何十分もずっと雨に打たれていた所為で、髪はまとまり制服はずっしりと濡れて、肌に張り付いてしまい、夏だと言うのに肌寒い。足場の悪い泥の中で作業したものだから、ローファーやソックスはおろか、スカートにまで泥が跳ねている。
「なに、やってんだか……」
自分のあまりにもひどい姿を見降ろして、自嘲気味につぶやく。傘もささずに、あんな大雨の中、あほみたいに金づちを振り続けるなんて、いまどき小学生だってやらないだろう。
――ま、それを私は小学生の時もやってるんだけどね。
なんて、これまた自嘲気味に、というか自嘲しながら呟いてみる。航希や周平に偉そうなことを言っときながら、自分が全く成長できていないことに笑えて来る。
そんなことを考えながら歩いていたら、気づけば家の前まで来ていた。だというのに、相変わらず制服からは水滴が滴り落ちていた。
こんな格好のまま家に帰るのは、はばかられる?
――まさか、うちの両親がそんなこと気にするもんか。どうせいつものように娘の帰りを横目で見て、黙って迎えるのだ。ううん、そんなの迎えるなんて言わないね。
濡れた前髪が重く顔にかかるのも、ローファーが泥水で不快な音を立てるのも、そんなの全部お構いなしに、私は家の扉を開け玄関に入った。
居間でおんぼろのブラウン管テレビを見ていた母の目がこちらに向いた。
――普通の家ならここで、お母さんが心配してタオルを持ってきてくれるのかな?それとも、こんなにずぶ濡れになっていることに対して、風邪引くじゃないと心配して叱ってくれるのかな?
ま、普通の家のことなんて知らないんだけどさ……
結局母は忌々しげに目を細めた後、すっと目をテレビに戻した。そして、何もなかったかのように静かに、無表情でテレビ画面を見つめ続けていた。
私はそんな母の横を、わざと大きな音を立てながら通りすぎてやった。けどそれでも何の反応もないから、またさらに不機嫌になる。
そんなことを何日も、何回も繰り返してきた。
――それでも諦めたりせずに、必死に母親に反応を求めてるってことは、腐ってもこいつが私の血のつながった実の母だって言うことだろう。悔しいけど……
私は自分の部屋に入ると、とりあえず濡れて気持ち悪い制服を脱ぎ捨てた。そして着替えることもせず、下着姿のままベッドに飛び込んだ。おんぼろのベッドはその拍子にぎしりと鈍い音をたてる。
――はあ、なんかもうつかれちゃったな……
いつまでこんなことを続けているのだろう?
5年前からずっと、私は何一つ変わらないままでいる気がする。
ひとりじゃなにもできなくて、すぐムキになって。誰かにすがろうとすることでしか自分を保てない。それでいて、自分を変えようと努力することを知らない。
本当に、いつまでこんな私でいるのだろう?
5年前のあの事故から、私たちはみんなそれぞれの道を歩いてきた。そして、5年ぶりに二人に会って分かった。少しずつだけど、二人は前に進もうとしている。
――私一人、ここに残して。
別に二人を憎んでいるわけでも、嫉妬しているわけでもない。けれど、二人が遠くに行ってしまうのが、たまらなく怖いのも事実だ。
「はあ……どうしてこんなになっちゃったんだろ」
そう空に向かってつぶやいても、返事が返ってくるわけでもない。
恨むべき対象ならわかっている。
運、神様、環境、両親、そして自分。そんな風に憎む対象ならすらすらと出てくる。大切なものなんて、なに一つ思いつかないのに!!
――私の人生の敗北は生まれた瞬間から決まっていた。
別に悲劇のヒロインを絵にかいたような、あまりにも酷い家庭に生まれたわけじゃない。ドラマに出来るような出生をしたわけでも、劇的な生活をしてきたわけでもない。
ただ、私の存在はだれからも求まれていたものではなく、私の出生は誰かも祝福を受けなかった。
ただ、それだけ。
母親とは数えるほどしか、しゃべったことがない。父親に至っては別居していため、覚えている限りでは一回も話した覚えはない。
そんな家庭環境が幼い私を壊していった。生まれてから、この町に引っ越してくるまで、私は友達というものを全く知らずに過ごしてきた。
そんな私に出来た初めての友達が、航希に周平、そして詩織だった。
小学4年生になる春。私は隣町に引っ越してきた。
家にいても暇だったし、遊ぶ友達も家族もいなかったから、家を出て山まで一人遊びをしに行った。
それがどういうわけかいつの間にか、町の境界を超えていたみたいで、詩織たちの暮らしてた町に辿り着いていた。
そんなことも気づかないで、私は一人遊びをしていた。
全く知らない町に、ただ一人取り残され遊び続けた。そんな私に声をかけてくれた人がいた……
それが私の初めての親友――詩織だった。
詩織は戸惑う私の手を引いて、航希や周平の輪に入れてくれた。おっとりしているように見えて、意外と行動力があるって驚いた気がする。
今まで友達のいなかった私だけど、詩織たちとはすぐに打ち解けた。残念なことに私は3人とは学校が違ったから、会えるのは放課後だけだった。
学校では相変わらず一人だったけど、それでも学校が終わった後に楽しみができたのは、私の中では大きな変化だった。
学校では大人しく一人で過ごし、放課後になるとあわてて学校を飛び出し、隣町まで詩織たちと遊びに行った。
そのころの私は最高に幸せだった。学校に友達がいなくても、両親と仲良くできなくても、そんなのどうでもいいと思えるほどに……
でも、そんな幸せも永遠には続かない。
――小学6年生の夏、私の幸せは音を立てて崩れた。
詩織の存在は航希と周平の中から消え去り、私も急な引っ越しが決まりって、私たちはバラバラになった。
幼かった私たちの心に、大きな傷を残して……
その後のことはあまり思いだしたくない。
引っ越し先で中学に進学したが、当然うまくなじめなかった。心に傷を負い、まともに人づきあいも出来ないような人間が、中学校に入学したらどうなるかなんて、火を見るより明らかだ。
どこまでも私は弱くて、結局そのまま中学でも高校でもずっと私は一人だった。
――私一人だけが、一人だった。
再び親の都合で昔住んでいた町に戻ることが決まって、こっちの高校に編入することになった。
この町に戻れば、また昔に戻れる気がして……
でも結局、戻ってきた私を待っていたのは、変わり果てた町の姿。詩織はいない、航希も周平も、変わっていない様に見えて、やっぱり二人は成長してた。
昔のままだったのは、私だけ。私の時間だけが、止まったままだったんだ。
ここでも私は一人。
――もう、どうにかなりそうだよ……
しばらくすると、私の意識は混濁に包まれ、そのまま眠りに落ちて行った。
今日の夜、私は泥のように眠った……




