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6.雨の日の涙

日曜日の朝、私は自室の布団の中で目が覚めた。


開きっぱなしのカーテンが遮らない朝日が、私の全身を貫いていた。

そのせいで目覚めのいい朝というわけにはいかなかった。

いきなり誰にたたき起こされた時のように、まだまぶたがくっついて離れない。


半目の状態で、体を回転させる。ベットサイドに置いてある置時計に目をやる。


・・・・んー、11・・・・?


しばし目を閉じて、再度時計の針の睨みつけた。

まだ完全にあき切らないまぶたを、無理やりこじあける。

数秒間静止した状態だった私の脳は、霧が一気に晴れていくように完全に目覚めた。


「11時半ー・・・!?」


後半は悲鳴のように声が鼻の上から抜けていった。

その叫びと同時にくるまっていた布団を弾き飛ばした。

素早くベットから飛び起きて床に飛び降りた瞬間、思いっきり顔からずっこけた。


「いったぁ~い・・・」


しかし痛かったのは顔ではなかった。・・・頭だ。割れるように痛い。

悶え苦しむわけでもなく、ズキンズキンという頭痛に静止して耐えた。

ベット脇の床の上で体育座りになり、私は小さく丸くなっていた。


これは、この痛みは・・・まぎれもなくあれだ。


久しぶりの感覚に、思い出すのに時間がかかってしまった。

吐き気や頭痛・めまい。二日酔いだ。


案の定今日は休みだったため時間的には問題はないが、せっかくの休日を二日酔いで過ごすなんて、酷すぎる。

嘆いたところで頭痛は消えたりはしないのだが、心の中で悪態をつく。


昨夜は仕事仲間に無理やり飲み会に連行されたのだ。

しかし、記憶がなくなるほど飲むなんて、いつぶりだろうか。

そう。昨日の記憶が全くないのだ。


飲み屋街で皆で顔合わせしたところまでは覚えているが、それ以後、今起きるまでの記憶が飛んでいる。

それはあまりにショックすぎる。

どうやってアパートまで、この自室まで帰ってきたのかも分からない。

友達に聞いた話によると、私は酒癖が悪いわけではないらしい。ただ、寝てしまうらしい。

ということは、自力で帰ってきたはずがないのだ。


はっとして私は自分の体に注目する。

いや、別にいやらしいことを考えたわけじゃなくて・・・。


そこで私はぎょっとする。私はいつも愛用している寝巻きをきていたのだ。

いや、普段なら普通のことだろうに。今は違う。

酔ったら寝てしまう人間が、帰ってきて着替えなどするだろうか?


ぐるぐるする思考回路をどうにかしたくて、めいいっぱい叫びたかったが、また頭に激痛が走りそうな予感がし堪えた。


私の昨日の状態を知っているとすれば、飲みに行った同僚達ぐらいだろうか。

しかし、「私昨日どうやって帰ったの?」なんてマヌケな質問できるだろうか。

親友にならともかく、仕事仲間に。恥ずかしすぎる。


そんなことを考えている最中、脳裏の片隅にある人物がよぎった。


そうだ。このアパートの一室には私以外の住人が居たんだった。


しかし、それに気づいた次の瞬間。

またもや頭をよぎっていったのは、その住人の手によって衣類を着替えさせられている泥酔した私。

あられもない格好を、好きな人に見られたなんて。

最悪だ。恥ずかしい。痛い。ヤバすぎる。


全身の血液が勢いよく流れ出したみたいに、一気に体温が上昇していくのが分かった。


そこで勢いよく立ち上がれば、また激しい頭痛と立ちくらみに襲われた。

ふとベットの端に目がついた。私の昨日着ていたであろうピンクのブラウスが畳んであった。

脱ぎ捨てた風はない。正しく畳まれてあった。


はやく真実を明らかにしなければ。

私は痛む頭に手を当てながら、自室を出てリビングに向かった。

しかし、人の気配はなかった。日曜日だから学校は休みのはずなのだが。

いや、違う。日曜日だからこそ友達と遊びにでも行っているのではないか?

泥酔した姉を看ているため、友達との予定を蹴るわけないじゃないか。


そこで私はひとりでに意味もなく笑ってしまった。


一瞬でも、彼が私をのことを心配して色々と世話を焼いてくれたんじゃないか、と思ってしまった。

頼りなく子供っぽい自分を恥ずかしくも思い、しかし彼の行動を想像して少し嬉しいとも感じてしまった。

そんな独りよがりな自分に羞恥心を覚えた。


薬買いに行かなきゃ。


その思考を早めにシャットアウトしなくては。

どんどん暗い考えに思考が陥ってしまう前に。

だから、私は自分自身の中で話題を変えてみた。


とにかく今はこの頭痛と吐き気をどうにしかしなくては、と。


素早く着替え、と言ってもジャージだが。

鏡に映った自分は全身真っ黒で、いかにも働き疲れた大人の休日といった雰囲気だった。

鞄には財布と携帯だけを終い、アパートを後にした。


外に出て初めて気づいたが、空は薄く雲がかかっていて今にも泣き出しそうだった。

そういえば昨日に「明日の降水確率は80%」とニュースが言っていたような。

歩きだしてからその事を思い出したため、一度私は立ち止まった。

灰色の空を手で仰いでから、おそらく大丈夫だろうという考えに至る。


それからもう一度鞄の取っ手皮を強く肩に押しつけ、私は歩き出した。


案の定、一番近場の薬局まで行く間に雨が降り出すといったことはなかった。

薬局では薬と栄養ドリンクなどを買った。

その他もろもろ食品なども。


その間にしゃがんだり立ち上がったりといった動作で、立ちくらみが何度があった。

しかし、吐き気はなく頭痛も少しだが弱まりつつあった。

家で寝てれば治ったかも・・・などとも思った。

だが気分転換のために外に出たのは正解だった。歩くことで少しだけ気分が楽になった。


そんなことを考えながら会計を終え、薬局を出た私は後悔した。

気分転換のために外に出たのが正解だなんて。一瞬でも思ったことを悔やんだ。


本当に家で寝てればよかった・・・。


薬局の外の道路を挟んだ向かい側の歩道に、よく見知った人物が居たからだ。

とっさに私は、建物と建物の隙間に身を隠した。

車通りもそれなりにあるし、向こうが気づくはずもないのに。

だが今は絶対に会いたくなかった。


その理由は、彼が学校の友達数人と一緒に居るからだ。


秀平を含み男子は三人。女子は二人だった。

皆私服だったため、同じ学校かは分からなかったが、おそらくは同い年くらいだろう。


腰まである髪にパーマをかけ、短パンに透けたシャツを着ている。

細く長い足を強調するように高いヒールを見事に履きこなしている。

その女の子が慣れた様子で、秀平の腕に自身の腕を絡みつかせていた。

お世辞ではなく、笑う笑顔がとても可愛らしかった。

青春の満喫真っ最中、といった鋭い輝きを放っていた。まるで新作の服みたい。


そんな彼女の手を振り払うことなく、平然と歩き続ける秀平。

周りの男子がゲラゲラとだらしなく笑っている。まるで冷やかすみたいに。


彼らと私との間を無数もの車が通りすぎるなか、そこだけ時間が止まったみたいだった。

一瞬も視線をそらすことができなかった。

彼らが隠れている私に気づくはずもなく、しばらくしてから交差点を曲がりその姿は見えなくなる。

その後ろ姿が消えていった街角を追いかけるように、私は建物の脇道を飛び出した。

しかしそこで急に足を重く感じ、それ以上彼ら視界に留めることはできなかった。


それは急に雨が降りだしたからでも、急な行動に立ちくらみがしたからでもない。


どのくらいその場に立ち尽くしていただろうか。

しばらくして私の思考は帰ろうという判断を下した。

雨は初め霧雨ぐらいだったが、次第に大粒の雨へと変わっていった。


「なにが大丈夫よ。大丈夫じゃないっての」


自分自身の判断ミスにツッコミをいれる。世に言う独り言だ。


だが、雨は嫌いじゃない。だって、雨は涙を隠してくれじゃない。

雷は泣き声をかき消してくれるじゃない。

だが自分自身に嘘をつくことはできない。雨は冷たいけれど、涙は熱いから。

頬を伝落ちていく熱いものが、自分の涙なんだとどうしても気づいてしまう。


傘を持ち合わせていない自分は全身ずぶ濡れで、道行く人から見たらさぞおかしかったことだろう。

それを予想してか、誰とも目を合わせないよう俯いて歩いていたため、途中何度も道に迷ってしまった。

自分の家へと帰るのに迷うなんて、違う意味で重症だ。

いや、潜在意識の方で帰りたくないと思ってしまっているのかもしれない。

いつかは帰らなくてはいけないのに。


できるだけ感情に蓋をして、考えないようにしていた。

記憶をあやふやにして思い出さないように。

そうでしないと今にも壊れてしまいそうだった。

胸が苦しくて、窒息しそうだ。酸素が足りない。

疾走しているわけでもないのに、私の呼吸は浅いものだった。


しかしふと見上げてみると、いつの間にか自分のアパート前に帰ってきていた。

だって、結局私の居場所はここにしかないもの。

だけど足は地に根が生えたみたいにそこから動かなくなっていた。

時間が過ぎれば過ぎるだけ、冷たい雨が体の温度と感覚を奪っていく。

もうすでにかなりの時間をこの雨にさらされていたため、治りかけていた頭痛は悪化していた。

涙と雨だけでなく、新たな症状で景色がかすみ出していた。

まさか二日酔いが風邪になるなんて。

こうなってもまだ心の奥底のどこかでは、彼が心配してくれるんじゃないかと期待してる。


自分の幼稚さにもはや笑えもしなかった。

いくら誰かを好きになろうとも、その気持ちを抑制できるのが大人だと思っていた。

だけど私は大人の仮面を被ろうとしていただけの子供だったのだろうか。

それとも、大人でも感情には勝てないということなのだろうか。


いっそ捨てたいと思って、簡単に捨ててしまえれば楽なのに。


その時、ふと誰かの足音が聞こえた。足音というよりも水の跳ねる音だ。

私が顔を上げるよりも早く、降り注いでいた雨が止んだ。


「なにしてるの」


いや。違う。彼だ。


空色の傘を片手に私を覗き込む秀平。

その傘が雨から私を守っているのだ。

覗き込んでくる秀平の髪から、ひと雫の雨がこぼれて落ちる。


一気に現実に引き戻されていくのと同時に頭に激痛が走った。

目をつぶって痛みを耐えた私を、彼は何を言うでもなく引きずるようにしてして歩き出した。

声はかれ、雨で体力を奪われた私に抵抗する力は残されていなかった。


不思議なものだ。重かった足は、彼の手に引かれただけで羽が生えたように軽くなっていた。

しかしそれは言うほどとても素敵な物ではなかった。

頭痛といまさら出てきた吐き気と体の震えで、アパートの部屋までもうろうだったからだ。


「靴脱いで」


気づけば見慣れた部屋の中に着いていた、といった状態だ。

ふらつく体を支えられながら靴を脱ぎ捨てる。

それを終えると、すぐさま秀平の手に引き寄せられる。

導かれるがまま廊下を歩けば、角に位置するある一室に引っ張り込まれる。

そこでやっと眠気が覚めたみたいに視界がハッキリした。


「ちょっ・・・!」


かれていた声がいきなり戻ってきた。


なぜなら彼が私を服を躊躇なく脱がし始めたからだ。

どういう展開!?思わず周りを見渡せば、そこは浴室に通じる脱衣室だった。


「体冷えてるから、シャワー浴びたほうがいい」


彼に同様は見られない。冷静で淡々と感情の動きが感じられない。


「わわ、分かったから。自分でできるから!」


私の胸元の肌まで露わにした彼の手を掴んで阻止する。

恥ずかしさで顔に熱が集中した。

いくら姉と弟の関係であれ、いくら意識してないとはいえ、異性なのだから少しくらい考えて欲しい。

心臓が破裂しそうなくらい、鼓動の音がとてつもなく大きくなっていた。


しかしそれは次の瞬間、一瞬にして冷えていった。


彼が私の手を払う。


「大丈夫。直の体なら見慣れてるから」


払われた私の手は一度動きを止めてから、ゆっくりと私の体の横に落ちていった。

それを合図に、彼は私の服を脱がせていった。

もはや抵抗もしなかった私は、すぐさま一糸まとわぬ姿となった。

恥ずかしいなどという感情は生まれてこなかった。ただ、とても悲しかった。


彼のその言葉からすぐさま理解できた。

それは、昨晩自分の着替えさせてくれたのは彼だということ。

それから、彼にとって私は姉であって女でも異性でもないということ。

もしかして姉とも思われていないのかもしれない。


私の裸を見て、彼は顔色一つ変えもしなかった。

一度見たら、慣れてしまうような体ということだろう。

女として、好きな人に言われたくない言葉の一つではないだろうか。


涙が溢れ出しそうだったため、すぐさま浴室に飛び込んだ。

立ちくらみで少しよろけた私を後ろから秀平が支えてくれる。

そんなスマートさが今はとても辛い。


熱いお湯を背中から流され、シャワーを頭上からかぶり、私はゆっくりと泣いた。

丁度遠くの方で落ちた雷の音が私の嗚咽を飲み込んでいく。

背中に感じる彼に変化はない。きっと気づいてない。

当たり前だ。気づかせてはいけないのだから。


昼間見かけた秀平達のことを考えていた。

あの時、秀平の腕に絡みついていた女の子。あれは誰?そう聞けたら楽なのに。

いっそ「彼女」だと言ってくれたら、あきらめられるかもしれない。

すごく可憐で笑顔の素敵な子だった。


それに比べて私はどうだ?二日酔いで秀平に迷惑かけて。

ジャージ姿で街中を歩いて。仕事に追われて疲れている顔。

化粧ののりも最近悪い。肌が傷んでいる証拠だ。やつれた頬に、目の下にはクマ。


あの女の子が新作の服なら、私は擦り切れた古着だ。


だから、すごくショックだったんだ。


秀平にはああいう子が似合う。

だから、私は似合わないんだって。釣り合わないんだって。

住む世界の違いをありありと見せつけられたみたいで。


だから私は決めたんだ。


好きとは、言ってはいけない。


くだらなく思うだろうけど。

それが、世間一般で言う大人に分類される、私の最後に残ったプライドなんだ。


年齢差を気にしておきながら、こうも思う。

気にしたって年齢差が縮まるわけじゃない。

だからその年齢差をちゃんと私が守らなければいけない。隙を見せず、頼らず頼られる存在でいなくちゃいけない。


だから、ましてや嫉妬やヤキモチなんて高校生なら可愛らしい感情を、持ち合わせているなんて絶対に知られてはいけないんだ。


私は、秀平の姉であらなきゃいけない。


秀平を好きだと気付かれてはいけない。

いや、本来はこの気持ちごと捨て去らなくてはいけない。


だけど、理性に感情か追い付かないことが現状で。

たとえ叶わぬ報われぬ恋で、いくどこの感情に苦しませられても、彼を好きでいたいと願っている。

誰かを好きになるとは、理不尽なことだ。

やめたいと思ってすぐにやめられればいいのに。

だが人は言う。やめたくてやめられるなら、それは愛ではない。


だからそんな私の中の定まらない気持ちを、秀平に押し付けるわけにはいかない。

だがやはり感情とはやっかいなもので。

押し込めれば押し込めただけ、溢れ出してくる。



浴室を出た私は、また火照った顔でヒビングのソファーに腰掛けていた。

泣いた目が少し腫れているが、秀平は何も言ってこなかった。

だから私も話すつもりはない。


生気を抜かれたように座っていた私の横に、秀平が座り込んだ。

手にはミルクの入ったマグカップをもっていて、私にそっと手渡してくる。


「ありがと・・・」

「なにかあった?」


ミルクを受け取ってお礼を言えば、秀平がこっちの様子を伺ってきた。

だから私は顔を横に振った。そうすれ秀平はそれ以上追求してこなかった。


黙りこくった秀平を横目で確認して、私はそっとマグカップをテーブルに置いた。

そして自分でも思い切った行動をとったと思う。

彼の胸に飛び込んで、その肩を借りたのだから。

驚きも拒否も示さなかった彼は、私が泣き止むまでずっとその場を動かなかった。


この気持ちとさよならするんだ。


いつか膨らんで後戻りできなくなる前に。

だから今は、少しの間あなたのぬくもりの中にいたい。

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