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第九話 Cパート



 それから数日後の日曜日、時刻は午前九時を回ったところである。


「それでは行ってきます」


 両親に挨拶をしたたつみが大聖寺邸から出てくる。その姿を見つめる四つの目があった。


「出てきました。たつみちゃんです」


「時間通りだな」


 たつみは黒いスーツを身にしており、下はパンツだ。長袖をまくり上げ、小さなバックを手にしている。大人っぽいその服装は背の高いたつみによく似合っていた。

 たつみが内渚町を徒歩で移動する。その数十メートル後方からことらとゆたかがたつみを追跡していた。ことらは長袖シャツとデニムのホットパンツ、ゆたかはブラウスシャツにカーゴパンツという、活動的な軽装だった。

 十数分歩いてたつみはある場所へとやってくる。そこは海に面したゴルフクラブである。


「おはようございます」


「ああ、どうも」


 その駐車場でたつみは竪町雁也と合流。二人が連れ立ってそのゴルフクラブへと入っていくのを、ことらとゆたかが物陰から見守っていた。


「……どうしましょう? わたし達がここに入るのは……」


「ここで待っていようぜ。こんな場所ならあの中年も妙な真似はしねーだろうし」


 そうですね、とゆたかはその案を了承した。二人はそれぞれ鞄から携帯ゲーム機を取り出し、それで暇を潰すこととした。

 一方たつみは雁也とともにゴルフコースを回っているところだった。たつみが絵に描いたような綺麗なフォームでボールをショットする。ボールは優雅な弧を描いて遙か彼方へと飛んでいった。


「ナイスショット」


「ありがとうございます」


 二人はボールを追って移動をした。


「初めてにしては随分上手いね。僕が教えることは何もなさそうだ」


「ゴルフはよくされるんですか?」


「付き合いで何回かやったことがあるだけだよ。君とそれほど差があるわけじゃない」


 ボールのある場所にやってきた雁也がボールをショットする。ボールは大きく曲がって林に突っ込み、雁也は舌打ちをした。


「なのにデートにゴルフを選んだんですか」


「普段なら当然他のことを選んでいるよ。映画なりドライブなり遊園地なり、ね。でもこの町でデートをしたい、って条件を出したのは君じゃないか」


 たつみはそれに対して何も言わず、ボールをショット。ボールは天高々と舞い上がり、雲に届くかと思われた。

 ……ハーフコースを回ったところでちょうど昼食時となったのでたつみは雁也に連れられてラウンジへと戻ってきた。その姿を、敷地の外の物陰からゆたかがオペラグラスで見守っている。


「戻ってきました! 多分ラウンジでお昼ご飯を食べるんだと思います」


「ラウンジだけならわたし達も入れるだろ、行こうぜ。腹も減ったしな」


 ことらが返答を待たずに小走りに移動する。それをゆたかが慌てて追った。

 ゴルフクラブのラウンジに突入した二人はウェイトレスの怪訝な顔に迎えられ、テーブルの一つに案内された。日曜のゴルフクラブには女性の姿は少なく、中学生などことら達以外にいるはずもない。周囲から浮き上がったことらとゆたかは居心地の悪い思いをしていた。


「ご注文がおきまりになりましたらお呼びください」


 とウェイトレスがメニューを置いて去っていく。二人は顔を隠すようにメニューを立てて開いた。


「うぐっ……この値段」


 とことらがうめく。ことらは苦しげにゆたかに告げた。


「どうしよう、金足りないかも」


 ゆたかも「中学生には厳しいですね」とため息をつき、


「……この場はわたしが立て替えます。領収書をもらっておいて、今度大聖寺のおじさんに『必要経費だ』って言って精算してもらいましょう」


 ことらは「それなら助かる」と安堵のため息をついた。


「経費で落ちるんなら、せっかくだからいいもの食おうか」


「自重してください」


 ことら達がそんな会話を交わしていることまでは判らない。が、その姿と振る舞いはたつみと雁也の目にしっかりと入っていた。


「学校の知り合いかい?」


 雁也の確認にたつみは「はい」と頷く。雁也は侮蔑を顔に浮かべた。


「優等生の君が大人とデートをしているのを野次馬しているのかな。下種な人間はどこにでもいるし、君には妬まれる理由がいくらでもあるからね」


 次いで雁也は真面目な顔となって、


「あらぬ噂を流されないよう君も気を付けた方がいい。必要ならこの場で僕からあの二人に注意するが」


「あの二人は友人です」


 静かな、だが確固たる口調でたつみは断言する。そこには「それ以上の誹謗は許さない」という強い意志が込められていた。


「彼女達はわたしのことを心配してくれているんだと思います。何しろ、一五歳も年上のロリコンの中年男と強引に結婚されられそうになっているのですから」


 たつみはすました顔で痛烈な皮肉を放つ。「ぐっ」と言葉に詰まった雁也は「降参」とばかりに肩をすくめた。


「友達のことを悪く言ったのは申し訳なかったから、一つだけ訂正してくれ。僕は決してロリコンじゃない」


 たつみは「判りました」と頷き、小さく笑う。それを受けた雁也もまた微笑みを見せた。


「そうか、君にも友達がいるんだな」


「はい。わたしには過ぎた友人です」


 とたつみ達が話している内容はことら達には聞こえない。判るのは二人の間に穏やかで優しげな空気が流れていることくらいだ。


「……いい雰囲気ですね」


 ゆたかの呟きにことらは内心同意しても頷きはしなかった。

 ――不意に、雁也の顔色が蒼白となる。雁也はテーブルの下へと身を隠した。


「どうしたんですか?」


「彼女に見つかったらまずいことになるんだ。竪町雁也はここにいない、君は知らない、いいね?」


 そう言ったきり、雁也はテーブルの下で石のように動きを止めた。呼吸すら最小限にして気配を消している。たつみが周囲を確認すると、さきほどラウンジに入ってきた一人の女性がラウンジ内を一巡りしているところだった。女性の立ち振る舞いは明らかに誰かを探しているそれだった。歳の頃は雁也とあまり変わらないだろう。それなりに美人だがかなり勝ち気そうである。

 その女性がたつみ達のテーブルへとやってくる。テーブルの下で雁也が動揺する気配がたつみにも伝わってきた。


「あなた、この男を見なかったかしら」


 とその女性がスマートフォンの画面を見せつつたつみに問う。その画面に表示されているのはその女性と仲睦まじく撮影された雁也の姿だった。


「いいえ」


 と首を振るたつみにその女性は舌打ちをする。


「あいつ、どこに行ったのかしら。自動車はここに置いてあるのに」


 雁也が動いてテーブルが揺れて皿やコップがぶつかるが、幸いその女性は雁也の存在に気付かなかった。


「邪魔をして悪かったわ」


 とその女性が立ち去っていく。しばらく時間を置き、テーブルの下から雁也が小声で「彼女はどうした?」と問う。


「ラウンジからは立ち去りました。コースの方を見に行ったようです」


「そうか」


 と雁也がテーブルの下から出てきて席に座り直した。


「今のうちに逃げよう。ここでなければどこでもいい」


 それに対し、たつみは特に異議を唱えなかった。

 ……その後、雁也は人目を忍びながらラウンジから駐車場へと移動。自分の自動車――アウディのTTクーペの助手席にたつみを乗せてゴルフクラブから走り去っていく。駐車場まではそれを追跡できたことらとゆたかだが、自動車を追跡する手段は持たなかった。


「くそっ……」


「さすがにこれ以上は……」


 悔しがることらと、諦めた様子のゆたか。そこに、


「ああっ、いつの間に!」


 駐車場の空きスペースの前で悲鳴を上げる一人の女性の姿があった。


「くそっ、あいつ! わたしに気付いて逃げたとしか思えないわ!」


 とその女性は地団駄を踏んでいる。ことら達はその女性の顔に見覚えがあった。


「ことらちゃん、あの人」


「ああ、さっきラウンジで」


 雁也の姿を探し求めて、たつみに話しかけていた女性である。


「あの、すみません」


 とゆたかはその女性に話しかけた。その女性は不思議そうに「何?」と答える。


「わたし達、友達を探しているんです。その子は中学二年なんですけど家が政治家で、他の政治家の家と縁談が進んでいるんです。ただ、その相手の人がもう三〇歳で」


 その女性はゆたかの肩を両手でがっしりと握りしめた。


「その話、詳しく聞かせてくれないかしら」


 知っていること全てを吐くまで逃がさない、とゆたかの肩に食い込むその指と爪が語っていた。

 一方その頃、たつみを乗せた雁也の自動車は北上を続けていた。雁也のアウディは内渚町の町中を抜け、吊り橋を渡っていく。


「さて、このままドライブとしゃれ込むのはどうだい?」


「構いません。ですが、その前に説明してくれませんか」


 雁也が口を開いたのは少しだけ時間を置いてからだった。


「……彼女の名前は笠間みねこ(かさま・みねこ)。県庁の同僚で、今彼女と付き合っている」


「交際相手がいるという話をしていましたね」


 とたつみは頷く。


「わたし達が結婚したときに愛人となる立場の人ですが、それを承諾しているのですか? どう見てもそんな風には見えなかったのですが」


「そもそもそんな話、彼女には一度もしていないよ」


 意表を突かれた顔をするたつみに、雁也はおかしげに小さく笑った。


「『他の女性と結婚するから愛人になれ』なんて言おうものなら、下手をしたら僕は彼女に殺される」


「それならどうしてわたしとの結婚にあんな条件を?」


「そんなの、君から断ってもらうために決まってるじゃないか!」


 たつみがその点に思いを至らせなかったことをなじるかのように雁也は言い放った。


「僕の立場では父に逆らうことができない。父が持ってきた縁談を自分から断ることができないんだ。だから君の方から断ってもらおうと思って、あんなろくでもない条件を出したのに……」


 話を聞いたたつみは「なるほど」と頷く。


「考えが足りなかったみたいです。すみませんでした」


 雁也は「君のせいじゃない」と首を振り、安堵したようなため息を漏らした。


「ともかく、判ってくれたならそれでいい。家に帰ったならすぐにでも縁談の断りを伝えてほしい」


「いえ、しばらくはこのままでお願いします」


 雁也が驚きの顔をたつみへと向ける。たつみが「前を向いてください」と注意し、雁也は視界を前方へと向けた。


「後援会のことなら心配する必要はない。大聖寺さんは信望を集めている。未だに僕に跡を継がせることにこだわっているのは父だけで、この縁談を断ったとしても大聖寺さんが被る不利益はほとんどゼロなんだ」


「父の都合ではありません。わたしの理由です。形だけの婚約をもうしばらく続けてください」


「何故? どうして? 僕みたいなおじさんと付き合ったところで面白くはないだろうに」


 たつみはその問いに答えない。答えをごまかすように視線を窓の外に向け――あることに気が付いた。


「……すぐ後ろを追っている自動車ですが」


 雁也はバックミラーで後方を確認し、頬を引きつらせた。


「みねこの車だ……! どうしてここが」


 雁也はアクセルを強く踏んでスピードを上げる。たつみはシートに深く身を沈め、後方から姿を見られないよう気を配った。雁也のアウディは住宅街を通り抜け、砂丘沿いの県道を爆走した。


「くそっ、離される!」


 スピードを上げるそのアウディを追い、笠間みねこの自動車――スズキのラパンショコラも速度を上げた。そのラパンにはことらとゆたかが同乗している。


「すごい、本当に見つかるなんて」


 と感嘆するゆたか。みねこは笑いながら「愛の力よ」とうそぶいた。


「ま、あいつの車のダッシュボードにGPS付きの携帯放り込んであるだけなんだけどね」


 後部座席のことらとゆたかはそろってがくっとずっこける。それに構わず、


「わたしから逃げられると思うなオラァ!」


 みねこはアクセルをさらに踏み込んだ。スピードメーターの表示はすでに一〇〇キロメートルを超えている。


「スピード違反なんですが」


「そんなこと言ってる場合か!」


 雁也のアウディもまたさらに速度を上げた。県道の左手には海が見えている。県道の両側には西瓜畑かビニールハウスが並ぶだけで、通行人は皆無。自動車の往来もほとんどない。カーチェイスを演じるには絶好の場所だった。


「そもそも、逃げてどうするつもりですか? ちゃんと向き合って話をするべきじゃないんですか?」


「……確かに、最初に隠れずにそうしていた方がよかったかもな。でもここまで来たらもう逃げ切るしかないだろう」


 たつみの指摘に雁也が憮然として答える。


「それに『中学生と婚約した』なんて話はたとえ形だけでもあまりに体裁が悪い。言わないで済むならそれに越したことはない」


 逃げれば逃げるほど後で言い訳が苦しくなるだけなんじゃないか――たつみはそう思いつつもそれ以上何も言わなかった。交際相手の横やりで形だけの婚約も崩される恐れがあり、それはたつみにとって不都合だったからである。

 雁也のアウディは県道から出、県道の横に併設されている自動車専用道路に移動。それを北上した。アウディは時速一三〇キロメートルの速度を当たり前に出している。


「スピード違反なんですが」


「大目に見てくれ。これだけ離しておけばもう追いつかれないだろう」


 雁也は適当なところでその自動車専用道路を下り、国道へと移った。国道を今度は南下し、内渚町目指して走っていく。国道上では雁也は無理な速度で走ることはなかった。


「とんだドライブになったな。適当なところでお茶でも飲もう」


「……いえ、気を抜くのは早いようです」


 たつみに注意を促され、雁也はバックミラーを確認する。そこには笠間みねこが駆るラパンが国道を疾走している姿が映っていた。


「……何故、どうして、どういうことだ」


 混乱し、惑乱し、恐慌状態に陥る雁也。一方たつみも不審を募らせていた。


「あれだけ引き離したのだからどこで国道に入ったかなんて判るはずがない。それなのに追いつかれるなんて、あまりに不自然だわ」


 たつみは左右を見回し、何気なくダッシュボードを開く。そこから携帯電話が転がり出た。


「これは?」


「誰のだ? 入れた覚えがない」


 たつみはその携帯電話の一番上に登録されている番号に電話をつないだ。一度目のコールの途中で電話がつながり、


『……ふふふふ、逃がしはしないわよ雁也さん』


 ――即座に通話を打ち切った。雁也の顔色は紙のように白くなっている。


「電源さえ落とせばGPS機能は使えないはずだわ」


「そうか。これで逃げられるな」


 たつみと雁也は数十秒前の出来事をなかったこととした。たつみは電源を落とそうとし、あるアイディアを思いつく。


「少しの間だけでも相手を引き離すことはできないかしら」


「やってみよう」


 雁也はアクセルを踏み込んだ。

 雁也のアウディが小刻みに車線を変更する。自動車と自動車の間を糸を縫うように走り、笠間みねことの距離を十数台分稼いだ。ちょうどそこで赤信号に捕まり信号待ちとなる。


「大丈夫そうね」


 たつみは笠間みねこの自動車から見られない位置にあることを確認の上、窓を開け、


「えいっ」


 携帯電話を放り投げた。その携帯電話は隣の車線に停まっているトラックの荷台上を転がっていく。

 信号が青に変わり、雁也のアウディが走り出した。充分に距離を置いたことを確認した雁也は国道から側道へと車線を変更する。笠間みねこのラパンが雁也達の上を通り過ぎ、走り去っていくのが確認できた。


「……はあ」


 雁也は安堵のため息をつく。それを見守るたつみもまた柔らかに笑っていた。

 ……雁也がたつみを自宅近くまで送り届けたときには時刻は夕方となり、日差しはすっかり傾いていた。


「今日は面倒なことに付き合わせて悪かったよ」


「いえ、気にしないでください」


 たつみはアウディから降りて頭を下げた。


「それじゃ、また来週もお願いします」


「ああ、また来週」


 別れの挨拶をしたたつみの背中が遠ざかるのを雁也は微笑ましく見送り――不意に我に返って頭を抱えた。


「『また来週』? 来週も誘わなきゃいけないのか? ……どうしてこうなった」


 雁也の疑問に答える者はどこにもいなかった。








 ……なお、その夜。


「雁也さんはどこー?!」


「それ以前にここがどこだよ」


「あの、あれってもしかして」


 ゆたかが指差す先にある特徴的なその景色は、日本三景の一つのように思えてならなかった。








 さらにその夜、竪町家。


「ごほっ、ごほっ」


 竪町雁之助は畳の上に這いつくばり、強く咳き込んでいた。そのままの姿勢で身体を止め、発作が通り過ぎるのをただひたすら待つ。


「……ふう」


 ようやく発作が治まり、竪町雁之助は座椅子にその身体を沈めた。震える手で薬の入った小瓶を掴もうとするが、逆に小瓶をはね飛ばしてしまう。飛んでいった小瓶は畳の上を転がり、錠剤を撒き散らした。


「……くそっ」


 身体が思うように動かない。内臓や気管支が蝕まれているのが感じられる。心臓の鼓動は弱くなり、小さくなる一方だ。自分の寿命がもうあとわずかしか残っていないことを嫌と言うほど実感できる。


「死ぬのは仕方ない……だが、このままでは死ぬに死ねん。儂の地盤を雁也の子供に引き継がせる、それまで死ねるものか」


 雁之助は病魔に犯され、その頬は痩せ細るばかりだ。誰が見ても今の雁之助は年老い、病に冒されたただの老人にしか見えないだろう。だが、その眼光だけは往年の輝きを保っていた。


「大聖寺家からその家名と資産を、儂から地盤を受け継いだ雁也の子供が、この国の宰相となる。儂の血がこの国を支配するのだ……!」


 かつて有力政治家として首相の座を狙った眼――雁之助は未だその眼を有している。だがその当時、その眼に光を宿らせていた計算高さや自制心はもうとっくに失われている。それに代わり今彼の眼に光をもたらしているのは、妄執や妄想だった。

 蛍光灯の光が畳の上に雁之助の影を映し出している。その影の中に潜む獣が今、歪んだ嗤いを見せた。




 第一〇話「子供は親の奴隷じゃない」


 Aパートは11月03日月曜日21時、

 Bパートは11月04日火曜日21時、

 Cパートは11月05日水曜日21時、


 の更新予定です。

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