第一〇話 Bパート
それから数日を経て、次の土曜日。
「それでは行ってきます」
白い清楚なワンピースでおめかしをしたたつみが家を出る。天馬と龍子は複雑そうな表情でそれを見送っていたが、たつみはそれに気付かないふりをした。
そこに、天馬の携帯電話に着信が入る。
「もしもし」
『大聖寺君か。私だ、竪町だ』
その声は竪町雁之助のものだった。天馬は怪訝な顔をする。
「竪町さん? どうしたんですか?」
『うちの息子と君の娘さんのことで話がある。これから会うことはできんかね』
数瞬の逡巡を経て、
「構いません。場所はどちらでしょう」
天馬はそう返答した。
一方たつみは内渚駅前で雁也と待ち合わせだった。駅前でハンドバッグを手に佇むたつみの前に、雁也のアウディTTクーペが滑り込むようにやってくる。
「やあ、待たせたかな」
「いえ。それほどでも」
挨拶を交わしたたつみはその自動車に乗り込む。アウディは音もなく発進していった。
さらに一方、その様子を物陰からことらとゆたかが見つめている。自動車を尾行する手段を持たない二人はたつみが遠ざかっていくのを歯噛みしながら見送るしかなかった。
「ああっ、たつみちゃんが行っちゃいますよ」
「くそっ、みねこさんはまだかよ」
そこにタイミングよく、見覚えのある軽自動車が飛び込むように二人の前にやってきて急停車した。
「二人とも、すぐに乗って!」
「みねこさん!」
「お願いします!」
その車の後部座席にことら達が乗り込み、ドアを閉める間もなくスズキのラパンショコラが急発進。雁也のアウディを追跡した。
ラパンに乗り込み、二人はあることにすぐに気が付く。
「……ふふふ、あの泥棒猫。わたしから雁也さんを奪い取ろうしたって、そうはいかないわよ」
後部座席からゆたかが「あの、みねこさん」と躊躇いがちに声をかける。が、
「何?」
「いえ、何でもないです」
ぎらぎらと輝く眼を向けられ、ゆたかはすぐに問いかけを引っ込めた。みねこはことら達に対する関心をなくし、アウディの追跡に集中している。
「バクに取り憑かれているね」
ことらとゆたかの間から突然ロビンが沸いて出てくるが、二人は特に驚かなかった。ロビンが告げた事実にも「やっぱり」と頷くだけである。
「嫉妬や執着心を増幅されているのか?」
「そうだろうね。完全に暴走しているよ」
「バクに取り憑かれる前から暴走しているような人だったもんね」
ことら達はみねこに聞かれないよう顔を寄せ合い、こそこそと話をしている。みねこは後部座席の様子を全く気にかけていなかった。
「どうしよう、早く退治しないと」
「うん。でもそのためにはこの人に眠ってもらう必要がある」
「夜まで待つのかよ。長いな」
雁也のアウディは内陸へと、隣の市の中心地へと向かっていく。渋滞と言うほどではないが車道は混雑していて、そのアウディを見失う恐れは少なかった。
そのアウディの中では、
「今日はどこへ行くんですか?」
「親父から指示があったんだ。『話はつけておくから今日はたつみ君と美味しいものでも食べてこい』って」
という会話が交わされている。やがてそのアウディは市街中心地のとある高級旅館へと到着した。雁也とたつみがアウディから降りてその旅館の中へと入っていく姿は、みねこのラパンからも伺うことができた。
「ふふふふふ……」
みねこが地の底から響くかのような低い声で笑っている。後部座席のことらとゆたかは完全にどん引きとなっていて、物理的にもみねこと距離を置くため座席に背中を押し付けていた。
「ホテルに男と女が二人で入るなんて、一体何をするつもりなのかしらね。ふふふ……」
「いやあの、ホテルって言うより料亭か旅館だし、食事をして終わりなんじゃ……」
というゆたかのフォローもみねこの耳には入っていない。みねこはラパンを路肩に停め、放り出すように車を降りて走っていく。ことら達が止める間もなくみねこはその旅館へと突撃していった。
「……どうしよう」
「放っとくわけにもいかないか」
途方に暮れたようなゆたかと、肩をすくめることら。二人はみねこに続いてその車から降り、目前の旅館へと向かう。そこに、
「あら? どうしたの、こんなところに」
そこにいるのは龍子と天馬だ。二人は駐車場の方からやってきて、道路側からやってきたことら達と行き当たったのだ。
「おじさんとおばさん」
「わたし達はみねこさんの自動車でたつみ達を追跡してきたんだ。おばさん達は?」
「私達は竪町雁之助氏に呼び出されたんだ。今日ここで会談を持つことになっている」
そこで会話は途切れ、四人は顔を見合わせてそれぞれの推理を巡らせた。
「……雁之助氏が何か企んでいるようだな」
「そのようね。いい機会だからこの縁談話を断りましょうか」
龍子の提案に天馬は「話によってはそうする」と返答。完全に満足したわけではないようだが、龍子はそれ以上何も言わなかった。
「わたし達はどうしよう」
「たつみに関係する話なら聞かないわけにはいかないぞ」
ことらはそう言いつつも、
「あいにくだけどあなた達を連れていけないわよ」
と言う龍子に反論することできなかった。
「終わったらどんな話だったか聞かせてあげるから」
との龍子の言葉に妥協し、ことらは大人しく待つことを約束した。
……それから少し場からの時間を経て、旅館内。天馬と龍子は仲居の案内で旅館の奥へと消えていき、ことらとゆたかはラウンジに陣取っている。
「ここにいるのは判っているのよ! 出しなさいよ竪町雁也を!」
ロビーの一角ではみねこと旅館の従業員が押し問答をしており、強行突破を図るみねこと従業員が揉み合いとなり乱闘寸前となっていたが、ことらとゆたかは完全に他人の顔でそれを無視していた……額を冷や汗が流れるのはどうしようもなかったが。
「話ってどれくらいかかるんだろう」
「うーん。判らないですけど、食事をしながらの話だったら一番短くても一時間は」
そこに、不意にロビンが現れて二人の会話に口を挟んできた。
「それより、気が付いてる二人とも? すぐ近くにバクがいる」
「ああ、あそこで暴れてるな」
とことらは旅館の従業員と乱闘しているみねこを指し示す。が、ロビンを首を横に振った。
「いや、あれじゃない。もう一人、バクに取り憑かれた人がすぐ近くにいるんだ」
ことらとゆたかは目を見張り、次いで目を瞑ってバクの気配を探った。そして愕然とした顔を付き合わせる。
「本当だ……! もう一体バクがいる」
「みねこさんの気配に紛れて気が付かなかったんだ」
とことらは自分の迂闊さに舌打ちした。
「まさかバクが二体もいるなんて。どうしよう、こんな場所じゃ自由に動けないし」
と当惑顔のゆたかにロビンが提案した。
「それじゃ僕がバクの宿主を探してくる。まずはそれを確認しよう」
ことらとゆたかは「そうだな」「そうね」とそれに同意。それを受けてロビンはラウンジを離れ、旅館の奥へと入っていった。
ペンギンに似た謎のぬいぐるみがよたよたと旅館の廊下を歩いている。道中何度も仲居や客とすれ違うが、ロビンの姿に気が付いた人間は一人もいなかった。ロビンはやがて旅館の一番奥の客室へとやってきた。その客室には「鳳凰の間」という名称が付けられている。
「この奥みたいだね」
ロビンは幽霊のように戸板を通り抜け、その客室内へと入っていった。その客室内の様子は、ロビンの視覚情報はことらとゆたかも共有している。
「たつみがどうして」
「おじさんにおばさんまで」
眼前に広がる光景にことら達は己が目を疑った。
……時間を少しばかり遡り、たつみと雁也が仲居の案内で「鳳凰の間」へとやってきたところ。十二畳ほどの客室の中央には座卓が置かれ、その上には隙間なく懐石料理が並べられていた。
「どういうことだ?」
と雁也は首をひねる。その座卓には五人分の席が用意されていたからだ。
そのとき部屋の扉が開き、反射的にたつみ達が入口へと視線を走らせる。するとそこには、「鳳凰の間」の入口では二人の人物が佇んでいた。
「お父さんとお母さん」
その部屋に入ってこようとしていたのは龍子と天馬である。雁也は何故ここに大聖寺夫妻がいるのか判らず当惑した。
「大聖寺さん。どうしてここに」
天馬は「雁之助氏に呼ばれてな」と肩をすくめる。
「サプライズパーティでもやるつもりなんじゃないか?」
とにやりと笑う天馬。雁也は天馬のようには気持ちに余裕を持てず、
「お父さん! ここに来ているんでしょう?! どういうつもりです!」
と虚空に向かって大声を出した。
「騒がんでも聞こえておるわ」
障子が開いて姿を現したのは竪町雁之助氏である。雁之助氏は壮年の秘書に肩を貸してもらい移動、座卓の席の一つに着いた。雁之助は座った姿勢から他の四人を見回す。
「大聖寺君も座ってくれ。――お前も早く座れ」
雁之助に促されて四人は座卓の席に着く。あることに気を取られてたたつみは座るのが一番最後となった。
「この人……」
「バクに取り憑かれているね」
唐突に現れてそれを指摘するのはロビンである。たつみは慌てず騒がず「やっぱり」と頷いた。一方龍子は、
「まさかとは思ったけど、本当に?」
と驚きを禁じ得ないようだった。さらに一方天馬は驚きを飲み込み、
「面倒なことになったな」
と舌打ちをしている。
大聖寺一家がこそこそと話をしているのを目にした雁之助が「どうしたんだね?」と問い、天馬が「いえ、何でもありません」とごまかす。天馬はとりあえずそれきり口を閉ざし、雁之助の出方を伺った。
「お父さん、これはどういうことです」
口火を切ったのは雁也である。雁之助は茶を飲みながら、
「愚図のお前の後押しを儂がしてやろうというのだ」
とうそぶく。雁也は怒りを噛み締め、歯を軋ませた。雁之助はそれに一切構わず、
「おい」
と障子の向こうへと声をかける。障子が開き、雁之助の秘書と旅館の仲居があるものを手にたつみ達の前へと進み出た。
「こ、これは……」
「まさか、今日ここで」
彼等が手にしているのは御膳台であり、そこに載っているのは目録、長熨斗、金包包、鰹節、するめ、昆布等々。それらが何のためのものなのか、判らない者はこの場に一人もいなかった――この場ではないところにはいたけれど。
「何だありゃ?」
と首を傾げているのはことらである。一方のゆたかは顔を青くしている。
「……あれ、伝統的な結納品の一式です」
「結納?!」
ことらは声を裏返させた。
一方の「鳳凰の間」では異様な緊張感が空気を歪めていた。
「……どういうつもりです」
「見て判らんか。お前とたつみ君の結納を今やろうというのだ」
思いつく限りの罵詈雑言が雁也の口内を満たすが、それは口の外へは溢れなかった。代わりに口を開いたのは龍子である。
「竪町さん、この子はまだ中学二年です。結納なんて早すぎます」
「昔だったら男女とも一人前と見なされて結婚もできる年齢だ。何も問題はなかろう」
と鷹揚な素振りでその反対を受け流そうとする雁之助。
「昔って、そんなの江戸時代の話でしょう」
龍子は体裁を取りつくろうのも忘れ、吐き捨てるように言う。雁之助は眉を跳ね上げるが、特に何も言わなかった。
「お父さん、大聖寺さんに断りもせずにこんな席を設けるなんんて、失礼だとは思わないんですか?」
「大聖寺君は儂の右腕で地盤を引き継ぐ人間だ、儂にとっては息子に等しい。多少のわがままは問題あるまい」
「そう言っていただけるのは光栄ですが」
天馬は笑顔でそう言いつつも目は笑っていなかった。
「あまりにも急な話なもので、戸惑うばかりです。今日のところは家族の顔合わせにして、結納はまた今度……たつみが中学を卒業してからにしてはどうでしょう」
「いや、駄目だ」
雁之助は即座にそう言い、首を横に振った。
「君に地盤を譲るのは二人の結婚が前提だったはずだ。君はそれを反故にする気か?」
「いえ、そんなつもりは……ですが、うちのたつみはまだ子供です」
「もう一四歳だ、何も問題はない」
「そんなわけはないでしょう!」
ついに雁也が激高する。
「お父さんは病気のせいで心が弱っているんです! すぐに入院の手続きを」
「儂の頭がおかしくなったとでも言うのか!」
雁之助は懐から鉄扇を取り出し、それで雁也の頭部を痛打した。雁也は頭を押さえながらも抗弁する。
「そうとしか思えません、ここまで物分かりが悪くなるなんて……!」
「誰がお前をここまで育ててやったと思っている! 誰が就職の世話をしてやったと思っている! お前が好き勝手できたのは誰のおかげだと思っている!」
「だからってあんたの言いなりにならなきゃならない理由はない!」
竪町親子が見苦しい諍いをするのを、天馬と龍子は白けたように見つめている。一方のたつみは、
「うん、これおいしい」
と懐石料理に舌鼓を打っていた。
「ちょっと、あなたは当事者でしょう」
さすがに龍子がたつみをたしなめるが、たつみは意に介さなかった。
「バクに取り憑かれた人間に理屈が通用するわけありません。この場はその人の思うようにさせたらどうでしょう」
「バクを退治してから改めて話し合うってこと?」
龍子の確認にたつみがうなづく。天馬も、
「あるいはそれが最善かもしれんな」
と判断した。
「竪町さん、形だけでいいのならこの場で結納することもよしとしますが……」
天馬の提案に雁之助は色めき立って、
「さすがは大聖寺君だ」
と大きく頷く。一方の雁也は色を失っていたが、その雁也にたつみが接近した。
「この場だけ、形だけ、あの人を納得させるだけです。これが終わったらあの人の入院を進めてください」
たつみのささやきに雁也は沈黙。理性は早々にその案を承認したが、感情を納得させるのに時間がかかっているようだった。が、そのうちに感情も理性に抑え込まれる。
「……判りました。それじゃ結納を」
だがそのとき突然、
「わたしを裏切りつもり?!」
とみねこが「鳳凰の間」に飛び込んでくる。雁也は完全に石化した。みねこはそのまま部屋の中央まで突撃。座卓の上に飛び乗り、その勢いで食器がばらまかれて懐石料理が飛び散った。みねこはそれを一切構わず、座卓の上で仁王立ちになっている。
「あなたに雁也さんは渡さないわ、この泥棒猫!」
みねこは槍の穂先のように鋭く指をたつみへと突きつけた。あまりの事態に誰もが、雁之助すらが声を失っている。
「……もしかしてあなたにもバクが」
「何を訳の判らないことを言っているの」
たつみの呟きをみねこはせせら笑う。たつみは「失礼しました」とちょっと咳払いした。
「――えーっと。『ひどいわ雁也さん、わたしを騙したんですね』」
いっそ見事と言いたい棒読みでたつみは雁也を非難する。雁也は脊髄反射で反論した。
「最初に説明しただろう!」
だがたつみはそれを聞いていない。
「『わたしの他に女がいたなんて許せません。あなたとの婚約はもう破棄です』」
「いやだから……え?」
たつみの台詞に雁也は思わずたつみを見つめた。
「婚約を破棄してくれるのか?」
その確認にたつみが頷き、雁也の全身から力が抜けた。
「……そうか、よかった。これで大手を振ってみねこ君と結婚できるよ」
と屈託のない笑顔を見せる雁也。天馬と龍子も心から安堵しているのは同様だ。収まらない様子なのはたつみに突きつけた指をもてあましているみねこと、
「どういうつもりだ!」
激高している雁之助だった。
「みねこさんのような素敵な女性にわたしがかなうわけありません。わたしは大人しく身を引きます」
たつみは棒読みで白々しい台詞を述べている。雁之助は錯乱したように首を振った。
「あんなどこの馬の骨とも知れん女とお前が比べものになるか! 大聖寺家の血筋と資産、それを竪町が手にするための結婚なのに……!」
「子供に財産目当ての政略結婚をさせるなんて、恥ずかしくないの?」
座卓の上に仁王立ちになったままのみねこが雁之助を嘲笑する。雁之助の敵意がみねこへと向けられた。
「このあばずれが……! 貴様さえ出てこなければ全ては上手くいったものを」
「あなたが全ての元凶ってことね。ここであなたを倒し、わたしは雁也さんを手に入れる!」
雁之助は鉄扇でみねこを打ち据えんとし、みねこはハイヒールでそれを防御。ここに両者の乱闘が開始された。
「ちょっと! やめてくれ、落ち着いてくれ二人とも!」
何とか事態を収拾しようとしているのは雁也一人。大聖寺一家はその乱闘を傍観するだけである。
「バクの宿主同士の乱闘なんて、こんなこともあるんですね」
「そうね。わたしのときも確か一回あったくらいかしら」
「雁也君も苦労しそうだな」
乱闘は止めようとした雁也も加わり、三つ巴の混沌とした状態となっていた。雁之助の鉄扇がみねこの顎を打ち抜く。みねこのハイヒールが雁之助の頭頂部を打ち据える。そして雁也は両者からの攻撃を受けている。
「たつみ! みねこさん!」
ことらとゆたかが「鳳凰の間」に到着したときには乱闘は終息していた。
「……ええっと」
室内はひどい有様となっていた。三人が全力で乱闘した結果、懐石料理や食器の破片が部屋中にばらまかれ、足の踏み場もないかのようだ。その中で雁之助、みねこ、そして雁也が横たわっている。乱闘はトリプルノックアウトという形で終わりを告げたのだ。
「好都合だからこのまま寝かせておきましょう」
ことら達は簡単な事情の説明を受けながら、隣の部屋に布団を敷いて運び込んだ三人をそこに寝かせる。眠っている三人を見下ろしながら、
「ロビン、バクはどうなっているの」
「宿主は夢の世界に接続したよ。ただし二人同時にね」
その報告にことら達は顔を見合わせた。
「つまり二体のバクと同時に戦うってことになるのか?」
「その危険があるね。どうする? 今回は見送ろうか」
ことらの躊躇はそれほど長い時間ではなかった。
「いや、こっちのじいさんのバクだけでも倒しておきたい」
ことらの決意にゆたかが、龍子や天馬もまた頷いて同意を示す。ロビンはそれ以上反対しなかった。
「よし、魔法少女の出動だ」
ことら達は天馬と龍子にその和室から出ていってもらい、障子を閉め切った。今その和室にいるのはことら達三人と、布団で眠っている雁也達三人、それとロビンだけだ。
ことらとゆたかとたつみはその和室の一角で三角形を描いて立ち、目を瞑って互いの手を取った。
「それじゃ夢の世界に転移する」
足下の床が不意に消えて落下するような、いつもの感覚。ことら達は夢の世界へと転移していった。
……障子一枚を隔てた向こう側。未だ畳の上に懐石料理が散乱する「鳳凰の間」では、手間と龍子が所在なげに佇んでいた。
「あの子達は夢の世界に転移したようね」
「この向こう側は今どうなっているんだ?」
と障子を指差す天馬。
「――どうもなっていないわ」
そう答えたのは龍子ではなかった。天馬と龍子が声のした方を振り返ると、そこにはフードを深々と被り、それと一体となったマントをまとった何者かが立っている――ただし、その者の身長は天馬の膝の高さより低かった。
「魔法少女の精神は今夢の世界に転移していて、今そこにあるのは精神のない抜け殻のような身体だけ。夢の妖精は害意のある存在から魔法少女の身体を守るために結界を展開しているのよ」
その夢の妖精の言葉に天馬は「ふむ」と頷き、とっくりとその結界を、結界が張られているというその障子を眺めた。
「――なるほど確かに。入ってやろうと思っても、何故か足が前に進まん。結界は物理的なものではなく精神的なものだということか」
と納得する天馬を放置し、龍子はその夢の妖精――レンと話を進めた。
「レン、わたしも夢の世界に行きたいわ」
「ええもちろん。そのためにわたしがここに来たのだから」
「そうだな。笠間みねこはともかく、竪町さんのバクは子供達には荷が重いだろう」
と頷く天馬。が、龍子とレンは何故か白けたような目を天馬へと向けた。
「……ここに結界を張るからあなたには席を外してほしいのだけれど」
「何を言っている。私も行くに決まっているだろう」
当たり前のように言う天馬に龍子は「あなたが?」と驚きを見せた。天馬は「ああ」と力強く頷く。
「医王山さんも一里野さんもバクと戦って自分の子供を守ったのだ。私も二人に並ばなければならない」
「……確かに、意志の強さで竪町さんに対抗できそうなのはあなたくらいかもしれないわね」
と龍子も納得の様子を見せる。レンの「話はまとまった?」という問いに天馬と龍子は同時に頷いた。
「それじゃ、夢の世界に転移するわ」
レンが展開した、閉ざされた空間――結界。もしその中を見通せる存在がいたなら、畳の上に横たわる天馬と龍子の姿を見ることができただろう。天馬と龍子の精神はすでに夢の世界へと旅立っていたのだ。




