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僕とぼくと星空の秘密基地  作者: 浅原ナオト
第五章「嵐の日」
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5-6

 母さんの言葉通り、嵐は夕方になっても一向に止まなかった。夕方のニュースを見ながら、じいちゃんが「今日はとらじろうの夕飯は抜きだな」と呟く。とらじろう、大丈夫かな。ぼくはガタガタ揺れる窓ガラスを不安げに見つめる。

「お前は、本当に泊まるのか?」

 じいちゃんが尋ねる。ぼくはこくりと頷いた。

「うん。母さんと父さんは二人でお話した方がいいと思うから。ダメ?」

「いまさらダメなんて言うわけないだろう。明日は何時ごろ帰るつもりだ」

「とらじろうのお昼ご飯あげて、それから帰りたいな。心配だもん」

「分かった。じゃあ、お前の家にそう連絡するか」

 じいちゃんが立ち上がり、電話機に向かう。電話中、じいちゃんは顔の中央に皮を寄せた渋い表情をしていた。やがて話が終わると、不愉快そうな様子を隠さずに、ぼくに告げる。

「お前の父さん、嵐で帰れないとか言っているみたいだぞ」

 とか言っている。じいちゃんが言い分に納得していないのは、明らかだった。

「電車が動いてないのかな」

「かもな。だがタクシーとかあるだろう。自分が原因で子どもが家出するほど傷ついているんだから、それぐらいはしてもいいはずだ。すっかり逃げ癖がついているな」

 怒るじいちゃん。ぼくは、苦笑いを浮かべる。

「話をしてても、逃げちゃうみたいだから、仕方ないよ」

「なに?」

「都合が悪いと黙っちゃうんだって。ぼくも同じだって、母さんに言われた」

 じいちゃんが、面白く無さそうに鼻を鳴らした。

「前途多難だな」

 言葉の意味が分からなくて、ぼくは曖昧な笑みを浮かべた。じいちゃんはぼくが分かっていないことを分かっていただろうけど、そのまま黙ってしまった。

 夜になると、ぼくは一人で早々に眠ってしまった。居間の一つ奥の部屋が寝室になっていて、そこに布団を敷いてもらった。布団以外に目立つものはタンスと本棚ぐらいしかない小さな部屋。今まで見て来たキッチンと居間以外、他に部屋も無い。もし家族三人で住んでいたら絶対に足りない部屋と家具に、ぼくはじいちゃんの人生の寂しさが滲み出ているような気がした。

 そして、朝が来た。

 夜のうちに嵐は去り、ベランダに繋がる窓から眩い光が部屋の中に差し込んでいた。ぼくは、横で別の布団を敷いて寝ているじいちゃんを起こさないようにそっと起き上がり、トイレに向かう。そしてトイレの後、居間でテレビをつけて、ニュース番組を見る。

 やがてじいちゃんが起きて来て、朝食を作ってくれた。朝ご飯は目玉焼き。卵を焼くだけなのに、ぼくの家の目玉焼きとぜんぜん違う。ぼくの家は黄身が半熟でかけるものは醤油なのに、じいちゃんの目玉焼きは黄身が完熟でかけるものはソースだ。

 ぼくは、こんなにシンプルな料理なのに、今までで一番かもしれないぐらいに違うことが面白くなった。じいちゃんのやり方に従って完熟をソースで食べてみたらおいしくて、帰ったら母さんにたまにこっちにしてもらうようにお願いしようと思った。

 何の変哲もない朝だったと思う。

 この先、あんな出来事が待っているなんて、絶対に思えないぐらいに。


     ◆


 その日はとらじろうの昼ご飯を、早めにあげに行くことにした。

 夕ご飯を抜きにしてしまったのだから、きっとお腹を空かしている。そう思ったぼくは、じいちゃんに「早めに行こうよ」と急かした。じいちゃんはあまり乗り気じゃなかったけれど、根負けして、とらじろうのご飯セットを用意しはじめた。ぼくの提案で猫缶は昨日の夜の分も入れて、二個持って行くことにした。

 ぶかぶかのジャージから、来た時に着ていた体操着に着替えて、外に出る。嵐が去った後には、気持ちのいい快晴が訪れていた。抜けるような青色の空。降り注ぐ光からは、肌を撫でる感じじゃなくて刺す感じがする。だけど雨上がりの湿ったアスファルトから立ち上る水蒸気のおかげで、暑苦しさはしない。最高の日曜日だ。

 マムシの森に着くと、森を抜ける砂利道は良かったけれど、そこから秘密基地へ通じる土の道はやっぱりぬかるんでいた。ぼくは前を行くじいちゃんの足跡を踏んで、靴があまり汚れないように注意して歩く。だけど秘密基地付近の開けた場所に到着した途端、ぼくはうずうずする気持ちが我慢できなくなって、走って秘密基地の玄関に駆け寄った。じいちゃんが「おい!」と声をかけてきたけれど、無視した。

 秘密基地は、嵐の前と何も変わっていないように見えた。とらじろうのためにちょっと開いたおいた玄関の扉を思いっきり開けて、中に飛び込む。もしかしたら中に嵐から避難しているとらじろうがいるかも。そんなことを考えながら家の中を見回すと、畳の奥の薄暗い場所で、とらじろうが横になっているのが見えた。

 やっぱり避難したんだ。玄関、開けておいて良かった。ぼくは靴を脱ぎ捨てて、畳の部屋に上がった。そして、気づいた。

 とらじろうの周りの畳が、汚れている。

 土じゃない。液体がへばりついたような汚れ方。絵の具を筆につけて、画用紙の上に適当にざっと走らせたような汚れ方。その絵の具の色は、薄暗いから良くわからないけど、たぶん、黒と赤を混ぜた色。

「……とらじろう?」

 名前を呼ぶ。とらじろうは動かない。四本の足を全部同じ方向に向けたまま、横になってピクリともしない。

 そろり、足音を立てずに寝転がるとらじろうの元に近づく。一歩足を進めるたびに、お腹の奥が氷を詰め込まれたみたいに冷える。ぶるぶると身体が震えて、立っていることすらままならなくなりそうになる。

 そんなわけはない。そんなわけはないんだ。ぼくはギュッと目を瞑って、開く。そうすれば目の前のとらじろうが消えてくれるみたいに。だけどとらじろうが消えたのは、目を瞑っていた間だけ。目を開けて見える現実は、変わらない。

 とらじろう。

 人懐っこくて、わがままで、食いしん坊なぼくの友達。学校から秘密基地に逃げて来たぼくを、ぶっきらぼうに慰めてくれた優しい子。

 お礼を言おうと思っていた。昨日は慰めてくれてありがとうって。今日はお礼に猫缶二個あげるねって。そして、とらじろうは嫌がるかもしれないけど、いっぱい撫でさせてもらうつもりだった。だけどそれはもう、叶わない。

 だってあのとらじろうは、絶対に動かない。

 お腹の毛を一面赤黒く染めて、大きく開いた口から小さな舌を出して倒れているとらじろうは、もう何も、感じない。

 ――お前の居場所なんか、全部壊してやる。

 寄って来たじいちゃんが「見るんじゃない!」とぼくの目を塞ぐ。目の前がいきなり真っ暗になる。その真っ暗な闇から、石田の真っ黒な目が覗いているような気がして、ぼくは、怖いのか、悲しいのか、なんだかも分からないままに、大声でわーと叫んだ。

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