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礎の姫  作者: 草月叶弥
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わたくしが生きていくこと

目を覚ますと知らない部屋の知らない寝台の上だった。

そのまま数ヵ月間わたくしはその部屋に監禁されていたのだと思う。思う。と、いうのは侍女がその様な話をしていたから。

わたくしが聞いたことを喋れないと分かると、彼女達の口は銅貨よりも軽くなるのだ。

ただわたくしは元々がその様な生活だったのもあって、何の不満も持たずにそこで過ごしていた。

不満があるとすれば1日に1度、何が入っているのか分からない薬湯を飲まされる事くらい。

毒によって味覚の大半が狂っているわたくしであっても感じる刺激臭と苦味は、薬湯が出された後は部屋の窓という窓を開けて換気をしなければならないくらいだ。


そんな穏やかな日々が続いていたある日、わたくしの前にあの、人殺しの男が姿を表した。

「不自由はないか」

膝躓き、頭を垂れるわたくしを椅子に座らせ、向かいに座った男の問いにわたくしは小さく頷いた。


初めは分からなかった。

何故、わたくしが【礎の姫】だと分かっていて生かされているのか。あの男は一体何者なのか。

今でも生かされている理由は分からないけれど、侍女や護衛のはなす内容から男の正体は推測する事が出来た。

実力主義を歌う隣国の、奴隷から一軍の長にまで上り詰めた男。


アルフィウス=ドナー


それが男の正体だった。


「どうかしたか?」

男の問いに、首を横にふることで何もない事を伝える。

「薬湯は飲んでいるか」

首肯すると、男は満足そうに口の端を引き上げた。



その日から更に数年経った。

苦痛しかもたらさなかった薬湯は日々進化を遂げ、今では少し癖が有るものの飲みやすくまろやかな味になっている。

壊れていた味覚は毒を喰らう事が無いお陰で、本来の味を感じ取れる様にまでなった。

侍女や護衛とは言葉が無くとも意思の疎通が行える様になってきており、それは男にも同じ事が言える。

「リュシェ」

毎日の鍛練の後、男は必ずわたくしの部屋を訪れる。

そして、甘く優しい声で男がつけたわたくしの名を呼ぶ。

呼ばれる度にわたくしの頬は微かに赤く染まり、心臓が鼓動を早める。

でもわたくしはその症状に名前を当てはめる事を望まなかった。

わたくしが望むのは穏やかで痛みの少ない終わりだけ。

勘違いしないように、そう日々自分を戒めるのに、穏やかな日々は私の心を弱く脆く崩していった。



「リュシェ、お前を妻とすることが決まった。」

ある日、男はそうわたくしに告げた。

いつかきっと言われるのだろう……覚悟はしていた筈なのに……

余程酷い顔をしていたのだろう。男はそっとわたくしの手を捕り、ひた、とわたくしを見つめた。

「お前を【礎の姫】として嫁とするのではない。

 俺の、アルフィウス=ドナーの妻として生涯を共にするのだ」

男の言葉に、わたくしは驚きを隠すことが出来なかった。

わたくしを妻に?毒に侵され子も望む事が出来ないわたくしを?

疑問が顔に出ていたのだろう。男はそっと手を撫でながらとつとつと語った。

「お前がずっと飲んでいた薬湯は毒を制し、体外に排出するためのものだった。

 最近は味が良くなってきていただろう?

 あれは、お前の毒が減ってきて、使う薬草が減ったためだ。

 そしてもう、お前の身体から有害な毒は抜けたと判断された。

 子を成す事は出来ないが、夫婦として過ごすことは出来る。

 元々俺は奴隷で、この地位も俺が死ねば取り上げられるような些細なものだ。跡継ぎなど必要ない。」

告げられた言葉を信頼するのを拒む自分がいる。

告げられた言葉を嬉しいと喜ぶ自分がいる。

相反する気持ちを抱えて混乱するわたくしの瞳からつぃ…と一筋、涙が零れました。


あぁ、わたくしはこの方を好いているのね。


涙と共に正直な気持ちがストンと心に降りてきました。

わたくしとアルフィウス様が夫婦となるまでには困難が待ち受けているでしょう。

でもそんな困難など、わたくしの今までの生に比べれば些細な事でしかありません。

わたくしはこの方と、幸せになりたい。そう思ったのですからどんな事でも耐えてみせましょう。


わたくしの手を握ってくださっているアルフィウス様の瞳を見つめ、手を口元まで寄せます。そしてその手の甲に静かに口づけを落としました。



この日、わたくしは【礎の姫】としてではなく「リュシェ」としてアルフィウス=ドナー様の妻となりました。

アルフィウス様の言った通り、処女を喪った後でこの身から毒が流れ出る事はなく、その事実にわたくしは堪えきれずに喜びの涙を流しました。

わたくしは残り短い生をこの方と一緒に出来るだけ長く生きていく…そう心に決めて。

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