目覚めて、昼。眠れば、明日。
主にレイン視点の回。
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「よし」
ベッドに腰かけたまま、ぺちっと両頬を叩いて気合いを入れる。
どん底へと行きかけた思考も、少しでも寝ると幾分か回復した。
やっぱり、寝不足はいけない。
「――――――落ち込んでもくよくよしても、そのままじゃ終われないわ」
いつか大切な人が言っていたその言葉を、イリスは確かめるように口にした。
◆◆◆◆◆◆◆
起きてみるとちょうど昼だった。
俺はまだはっきりとしない頭をなんとか動かしながら自室を出る。
イリスを客室へと送ってから、2階で自分も仮眠をとっていたのだ。
―――そういや、アイツを起こすんだったか。
ゆっくりと足を階下へ向けた。
しかし、なんでか軽やかな女性たちの話し声が、いつも家族がくつろぐ部屋から聞こえる。
エルフの優れた聴覚が、今まさに起こしに行こうとしていた奴の声も拾った。
「?」
その声にひかれるままに、扉を開ける。
「あ。レインおはよ」
ドアの開く音を聞きつけて顔を上げたイリスが柔らかに挨拶をしてきた。
しかしそのままイリスを見た瞬間、俺は絶句した。一気に寝ぼけた意識が覚醒する。
「……お前」
目の前には薬草が色とりどり並べられていた。どうやらババァが己のコレクションになりつつあるそれらをイリスに見せているところのようだ。綺麗な木造の床に座り込んでイリスとアンは興味深くその薬草を眺めている。
また、イリスは深緑色のドレスから白いシャツにジーンズという少年のような格好に着替えていた。
別にそれに関しては驚くことじゃない。
いや、ババァは気難しいから、大切な薬草を他者に見せてやっていることは確かに珍事だったが、レインが驚いたのはそこではなかった。
「お前、髪……」
腰まで流れていた淡い栗色の髪が、肩に着く程度までふっさりと切り揃えられていたのだ。
男だろうと女だろうとエルフにとって髪は大切なものだった。
それが綺麗で、長ければ長いだけ、魅力が増すとされていた。
「あ、この髪?似合ってない?」
短くなった髪の先をちょんちょんと引っ張りながら、落ち着かなげな視線を向けてくる。
「いや、そうじゃなくて」
蜜を溶かし込んだような瞳が微妙に潤み、それを真正面から見てなんだか無駄に焦った。
似合ってるかそうでないかと聞かれれば似合っているが。
「やっぱりレインももったいないと思うわよね?今の髪型だって似合うけど、やっぱりイリスちゃんの髪は長くてたっぷりしていて、触り心地が良さそうだったから残念だわ」
そう。アンの言う通り、もったいないと思った。
後半を心底惜しそうにアンがイリスに向けて言うと、彼女はアンに向けて嬉しそうに微笑んだ。
俺はイリスの視線が外れて、ホッとしたような残念なような複雑な気持ちになった。
「アンさんにそう言ってもらえると嬉しいなぁ。でもこれからエリスの花の試練だし、邪魔になるかと思いまして」
イリスはおどけて言ったが、その時ほんのりと目の奥が翳ったように見えた。
何か、あったのか?
何かとは言ってもイリスは笑顔で別れて、眠ってただけのはずだ。
単純に考えれば試されることへの哀しみだと思うが、違う気もする。寝る前にあれだけ怒ってない宣言もしてたし、それに嘘もなかった。
だが何となくここで聞くのは憚られて、他のことに話を移す。
「まぁ、そんなのお前の勝手だけど。それよりちゃんと眠れたのか?」
窓の外の日の高さをみる限り、正午前だ。それから考えて俺が寝たのは4時間ぐらいだから、同じくらいは寝れたのだろうか。
「ふん。お前が寝坊助なだけじゃわい」
余計な所から余計な言葉が入った。
自然と口の端が歪むのがわかる。
「……ばぁさんには聞いてねぇっつの」
だが寝起きでダルい今は、強く反論しない。
聞かれてもいいように口調もいくぶん和らげたつもりだ。
イリスが面白げにこちらを見てくるのもなんとなく気に入らないが、無視だ。無視。
反面、元気にみえるイリスの様子に安堵する。夜に見た時は、たぶん緊張やら疲労やらで頬が青ざめていた。
本当はあんまりにも体調が悪そうに見えて、ここへ案内する道中もイリスを担いでやろうとしたのだが、イリスはその申し出をやんわり拒否した。
もしかしたらエルフである俺も神経をすり減らす要因かもしれないと思って、結局それ以上強く出ることができなかった。
地獄耳のババァもフンッと鼻を鳴らすだけでこの会話は終了とばかりに、イリスへと向き直った。
「ほら、イリスよ。この中からどれでも好きなだけ持っていって良いぞ」
「えっ!?いいんですか?」
イリスが素で驚いている。
そして俺も驚いた。あのケチなばぁさんが。
これは、相当気に入ってる証しだ。
――――なら、どうしてエリスの花探しなんか――
続きそうになった疑問もばぁさんの呆れたような声で打ち切られた。
「何のために見せたと思うておったのじゃ。お主が薬草に強いならばこれらもしっかり使いこなせようて」
俺は自慢のためだと思ってたよ。
「そうねぇ。私でも見たことのないここの薬草、ほとんど言い当てちゃったものね」
それは凄い、と素直に思った。
アンは癒し手としてこの森でかなり名高い。
専門は魔法による癒し系の術だが、薬草に関しても見識が高い。
その知識量を凌ぐなら、かなりなもんだ。
イリスは恐縮しながらも、素直に受け取った。
「じゃ、お言葉に甘えて。……うーん。これとこの根と………」
厳選して、イリスが試練のお供を選んでいく。十数種を器用にアンからもらったと思われるポーチに収納していく。明らかに薬草を扱いなれていた。
「それだけで良いのか?」
「はいもう十分です。ありがとうございます」
そんな平和なやり取りを脚の低い椅子に座りながらぼんやり見ていると、兄上が部屋へと呼びに来た。
「お。レインも起きたか。下に昼御飯が出来たから、ちょっと早いが温かいうちに食べに来てくれ」
………兄上は、相変わらず料理がお好きだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
お昼を食べてから(なんとそのお昼はルールルさんが作ってくれたものらしい。レインが呆れ気味に教えてくれた。とても美味しかった)、本格的に試練に挑む準備をした。
一応眠ったが、なかなか深くは寝付けず、お昼前に起き出してお婆様から薬草を譲り受けていた。
そこに起きてきたレインは、準備その1の短い髪を見るなり、他のエルフたちと同じくかなり驚いていた。そういえばあのお婆様までビックリしていた。
どうやらエルフの美意識には綺麗で長い髪が含まれているようだ。
けれど私には準備として必要なことだった。
物理的に邪魔なのもあるけれど、心理的にも。
失恋したときのように過去との決別をしたかったから。
昔から髪だけはよく褒められていたから、ちょっと惜しかったけれど。
仕方ない。
まぁまた伸ばせばいいしね。
そんなことよりも、レインの格好の変化の方が私は気になった。
最初は寝起きだからかと思ったけれど、お昼を食べ終わってからも最初見た時のようなたくさんのアクセサリーをしていない。
今彼を飾るのは、こめかみから流れる両側の髪のひと房をそれぞれ束ねる飾りと、両耳で揺れる紅いピアスだけだ。
何故かと聞くと、あれは正装のようなものだったらしい。"付き人"を迎えに行くためにわざわざ着替えていたのだとか。
装飾品がなくても格好よさが変わらないとか、ちょっとずるいと思う。
不貞腐れて反対側の横を向くと、アンさんがいる。
うん。こちらは文句なしに美しい。
頬にある赤い紋様は呪であるらしく、化粧でも刺青でもないことが判明した。
この紋様は結婚を約束した女性につけるらしい。ちなみにというか予想通りというかお相手はルールルさんだ。
呪は身体のどこに付けてもいいという。しかし普通は手の甲や腕、首筋につけるらしいが、ルールルさんはあえて顔という目立つところに。
虫除けだよーと言って笑っていたルールルさん…………独占欲、半端ないと思います。
お婆様からは薬草を。
アンさんからは服やポーチなどを。
ルールルさんからは食糧とナイフを。
それぞれのエルフから有り難く受け取った。
「……なんだ。もう準備に必要なものは全部揃えたのか」
レインは一人だけ世話を焼けなくて不満そうだ。エルフたちは優しすぎて、本当に困る。
「ええ。レインからは沢山の心配をもらったから、準備は万端よ!」
恥ずかしいから、ちょっとおどけて言ってみる。けれど下手な気遣いは通用しないのか、レインは苦笑してぽん、と頭を撫でてくれた。
「ま、がんばれ」
その声があんまりにも心に響いて、泣かないように頷くのが精一杯だった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
イリスが明日のために客室に引っ込んだのを確認して、俺は長老の部屋へ向かった。
ノックもせずにガチャリと開ける。
と、途端に物凄い勢いで何かが顔へと投げつけられる。それをサッとよけて後ろ手にドアを閉めた。
「ノックぐらいせんか。ここは今、淑女の部屋じゃぞ」
「気配で分かってただろ。それより淑女がいきなり物を投げるのはどうかと思うぜ、ババァ」
とは言うものの、こんなの挨拶の内にも入らない。ドアに当たって砕けた木の実の殻を、じりっと踏み潰す。
そんな俺の様子をババァはとっくりと観察していた。
「で?なんの用じゃ」
「イリスのことだ――――師匠。なんでこんなことするんだ?師匠もすごい気に入ってるだろ」
ふざけていないことを知らしめたくて、昔のように師匠と呼ぶ。
さっき見た不安げに揺れる蜜色の瞳を思い出して、胸のどこかが熱く、ざわめいた。
こんなに心が揺れるのは情が移ったからか?
けれど仲間のエルフに感じる友情や親愛とは違う気がした。
じゃあイリスが人間で、弱いから庇護欲が湧いたか?
なんだかそれも、違う気がする。
「必要だからじゃ」
簡潔に、師匠は答えた。
厳しいようでもあたたかいようでもある、老人特有の不思議な声。
その答えはイリスの曖昧な自己分析と一致していて、やっぱり師匠は”何が、何故必要なのか”を知っているようだ。
きっとそれは間違っていないだろうけど、納得いかない。理不尽だ。ただ受け入れてやればいいと思う。
「……アイツが"悪さ"をするなら力ずくで押さえ込めばいいだろ」
エルフは穏やかで、理知的な性質を持っているが、反面過激な部分もあった。
裏切りには特に厳しい。これは人間に対してだけでなく、エルフ同士の間でも変わらない。
制裁を加えられるか、加えられないかは相手と自分の強さに関わってくる。
弱い者の代わりに制裁を加えるのが、当主筋の仕事の一つでもあった。
あの時。
直情的なアンは、きっとイリスを里に受け入れることを善意のみで言っていた。
けれど俺も兄上も心の中では同じことを考えていたはずだ。
「……イリスをこれからこの里で"飼って"監視をすれば良い、と?」
"飼う"と指摘されて言葉に詰まった。
手のひらに変な汗をかく。
同時に長老の探るような目を向けられて、ひやりとしたものが背中にも伝った。
『イリスは弱い人間だ。魔力もない。
―――これなら、大丈夫。』
俺達兄弟は咄嗟にそう考えてアンの提案を飲もうとした。
危険か危険でないか。いざという時、押さえ込めるかどうか。
エルフの里を大切にしろと言ってくれたイリス。自分を疑えと言ったイリス。
そうわざわざ言ってくるという事は俺達の打算に気づいていないということだ。
そこに信頼すら感じ取れて、苦しい。
疑うことを正当化するために、イリスの粗を探そうとしてじっくりと観察すればするほど、イリスは善良で目の前の現実に対応しようと一生懸命だ。
―――その姿から観察ではない理由で、目を離せなくなりつつある。
もし本当に俺達が……俺がこういう考え方をしていると知ったら、アイツはどう思うだろう?
今度こそ怒るだろうか。仕方がないことだと諦めるのだろうか。悲しむだろうか。軽蔑を……するだろうか。
脳裏で不安げな瞳がもう一度再生されて、そのままぎゅうっと心臓が握り込められたように傷む。
疑いたくないという欲求は強くなるばかりで。
けれど、イリスが言ったようにこの里も大切だ。
「………そう考えるよう、教え込んできたのはあんただろ。師匠」
言い訳のように反論した言葉は、その最低な思考を肯定したことにもなる。
実際の当主筋に求められるのは魔力や体術の強さだけじゃない。
他のエルフにはあまりみられない、この疑い深さこそが、俺達がこの里で当主の家系である強みだ。
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むー。雲行き怪しい?
登場人物を追い込むのがどうやら好きな私の性格は悪いと気づきました。今さらですね←