第16話 おいしそうな名前の人たち
ビーフシチュー王国は、鉄の生産、加工が盛んな工業国家である――と、図書館で読んだ本に書いてあった。
人口50万人。国土こそ2倍程度なのに、疫病や災害により激減した現在のピスタチオ王国の人口の、実に25倍もの人々が生活している。
しかしその人口は、首都や主要な鉱山の周りに集中しており、今回俺たちが落下したのも、郊外に点在する小さな集落のうちの一つだった。大都市じゃなくて助かった。
その村人たちの鬨の声が、どんどんこちらに近づいてくる。
「くそっ。ミシュリー、トワリ。俺が止める。交渉すれば戦わずに済むかもしれないだろ」
「……」
「危険だけど……ミシュリーたちが話すよりはマシかもね……気をつけて発言してね」
「わかってるけど、多少素性は明かすぞ……」
集落からこちらの荒地に向かってくる、屈強な男たちが見えてきた。
「おい!! 止まって話を聞いてくれ!!!」
俺はありったけの大声で叫んだ。70〜80m先で、100人以上の男たちが、どたどたと立ち止まったのが見えた。
この状況――隠しても疑われる。
戦えば民を傷つける。
どちらを取っても、外交上でも良いことが一つもない。
俺はもう一度深呼吸をすると、意を決して叫び始めた。
「我が名は、ピスタチオ王国の新王、能都コトブキ!!
極秘でビーフシチュー国王、上田テッペイ殿のところへ行く途中に事故に遭い、この場に落下してしまった!!
手間を掛けるが、上田殿に会うため、ビーフシチュー城までの道を教えてもらえないか!!」
……嘘は言っていない。
ミシュリーは、俺が名乗りを上げたことにかなり嫌な顔をしていたが、今はこれしか思いつかなかったんだ。許してくれ。
すると、ビーフシチュー王国民たちはお互いに顔を見合わせ、これまた大声でゲラゲラと笑い出した。
そして、とりわけ屈強な男が前に出てきて、こちらに向かって話し始めた。
「はっはっはっ! すげえな! さっき届いた上田様の手紙に書かれてた通りだぜ!!」
「え……?」
男は大きなお腹に手を当てながら続ける。
「手紙には、『ピスタチオ王を騙る賊が現れるから、必ず捕らえろ』とあったよ! 『殺しても構わん』とな!!
さすが闇の帝王だ! 悪人面だが手腕はすげえや! バチバチに当ててきやがるぜ!!」
はあ???
俺たちの侵入を予測した上で、こんなところにまで根回しをしたって言うのかよ! 優秀すぎるだろっ!!
「コトブキ様……やはり避けられませんね……」
「あぁ、本当に最悪だ……」
俺は右手の触手をビュルンとしならせた。
「陛下……どうか、ここからのトワリの無礼をお赦しください」
「おう、わかった。
――って、ん? 無礼? ……何のこと?」
男たちは改めて雄叫びを上げる。
その「うおおおお!」という叫びで、それ以上、トワリとの会話はさせてもらえなかった。
トワリが胸から小さなドスを取り出し、それをジャキンと振ると、それは元々の長ドスの大きさになった。
そしてまた、トワリの瞳が深紅に染まってゆく。
……しかし、いつもと違い、彼女はその「エターナルドス」を鞘からは抜いていない。
「参ります」
トワリは、フッと巻き上がった砂煙だけを残し、その場から消えた。
いや――恐らくトワリと思われる何かが、村人の周りで高速で動いているのと、その風圧だけは感じられる。
村人たちは風の中で戸惑って立ち止まり、キョロキョロとそれを目で追い回す。
「な、なんだぁ? どこ行っ……」
村人の一人が呟いたようだが、その男の声は途中で途切れてしまった。
約10秒後――
村人たちの向こう側に、ふわっと、トワリが着地したのが見えた。
「おい、いたぞ!!」
村人の一人が叫んだが、その時――
ドサドサドサドサドサァッ!!!!!!
「なっ……」
大勢いた村人のうちの約7割が、その場に倒れてしまった。
トワリの刃は一度も抜かれていない。柄頭と体術だけで、誰一人殺めることなく沈めてしまったのだ。
大男が叫ぶ。
「な、なんだとお……!!? ……ええい! 怯むな! 奴を追えい!!!」
トワリはさらに先へと走り出した。
「無礼」というのはこれのことだろうか……
しかし、改めて思う。彼女は……強すぎる……っ! 俺は王として、とんでもない「武力」を抱えていることを自覚した。
トワリはその先に進んでしまったが、まだ残りの村人たちは無傷で立っている。
「ちょ、トワリさん!? 追いかけっこなら、僕たちも混ぜてほしいんですけどぉ……!?」
「あの子……まったく……」
ミシュリーは意味ありげに俺の方を見た。
「仕方ない――残りはミシュリーたちでなんとかするのよ」
「くううう、そうだよなぁ……ミシュリーの特訓の成果が試されちまうぜ……もう!」
屈強な男は自分の顎をさすりながら、ミシュリーの所作を見ると、他の村人たちに指示をした。
「てめぇら、あの女子、手だれだぞ! 全員で行け!! ナメてかかるなよ!!
俺はこっちの、偽国王様と仲良くするんでなぁ!!」
彼は俺の方にずしずしと歩いて来た。
「誰が偽物だ。まだ正式じゃないだけで、偽物じゃねえよ! ……たぶんな!」
「ははは! お前が本物だろうが偽物だろうがどっちでもいい!
どっちにせよ、ビーフシチュー王国にいちゃあいけねえよなあ?
俺の名は、ハラミ=ザ=ブッチャー!
こっちにゃあ上田様のお墨付きがあるんだ。本気でいかせてもらうぜっ!!!」
「また、おいしそうな名前だなあ、おいっ!!」
ガキイイイイイン!!!
俺は硬質化させた右手の触手で、ハラミが振り下ろす巨大な肉切り包丁を受け止めた。
重い。鉄の加工が盛んなこの国で、何千何万という家畜の骨を断ってきたであろう包丁は、単なる刃物以上の「生活」の重みを帯びている。
「鉄の国のお肉屋さん……ナメんなよっ!」
「ぐっ……ナメてねえ!! 立派なお仕事だろ、ボケぇ!!」
一方、ミシュリーは、武器を持った30人以上の男たちに囲まれていた。
「あら、ミシュリーってばモッテモテ。こんな逆ハーレム、前から築いてみたいと思ってたのよね」
彼女は一人ひとりを睨みながら、男たちをおちょくる。
(コトブキちゃんは――始めちゃったわね……本当に仕方ない――)
ミシュリーは杖を出し、右手でつまんで構えた。
「このミシュリーちゃんが、お時間いっぱいまで遊んであげるわ。ザコ助ちゃんたち――♡」
男たちはジリジリと、ミシュリーににじり寄っていく。
が、ミシュリーから出る修羅の如き覇気のせいで、まだ誰も先陣を切ることができない。
彼女の「圧」は、30人もの屈強な男たちを、その場に縫い付けていた。
ミシュリーの周りを、赤茶色の魔粒子の風が舞う。おさげの赤髪が、吹き荒ぶ風になびいていた。
「――かかって来いよ」
そして――俺たちよりも一足先に進んだトワリは、この村で最も高い櫓の上に立っていた。
足元には、見張りをしていた男が、既に当然のように気絶して倒れている。
トワリは遠くの方を眺めていた――
シュッ、パシッ。
乾いた音が響く。
村の物陰から放たれた矢が、いきなりトワリの頭部を狙った。
だが、彼女はそっぽを向いたまま、飛来した矢を空いている左手でパシッと掴んてしまった。
本当に人間なのか……?
「……7……8。残念ながら、あの弓兵さんたちは無力化できませんね」
独り言のように呟き、トワリは掴んだ矢を無造作に足元へ落とす。
彼女の意識のほとんどは、遥か先――赤茶けた地平線の向こうにある「終着点」に注がれていた。
丸太で飛んでいる時には、反り立つ岩山の陰に隠れてちょうど見えなかった、オーロラ魔法の光の向かう先。
特に大きな岩山の上に、幾重もの鉄塔が不気味にそびえ立ち、遠くから見ても暴力的なまでの威容を誇る要塞があった。
「北の出口から、北東に30km――見つけました。ビーフシチュー城――」
トワリは確信した。
あそこにまーくんがいる。
赤土の混じった風が彼女の黒髪を揺らす。
足元では、ハラミの咆哮と肉切り包丁の風切り音が響き渡り、主君が必死に泥の周りを這い回っている。
それでも、トワリは動かない。
鞘に入ったままのドスの柄を軽く撫で、ただ静かに、その戦いを見下ろしていた。




