ブレ伝世界、その結末。
長い夢を見ていたようだった。
終わらない業務。上司に怒鳴られ、同僚は哀れみの目で見てくるばかり。後輩のミスは俺のミスになり、自分の仕事は一向に進まない。
ただでさえ忙しい業務が定時までに終わった試しはないし、カバーは時間外でしろ、自分のケツは自分で拭えとばかりに休日出勤を強いられる。
当然のように手当ては付かなくて、潰れてしまえこんな会社、そう思い始めたのは勤続何年目の事だっただろうか。
自分のキーボードを叩く音だけが響くオフィスで、俺は自分の心がぽっきりと折れる音を聞いた。
ささくれる俺の心を癒してくれたのは、もう何年も前、まだランドセルを背負って日々がきらきらと輝いていたあの頃に友人と競うように冒険を進めた古いゲームのタイトルだった。
何度も捲った攻略本の内容はすっかり頭に叩き込まれていて、単純なストーリーは何も考えずとも進めていける。
あの頃のわくわくとした感情が甦るようで、俺は久しぶりに心からの笑みを浮かべた。チープなBGM、操作は簡単。あっという間に辿り着いた魔王城。
終わって欲しくない。このまま、冒険に浸っていたい。
そんな思いを読み取ったように、見慣れたゲーム画面に見慣れない選択肢が現れた。
そうして具現化したのは俺の夢そのものの世界だった。貴方様が居てくれるだけで我々は奮起出来る。鼻息荒く語るのは倒したばかりの四天王の一人。
そうか、俺は魔王になったんだな。
身体中に力がみなぎるのが分かる。試しに腕を振ってみれば、それだけで遠くに見える森が消し飛んで荒野と化したのが分かった。
夢だろう。こんなものは現実なんかじゃない。
大人になってしまった俺はそう思って、自分の力に怯える事もなくそれを溜め続けた。
目的なんか無い。だって、ただの夢だ。哀れな社畜が見るただの夢。 ここぞとばかりにゆっくりと体を休めて、宰相が報告してくる情勢にただ頷いて返す。時折労いの言葉を掛けるだけで良い、あれはうっとりとした顔でありがたき幸せ、と言ってくるだけなのだから。
そうして惰眠を貪っていた俺の前に現れたのは、来る筈の勇者ではなく珍妙な格好をした年下の従妹だった。
やる気がないなら辞めてしまえ。これは夢なんかじゃない。
子供の頃、誤って彼女の玩具を壊してしまった時以来の怒った顔で、俺に一発の蹴りを入れてくる。
夢なんかじゃない。だってこれが現実のはずないだろう、ゲームの世界だぞ。
噎せる俺を包んだ光は俺と従妹を元の日常へと送り返したようだった。気が付けば城とは比べ物にならない程の狭いアパートで、俺はただ一人テレビの前に座り込んでいた。
見慣れたタイトル画面。外では雀が鳴いていて、いつもの朝だと取り囲む全てが告げている。
鳴り始めた時計を叩いて止めて、呆然としながら為すべき朝の支度を始める。夢だろう。何度も呟く。ネクタイを結ぶのが、何だか酷く久しぶりのような気がした。
変わらない日常がまた始まる。怒鳴られて、涙目の後輩に大丈夫だからと笑って見せて、疲れた足を引き摺ってアパートに帰る。
泥のように眠った俺の夢の中に、青い光が現れたのは数日経ってからの事だった。
『コウイチさんですね』
ふわりと浮かんだそれが声を出す。驚く事はなかった。あの夢のような世界で見た、千夏と共に俺を倒して元の日常へと送り返した、それそのものだ。
今更何の用。返した俺に静かに近付いてくる。
「ペナルティでもあるの?」
『貴方があの世界を歪ませた事に対して、ですか?』
魔王としてすべき事を部下に放り投げて、何もしなかった俺。そのせいで俺が愛するブレ伝の世界は一時危うくなってしまった。そう従妹も光も俺に告げてくる。
だから元凶の俺に、何か罰でも与えに来たのか。そう問い質した俺に光は更に近付いてきた。
胸元が青く光る。熱量は感じない。
『魔王は、消滅してしまいました』
「…は?」
『チナツさんは、勇者を依り代としてわたしが喚び出しました。そちらはあなた方が帰還した後に無事に切り離す事が出来たのですが、問題はあなたと、魔王です』
本来勇者に倒されて、改心して魔界を纏める筈だったその魔王。それがあなたと融合してしまったようですね。
めり込むように青い光が俺の中に入ってくる。痛みはない。少しざわざわとして鳥肌が立った。
「…どうなるの、それ」
『魔王不在では、あの世界はまた歪むでしょうね』
魔王が居て、それを倒す勇者が居る。そうしてこそのブレ伝の世界だ。どちらかが欠けてもシナリオは働かずにおかしくなってしまう。
魔王がきちんと働かない、それどころの騒ぎではない。今度はそれ以上に歪むだろう、最早予測は出来ない。
淡々と語るその光に、返す言葉を失ってしまう。
『ペナルティと言えば、ペナルティになるのかもしれませんが』
そう言って光が告げたその言葉に、思わず俺は笑ってしまった。
ああ、やはりこれは、長い夢を見ているようだ。
『つきましてはあなたに、魔王の役目を、━━勇者にきちんと倒されるべき魔王としての働きを、担っていただきたいと考えております』
仕事は相変わらずだ。早朝から満員電車に揺られて、いつもの業務をこなし続ける。
最近顔色良いね。不思議そうに見てくる同僚に、気のせいじゃないのと苦笑いを返す。
変わった事と言えば、帰宅後とか、週末。俺は誰にも内緒でブレ伝の世界に行き、魔王としての務めを果たしている位だ。
田舎で会った従妹は夏休みも終わって自宅に帰った。その自宅と俺のアパートは電車を使えばそう遠い距離でもないから、彼女は定期的に俺の元に訪れる。
「今日はスカート? ハヤテとデートでもするの」
「こうちゃんのばーか」
いー、と歯を剥き出す千夏に笑って、今日も魔法を発動させる。消費してしまってもあちらで何かを食べればすぐに回復するし、日常で魔力を使う事もないから気楽なものだ。
前髪を引っ張って、切りすぎたかもと気にする千夏に大して変わりないよと言おうとしてやめた。また蹴られては堪らない。魔王の俺にこうして強く当たるのは勇者の務めを果たしたこの年下の従妹位のものだ。
彼女はどうやら俺の配下、四天王の一人と恋仲であるらしい。よりによって最弱のやつ選ばなくても。そう言った俺に思い切り殴りかかってきたのが記憶に新しい。あれは、痛かった。
にこにこと魔王城を闊歩する彼女の元に、今日もお出迎えにそのハヤテがやって来る。
「ハヤテ!」
「おう。…陛下、今日もお勤めご苦労様です」
「ヤクザみたいだからそれやめてよ」
何度も言っているのに、真面目なこの男は畏まる姿勢を改めようとしない。気楽に頼むよ。そう言っても、かしこまりましたと口ばかりだ。
今日はどこに行こうか。先に仕事済ませるからちょっと待ってろ。
そんな二人の会話を他所に、俺は玉座の間へと向かった。
夢の中で、青い光が俺に言った。ブレイブ伝説は王道ですから。それが何だと返した俺に少し笑うように語り掛ける。
『勇者が魔王を倒した後に、勇者が不幸になるなんて結末は、王道としてあってはならないでしょう?』
実に楽しげにハヤテに絡む千夏を見て、これで良いんだろうといやに豪華な扉を開けた。田舎で見せた苦しそうな顔はもう、どこにもない。
アフターケアも万全な事で。少し笑って扉を閉める。
さあ、魔王業務の始まりだ。
これにて完結となります!今までお付き合い頂いてありがとうございましたー!!思ってたより長くなってしまった!
拙い話なのに途中でもブクマ&評価&感想くれた方々本当にありがとうございました!とても励みになりましたー!
よろしければ評価や感想などお願いします…!ここまで読んでいただいてありがとうございました!