第一一話「でも、それっておかしくね?」Aパート
放課後、ことらとたつみとゆたかはいつもの町内パトロール中だった。日差しは傾いて涼しくなり、ようやく過ごしやすい時間帯となった。季節は巡り、内渚町は夏を迎えるところである。
「もう夏だな」
「七月ですからね」
あてもなくぶらぶらと町中を散策する三人。傍目には仲良しの女子中学生が散歩をしながらおしゃべりを楽しんでいるようにしか見えないだろうが、実態もそれと大差なかった。
「……今日も外れみたいだな」
「そうね。バクの気配が全く感じられない」
ことらは失望したような顔をする。
「ここしばらくバクが出てきてねーぞ。敵は何してるんだよ」
「でも、平和なのはいいことじゃないですか」
と喜びを見せるゆたかの言葉にもことらは同意する様子はなかった。たつみは普段通りのポーカーフェイスだ。
「でも、これで勉強がはかどるのではなくて? バク退治が忙しい、って言い訳は使えないわよ」
「うう、そうですね。もうすぐ期末試験だし、ちゃんと勉強しないと」
とゆたかは身を縮める一方、ことらは顔をしかめている。
「お前まで親父みたいな小言を言ってんじゃねーよ」
「言わせなければいいだけよ。おじさんだって好きで小言を言っているわけじゃないでしょうに」
とたつみはにべもない。ことらは「けっ」と顔を背けた。険悪になりそうな雰囲気にゆたかがフォローへと動く。
「あの、それじゃ三人で勉強会を開きましょうか。わたしケーキ焼きますから」
「そうね。今度の週末に期末試験対策をやりましょうか」
ゆたかの提案にたつみが乗り気となり、ことらも「まあ、ケーキが出るなら」と強くは反対しなかった。
「それじゃまた明日」
「お疲れさまです」
「じゃあな」
もうすぐ日没という時間に本日のパトロールは終了し、三人は解散する。ことらは自宅への帰路に着いた。頭上を振り仰げば、巨大な吊り橋の主塔が夕闇に染まっている。その中で航空障害灯の白い光が眩しく瞬いていた。
……それから十分程の後、ことらは自宅に到着する。駐車場には父親の自動車が駐車されていた。自動車の横をすり抜けて自宅に入ろうとすることらだが、
「――それで、バクの宿主は?」
聞き捨てならない会話の断片に、ことらは咄嗟に身を隠した。飛鳥はことらから見て車体の反対側にいて、そこでスマートフォンで通話をしていた。一瞬何かの気配を感じて後ろを振り返る飛鳥だが、ことらは息と気配を懸命に殺している。飛鳥は「気のせいか」と判断したようで、そのまま通話を続けた。
『名前は輪島狐理夫、四五歳。奥さんに対して暴力を振るったため近所の人が通報。かけつけた警官に逮捕されたけど、もう釈放されているわ』
「よくある話だな。どこでバクの宿主だと判断したんだ?」
『奥さんが「性格が急に変わった」と供述しているのよ。会社の同僚からも軽く話を聞いたけど「暴力沙汰とは全く無縁の人間だ」と揃って証言しているわ』
飛鳥はメールに添付された写真を開いた。そこに写っているのは、眼鏡をかけた、がりがりに痩せた、青瓢箪みたいな男である。
「なるほどな。それで西泉さんに確認してもらったらあたりだった、ということか」
『そういうこと』
ことらは耳に全神経を集中させ、一字一句逃さず聞き続けている。通話相手の声までは聞こえないが、飛鳥の台詞だけでもある程度事情を察することはできた。
『わたし達は他のバクを処理しに行くから、そちらはお願いできるかしら』
「おう、任せろ。そっちも気をつけろよ」
『お互いにね』
そこで通話は終了、飛鳥は「ただいま」とドアを開けて家の中へと入っていく。妹のことりが「おかえり」と返事をするのがことらの耳にも届いていた。
「……」
ことらは息をするのも忘れたかのように考えている。だが何を考えているのか自分でもよく判らない。思考回路の歯車がまるで噛み合っておらず、耳障りな雑音を立てて空回りをしているかのようだった。
その夜、ことらは普段通りに振る舞って父親に不審を持たれないよう努めた。小言に負けた振りをして勉強もして見せ、飛鳥を油断させている。
そして深夜、もうすぐ日付が変わるような時間帯。飛鳥が自動車で外出したのを自室から確認し、ことらもまた家を抜け出した。ことらは夜の町へと向かって自転車で走り出す。
「……これであの自動車を追うつもりかい?」
ロビンの疑問にことらは「まさか」と答えた。ことらに呼び出されたロビンは自転車の前輪上の籠の中に鎮座し、涼しい夜風を受けている。
「でも、追いつけなくても行き先が判ってれば一緒だろ」
「あそことは限らないけど、他に心当たりがあるわけでもないしね。行くだけ行ってみよう」
橋を渡って町中へ、角を曲がって坂道を降り、その途中にある神社の前で停車する。
「ほら、やっぱりここだ」
その駐車場には飛鳥の自動車が停められていた。ことらは少し離れた場所に自転車を置き、神社の境内へと乗り込んでいく。
「親父は? あそこか?」
ことらは神社の社殿へと向かおうとした。だがロビンが首を振り、いつにない真剣な声を出す。
「だめだ、あの場所には夢の妖精の結界が張られている。……この地域に僕の他に夢の妖精が来ているなんて」
ことらは忙しげに左右を見回した。
「わたし達も夢の世界に行くぞ。どこか他に結界を張れる場所は?」
「できるだけ人目に付かない、閉ざされた、狭い場所がいい。――あそこがちょうどよさそうだ」
ロビンが指し示したのは公衆トイレだった。ことらは顔をしかめる。
「他にないのかよ」
「ほら、急いで」
ことらはロビンに急かされ、やむを得ず公衆トイレへと向かった。その女子トイレの個室に入り、洋式トイレの便座へと腰を下ろす。
「それじゃ、転移する」
目を瞑る間もなく、いつもの眠りに落ちるような、自由落下するような感覚に襲われる。だがロビンが急いでいたため夢の世界への転移はかなり乱暴だった。車酔いのような目眩を覚えながらことらは立ち上がる。
「行くぞ」
トイレから飛び出したことらは神社の境内に出、魔法少女の赤いドレスを瞬時にまとった。
「親父はどこだ?」
「多分あっちだ」
とロビンが町中の方向を指差す。ことらはその方角へと向かって大きく跳躍した。
「何か感じる……近い!」
ことらは民家の屋根から屋根へと跳躍を続ける。ある民家の屋根までやってきたことらは咄嗟にうつ伏せになって身を隠した。次いでこっそりと頭を出し、その先の様子をうかがう。ことらの横ではロビンが同じように屋根から顔を出している。
「でりゃああっっ!」
「GGOORRAA!」
そこにはバクと戦う飛鳥の姿があった。飛鳥とバク、両者を中心として直径百メートル程の範囲が更地となっていて――その中央にプロレスのリングがある。そして飛鳥とバクはリングの上で肉弾戦を演じていた。
「……ええっと」
このまま帰って寝ようかと真剣に考えることらだが、少し見ているうちにどうやら飛鳥は真面目に戦っているようだと気が付いた。気を取り直したことらが戦いの様子を観察する。
魔法少女のドレスを着た飛鳥に対し、バクは黒いパンツ一枚身にしただけの半裸である。プロレスラー並みの巨体と筋肉を誇る飛鳥に対し、バクは飛鳥よりさらに一回り大きい体格で、その上異常に発達した筋肉で全身を覆っていた。それは人間が持ち得る筋肉の最大量を大幅に超えている。生理条件も物理法則も無視して筋肉の上に筋肉を積み重ねた、醜悪な姿であった。
「GGOORRAA!」
両手を組んだバクがそれを上段からハンマーのように振り下ろし、飛鳥の頭部を打ち据える。殴られた飛鳥は汗を撒き散らし、大きく頭を揺らした。だが飛鳥のダメージは見た目ほどではない。飛鳥がバクの腹部へと拳を叩き込み、バクは身体をくの字に曲げた。
「どうした、その程度か?」
「GGOORRAA……」
不敵に笑う飛鳥に対し、バクは不快げに唸っている。バクが雄叫びを上げながら突進。飛鳥とバクの右掌と左掌がぶつかり合い、噛み合った。手四つの状態で力比べとなり、両者が拮抗する。が、徐々に飛鳥が押された。
「ぐぐぐ……」
「GGOOGGOOGGOO……!」
上から全体重をかけて押し潰さんとするバクに対し、下に回った飛鳥が必死にそれを支えている。だがついに支えられなくなって飛鳥が一気に潰され――たように見せかけ、相手の懐に飛び込んだ飛鳥が背負い投げの要領でバクを投げる。バクの頭部はハンマーのようにリングに叩き付けられた。
「GGOORRAA……!」
それでもバクは立ち上がるがダメージも大きいようで、身体をふらつかせている。飛鳥はその隙にバクの後背へと回った。そしてバクの胴に手を回し、バクを持ち上げる。
「なかなか楽しかったが、そろそろ終わりにしようぜ」
もし現実なら二〇〇キログラムを超えるバクの巨体が高々と持ち上げられ、飛鳥の身体が弓のようにしなり、そのままバクへと後ろへと叩き付ける。プロレスの決め技の一つ、バックドロップ――いや、それはただのバックドロップではない。リングを蹴ってブリッジから前屈の状態に戻った飛鳥が、
「もう一丁!」
再度バックドロップを放つ。またリングを蹴って前屈の状態に戻り、再々度バックドロップ。それでもまだ終わりではない。
「まだまだ行くぞ!」
飛鳥は地獄の大車輪のごとき連続バックドロップでバクを痛め続けた。連続バックドロップは回転が見えなくなるくらいに速度を上げ、リングを乗り越えて放たれ続ける。バクと一緒に遠くに転がっていく父親をことらは唖然として眺めるだけである。
――なお翌日、この話をゆたかにしたところ、
「それはリッキー大和の必殺技、ローリングバックドロップです!」
と嬉々として語ってくれたがそれはまた別の話。
ことらはこっそりと移動して飛鳥とバクを追跡した。ことらが追いついたときには戦いは終わっていた。バクは完全に無力化し、封印されようとしているところだった。ことらとロビンは物陰からその様子をうかがっている。バクを封印しているのはフードと一体となったマントで姿を完全に覆い隠している、怪しげな存在だ。だがことらの膝までしかないその体格は夢の妖精以外ではあり得なかった。
「ロビン以外の夢の妖精……知ってる奴か?」
「……知らない人だ……そのはずだ」
ことらの問いにロビンはうめくように、絞り出すように答えていた。
やがてバクの封印が終了し、飛鳥は変身を解いて魔法少女の姿から私服へと戻っている。
「今日のバク退治はこれで終わりか。それじゃ俺を戻してくれ」
「ええ、お疲れさま」
飛鳥とその夢の妖精の姿がこの場所から――夢の世界からかき消える。
「二人が現実に戻ったんだ。僕達も」
「ああ、急げ」
ロビンは大急ぎで夢の世界から現実へと転移し、ことらは目眩に身体をふらつかせた。だがそれも長い時間ではない。公衆トイレから出たことらが社殿の近くまでやってきたときには、飛鳥が夢の妖精と別れて駐車場へと向かおうとしていた。夢の妖精は別方向へと移動していく。ロビンはその夢の妖精の方を指差した。
「あっちを追おう」
ロビンはことらの返答を聞かずに移動する。ことらは慌ててその後を追った。
「見失わないよう僕は先に行く。誘導するから後から追いついて」
とロビンが言うのでことらは一旦ロビンと別れ、自転車を取りに行った。その後はロビンのナビゲーションに従って自転車を走らせる。とは言ってもそのナビは道順を教えてくれるような親切なものではない。
(どんどん離れてる。もっと北に向かって)
「ああっ、くそっ、行き止まりかよ!」
ロビンの誘導は大体の距離と方向を示すだけだ。このためことらは一度ならず来た道を引き返す羽目になった。ことらには多少の余計な手間を取らせたものの、ロビンは尾行相手を見失うことなく追跡を続ける。幸いその夢の妖精の目的地はそう遠くない場所だった。出発点からは一キロメートルも離れていない、同じ町内だ。
「……あそこか?」
「うん、あの子はあの中に消えていった。これ以上追跡すればさすがに察知されるだろう」
ことらとロビンの視線の先には一軒の家があった。いや、屋敷と言う方がより正しいだろう。広大な敷地と庭園を有し、純和風の建屋は百年以上の歴史と風格を備えている。敷地の一角には大きな武道場が併設されていた。
「……あそこかよ。どういうことだ?」
ことらはその屋敷のことを知っている。屋敷の主のことをよく知っている。屋敷の数寄屋門には「金剛崎」という表札が掲げられていた。




