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星降る教室で、きみと無敵になる――「大丈夫」と笑っていた私を、きみだけが見抜いてくれた  作者: 明石竜


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2/5

第二話 きみは手伝わない

 色を直したポスターは、廊下に貼り出すとそれなりに目を引いた。

 文字の背景を濃い紺に変え、白いペンで縁取りを加えた。遠くからでも「星降る教室カフェ」と読める。昨日よりずっとよくなった、とひまりは思った。

 黒瀬さんの一言がなければ、気づかなかった。

 そのことが、ひまりの頭に引っかかっていた。


 その日の放課後、ひまりは思い切って声をかけた。

 しずくは帰り支度をしていた。鞄にスケッチブックをしまい、筆箱を入れ、椅子を入れる。その一連の動作に、無駄がいっさいなかった。

「黒瀬さん」

 しずくが顔を上げた。

「文化祭の準備、手伝ってもらえないかな」

「無理」

 即答だった。しずくは鞄を肩にかけた。

「どうして?」

 しずくはひまりを見た。視線が真っすぐで、ひまりは少たじろいだ。

「私が入ると、空気悪くなるから」

 それだけ言って、しずくは歩き出した。

「そんなことないよ」

 ひまりは追いかけた。廊下に出たしずくの横に並ぶ。しずくは歩みを止めなかった。

「あるよ」

 断言だった。ひまりは何も返せなかった。

 しずくは一度もひまりを見ないまま、階段を下りていった。


 翌日も、ひまりは声をかけた。

 今度は戦略を変えた。手伝いではなく、意見だけでいい。そう切り出した。

「直接入らなくていいから。見てもらうだけでいい。昨日のポスターも、黒瀬さんに言われてから直したらずっとよくなったし」

 しずくは帰りかけていたけど、足を止めた。

 ひまりはメニュー表の案と、教室装飾のラフスケッチを机に広げた。

 しずくは近づいて、それを見た。

 少し沈黙があった。

「星が多すぎる」

 しずくが口を開いた。装飾のラフを指さしている。

「多すぎる?」

「どこを見ていいか分からない」

 しずくはラフの中央を指で示した。

「メインを決めたほうがいい。黒板を目立たせるなら、窓側の飾りは少し減らす」

「全部かわいくしたら、だめ?」

「全部目立つと、どこも目立たなくなる」

「なるほど」


「メニュー表も」

 しずくはそちらに目を移した。

「値段が先に目に入る」

「え、だめかな」

「カフェなら、商品名が先のほうが雰囲気出る」

 しずくはメニュー表の端を軽く指で叩いた。

「あと、入口で見るものと、席で見るものは分けたほうがいい」

「どうして?」

「入口で細かい字を読ませると、人が止まる」

「確かに」

「この手書きフォントも、案内には向いてない」

「かわいいと思ったんだけど」

「かわいい。でも、読みにくい」

 しずくは少しだけ間を置いた。

「読む気がない人にも読める字が、案内には向いてる」


 ひまりはメモを取り始めた。しずくは言葉が少ないけど、一言ごとに意味があった。曖昧な感想ではなく、なぜそうなのかが分かる言葉で話す。

 ひまりが顔を上げると、しずくはもうラフから目を離していた。

「ありがとう、すごく参考になった」

 しずくは小さく頷いた。それだけだった。


 それからしずくは、毎日意見をくれるわけではなかった。

 でも、ひまりが「見てもらえる?」と机に広げると、しずくは一度は足を止めた。必ず単刀直入に、的確に何かを言った。

 ひまりはしずくのことが、少しずつ分かってきた。

 冷たいのではない。無愛想なのでもない。ただ、余分な言葉を足さない人だった。

 そして、よく見ていた。

 ある日、ひまりが装飾班の作業の進み具合を話していると、しずくが言った。

「窓の装飾、班の子たちが何をすればいいか分かってないんじゃない」

「え、なんで分かるの?」

「昨日、二人が材料を持ったまま十分ぐらい話してた。手が動いてなかった」

 ひまりは驚いた。しずくは窓際の自分の席から、教室全体をずっと見ていたことになる。話し合いにも参加せず、本を読んでいるように見えて、全部把握していた。

 ひまりには、そういう見方ができなかった。みんなの輪の中にいながら、個々の動きを細かく追う余裕がなかった。

「黒瀬さんって、すごく観てるんだね」

 しずくは少し間を置いた。

「暇だから」

 そう言ったけど、ひまりにはそれが本当の理由ではない気がした。


 美咲から話を聞いたのは、その翌週だった。

 昼休み、宣伝用の小道具を一緒に作りながら、美咲がぽつりと言った。

「黒瀬さんって、中学のとき美術部だったんだって。知ってた?」

「知らなかった」

「なんか、ポスターコンクールに出したらめちゃくちゃ本格的な絵で、クラスの子に引かれたとか。うちのクラスの子じゃないから又聞きだけど」

 ひまりは手を止めた。

「引かれた?」

「なんか、みんなが適当に楽しんでるのに一人だけすごいの作ってて、浮いてるって言われたとか。それからあんな感じになったって、噂で聞いた。本当かどうかは知らないけど」

 美咲は「でもそれで距離置くようになったの分かるよね」と続けたけど、ひまりはその先を聞いていなかった。

 私が入ると、空気悪くなるから。

 しずくの言葉が、違う意味で耳に戻ってきた。

 あれは、ただ自信がないから言っていたのではなかった。経験から、そう学んでいたのだ。 


 準備は、順調とは言えなかった。

 装飾班が遅れていた。担当の子が「来週には終わらせる」と言って、一週間がたった。シフト表は埋まっていない欄がまだある。買い出しリストは、誰が何を確認したのか曖昧なままだ。

 ひまりはその穴を、少しずつ自分で塞いでいた。

 装飾の続きをやった。シフトを調整した。買い出しリストを自分で整理し直した。

 大丈夫、やっとくよ。

 うん、任せて。

 気づいたらそう言っていた。声に出す前から、もう答えが決まっている。

 ある放課後、しずくが帰り際にひまりの机の前を通ったとき、ふと言った。

「相坂さん、便利な人になってる」

 ひまりは顔を上げた。

「便利って、ひどくない?」

 しずくは立ったまま、冷静に返した。

「だって、みんながそう使ってる」

 言葉が刺さった。

 やめてよ、と言いかけて、やめた。

 本当は分かっていた。

 誰かが「やっといて」と言う前に、ひまりのほうから引き受けていた。そのほうが楽だったから。「嫌だ」と言って、相手の顔が曇るのを見るより。

「別に、いいじゃん。私がやりたくてやってるんだし」

 しずくは少し黙った。

「そう」

 それだけ言って、歩いていった。

 ひまりは机の上の紙を見た。シフト表の修正版。来週の買い出し日程のメモ。装飾の残り作業リスト。

 自分がやりたくてやっているのか、やらなければいけないと思っているのか、最近よく分からなかった。


 その日の放課後、ひまりは一人で教室に残った。

 星形の飾りを切り抜く作業だった。黒い紙に鉛筆で下書きして、ハサミで切る。単純な作業だけど、数が多い。百個は必要で、今日で五十個目を切り終えたところだった。

 窓の外は暗くなっていた。廊下の灯りが薄く教室に差し込んでいる。大半の生徒は帰った時間だった。

 ひまりはハサミを動かしながら、ぼんやり考えていた。しずくの言葉がまだ残っていた。便利な人。使ってる。

 違う、と思う気持ちと、そうかもしれない、と思う気持ちが、交互に来る。

 ハサミが止まった。

 手の中の星形の紙を見た。綺麗に切れている。でも、あと五十個ある。明日の朝までに仕上げると言った。言ったのは自分だ。誰かに頼まれたわけではない。

 疲れた、と思った。

 声が聞こえたのは、そのときだった。

「まだいたの」

 しずくだった。

 教室の入口に立っている。帰ったと思っていた。

「あ、忘れ物?」

「スケッチブック」

 しずくは自分の席に向かい、机の中から取り出した。

 ひまりは作業を再開しようとした。でも、うまく笑顔が作れなかった。

「大丈夫。もうちょっとで終わるから」

 しずくは鞄にスケッチブックをしまいながら、ひまりのほうを見た。

 机の上の紙の束を、残り作業のメモを、ひまりの顔を、順番に見た。

「その“大丈夫”、嘘でしょ」

 ひまりは答えなかった。

 否定しようとした。でも、言葉が出なかった。出口に向かいかけたしずくは、足を止めたまま、まだそこにいた。

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