第二話 無能の烙印を押された俺、魔族の伯爵令嬢に見初められる
気が付いたとき、俺は冷たい石の上に横たわっていた。
口に残る血を吐き捨て、ゆっくりと目を開ける。
――目の前には、そびえ立つ漆黒の城。
尖塔は岩盤を突き破るように伸び、闇の中にその輪郭を浮かび上がらせている。
ここは紛れもなくダンジョンの中だ。
湿った岩壁、頭上から滴る淡い光。
その中心に、不気味な城が鎮座していた。
「……なんだ、ここは……」
石畳の道は城門へと続き、振り返れば岩壁。
進むしかなかった。
城門を抜けると、さらに大きな門扉が現れる。
彫り込まれた紋様は歪み、まるで「入れ」と命じているようだった。
俺が触れるより先に、重い扉は勝手に開いた。
冷たい空気が押し寄せる。
踏み込んだ瞬間、背後で轟音。
厚い扉は閉ざされ、牢に鍵をかけられたかのような音が響いた。
不気味な予感が背筋を這い上がる。
それでも進むしかない。
大広間は薄暗く、燭台の炎が頼りなく揺れていた。
長い廊下の奥へと、俺の足音だけが冷たく響いていく。
広間を抜けた先で――うごめく影。
現れたのは牛の頭をした巨躯。
握る鉄槌が天井を割らんばかりに振り上げられる。
恐怖で足が凍りつく。
鉄槌が振り下ろされる――
すんでのところで足が動き、転がるようにかわした。
床石が砕け、破片が跳ねる。
「う、うわああああ!」
必死に走る。だが正面からも同じ怪物。
咄嗟に階段を見つけ、駆け上がる。
背後からは唸り声と足音。
先にあった扉へ飛び込む。
背後の扉が音を立てて閉じた。もう逃げ場はない。
「……閉じ込められた……」
そこは舞台のような空間だった。
中央には円形のステージ。
周囲を無数の観客席が取り囲む。
そこには制服姿の人形たちが座っていた。
だが次の瞬間、一斉にこちらを向いた。
見覚えのある顔……同じクラスの連中だ。
無機質な人形が、あの日のように笑いだす。
「おいキョウセイ、雑魚すぎだろ!」
「スライムにすら負けるのかよ!」
「癇癪持ち!」
口だけが裂け、あざけり笑う。
「……やめろ……」
耳を塞いでも、声は頭に叩き込まれる。
六か月間、教室で浴び続けた声と同じ。
「やめろって言ってるだろォォォォ!!!」
怒りが爆ぜ、赤黒い焔が全身を包む。
炎は観客席を薙ぎ払った。
人形たちは声もなく、燃え落ちていった。
なおも焔は舞台を焦がし続ける。
俺は荒い息を吐く。
「あああああああああッ!!!」
胸の奥の怒りは収まらず、喉が裂けるほどの叫びが響き渡る。
――そのとき。
パチ、パチ、と拍手が場内に響いた。
はっと顔を上げると、舞台の中央に“影”が立っていた。
いつからそこにいたのか。気配など、まるで感じなかった。
小柄な少女。
深い青の髪をツインテールにまとめ、ワンピースをまとっている。
薄ら笑いを浮かべ、俺を真っ直ぐに射抜いてくる。
「……あなた、面白い魂をしているのね」
楽しげに目を細めた。
「ほんとは、ちょっと驚かすだけのつもりだったの。でも――興味が湧いちゃった」
少女は裾を摘まんで一礼し、優雅に口を開いた。
「初めまして。私はノクターリア。魔族の中で伯爵の位を頂く者」
声色は艶やかで、舞台の役者が観客に語りかけるように張りを持っていた。
「――ようこそ、私の居城へ。歓迎するわ」
「……俺をどうするつもりだ」
ノクターリアは唇に笑みを残したまま、肩をすくめる。
「どうもしないわ。ただ――」
言葉の途中で、その姿が掻き消えた。
次の瞬間、耳元に吐息。
背筋を撫でるような声が囁く。
「あなたの魂に……触れさせて欲しい」
頬に、生温い感触。
舐められたと気づいた瞬間、全身が総毛立った。
思わず後ずさる。
ノクターリアの笑みが、ふいに止まった。
氷のような瞳が大きく見開かれる。
「……あなた……その魂は……」
低い吐息が漏れる。
今までの余裕は消え失せ、瞳に艶めいた光がにじんでいた。
「ねえ、あなたのスキルはなに? 何を持っているの?」
一歩、また一歩と、俺に近づいてくる。
その声音は甘く、しかし切迫していた。
「答えて――私に見せてちょうだい」
「……スキルを見せろだと?」
胸の奥で、また怒りがざわめいた。
なんなんだこいつは――俺をおもちゃにでもするつもりか。
「ふざけるなッ!!!」
抑えきれない激情が全身を駆け巡る。
次の瞬間、俺の体から赤黒い焔が噴き上がった。
黒炎はバチバチと空気を裂き、渦を巻く。
視界が焼け、音が消え、ただ炎だけが世界を覆っていく。
ノクターリアの姿がその炎に呑まれた。
舞台の観客席も、石造りの床も、すべて黒炎に灼き尽くされる。
「はぁっ……はぁっ……」
荒い息を吐きながら、俺は立ち尽くした。
残ったのは、焦げた匂いと、なお燃え続ける黒炎だけ。
直後、耳のすぐ後ろで声がした。
「そのスキル……本来、人間が扱えるものじゃないのに」
振り向くと、そこにノクターリアが立っていた。
さっき焔に呑まれたはずの姿が、何事もなかったかのように。
また胸の奥で、黒い感情が渦を巻く。
「ねえ……私と契約を交わさない?」
突然の提案に、息が止まる。
「契約……だと?」
「そう。私のすべてをあなたに捧げる。知識も心も体も――そのすべてを」
ノクターリアの甘い声が、頭の中に響いてくる。
薄笑いを浮かべながらも、その瞳は狂気の光に濡れている。
「――その力のことも、教えてあげるわ」




