第17話 潜入せよ、ビーフシチュー王国 〜マシュマロと警鐘〜
「ミ、ミシュリー……は、速すぎるって……」
丸太から地面に降りた瞬間、俺の膝は笑い出し、そのまま崩れ落ちた。
もし時速150kmでカッ飛ぶ「むき出しの丸太」にしがみついた経験がある奴がいたら、ぜひ教えてほしい。
果ての森から50kmある山中。ここまでたった20分で飛びきりやがった……
ミシュリーの風圧軽減魔法がなければ、俺は今頃、風の抵抗で窒息死していただろう。内腿の筋肉は悲鳴を上げ、死ぬ気で丸太握りしめていたので、左手の握力がもう無い。
「そうね、ちょっとしんどかったかも。でも、ミシュリーもトワリも平気なのよ?」
二人は涼しい顔で丸太から降りてきた。おかしいよ君たち。
「ところで、そこの土――なんだかおかしくありませんか?」
急にトワリが、近くの地面を指差して言った。
その場所は、確かに他の場所と違っていた。
植物も生えていなければ、落ち葉も落ちていない。確実に、人為的に埋められた痕跡だった。
「穴――があったのか?」
「穴……………………穴っ!? 大変! コトブキちゃん!! 報告によると、デイが着ていた迷彩服は、土まみれになっていたのよ!!」
「ん? つまり――デイってやつが、このデカい穴を掘って密入国したってこと?
でも確か国境線には、ソボロデンブの魔法障壁があるんだろ? 穴なんか掘ったって意味なくないか?」
「ソボロデンブちゃんの魔法障壁が張られているのは……地上だけなの……っ!」
「!! ――そういうことか!!」
なんとデイは、文字通り、ソボロデンブの魔法の「穴」を突いたのだ。地上がダメなら地下から入れば良いじゃないと。
「おいおい、まるで『蛇』だぜ……」
「蛇? モグラではないのですか?」
そうだねトワリ。でも俺のいた世界では、潜入と言えば「蛇」と「ダンボール」って、相場が決まっているんだ。たぶん。
「忘れてくれ……オーロラ色の魔粒子を追いかけよう」
ガタガタが少しだけマシになってきた自分の膝を叩きながら、なんとかその場に立ち上がり、俺たちは歩き始めた。
少し歩くと、国境線である山頂の目前まで着いた。
あの禍々しい虹色とはまた違う、薄くて綺麗なオーロラ色の魔法の光は、山の向こうに弱々しく伸びていた。
「国境を越えていますね。光はビーフシチュー王国の中です」
「ミシュリーたち以外には見えなくしてあるから、越境自体は問題ないわ。
でも、これで確定したわね。果ての森に罠を仕掛けたのはビーフシチュー王国の人間。まーくんはあちらさんに攫われたとみて、まず間違いないのよ」
「なぁ。勢いで国境まで来ちゃったけどさ。俺たちだけで、まーくんを助けにビーフシチューに突入するのは悪手だよな? 国を空けて国王自ら潜入するなんて、リスクがデカすぎる」
ミシュリーは腕を組み始めた。
「悪手ね。けど今の状況、ミシュリーたちが動かないことの方が最悪かもしれない……」
「どういうこと?」
「捕まったのがまーくんなのが、まずすぎるのよ」
ミシュリーは続ける。
「まーくんは、ピスタチオ王国の全ての機密を握っていると言っても過言ではないわ。それが、もし闇の帝王、上田の能力に触れたら――」
「ナラハラの謁見の時みたいに、何もかもが暴かれる可能性がある……?」
「恐らく……」
ミシュリーは頷いた。
「上田は狡猾よ。もしこの国のすべてを知られた場合……2万人の国民なんて――」
ミシュリーは、それ以上は何も言わなかった。
皮肉なことに、まーくんの優秀さが仇になるばかりだ。俺たちはまーくんに頼りすぎていた。
頂上まで辿り着いた。
これがソボロデンブが設置した魔法障壁――
不思議な緑の幕が、山の端に延々と広がり、空高く、見えないところまでずーっと伸びている。
オーロラの光は、この緑の幕を越えてゆらゆらと伸びていた。
「最悪な理由その2……このオーロラの魔法……元が魔力の残り香なせいで、あまり長くは保たないの。保って日没までってとこね……」
「なくなると、まーくんがどこにいるか見つけようがないですね……」
トワリが反応した。
「もしミシュリーたちが城に戻っても、まーくんを人質に取られている以上、こちらからは迂闊に身動きできないでしょうね。
その間に、首脳会談前に国の秘密を全て知られるか、まーくんを重犯罪者にでっち上げて宣戦布告されるか――」
「お先真っ暗だな――」
俺は初めて見るビーフシチュー側の景色を眺めながら言った。
遥か下の方に、広大な「赤土の荒野」が広がっていた。その場から見渡す限りでは、「緑の草原」は存在しなかった。
「上田にとってまーくんは情報の宝箱です。拷問はしても――殺すことはないでしょう」
トワリが物騒なことを言った。
そうだよな……ここは俺のいた、元の世界の日本とは違うんだ。そしてこれを聞いた俺は、嫌なことに気がついてしまった。
「…………なぁ、待て。まーくんのことだから、きっとそこまでは考えているよな。
まさかとは思うけど、情報を漏らさないための自害なんてしたりしないよな……?」
俺の言葉を聞いてトワリも、真剣な目でミシュリーの方を見た。
ミシュリーは、俺とトワリの顔を見て苦々しい表情を浮かべた。
「それは……」
ミシュリーは一生懸命に言葉を探している。
「――まずあり得ないわ。まーくんが…………ええと……まーくんが今死ぬことは、あってはならないことだからよ……」
ミシュリーは、斜め下を見ながらボソボソと言葉を発した。
俺も、トワリも、返答をしなかった。
どうやらミシュリーとまーくんが抱える秘密に関わる内容のようだ。
ならば仕方ない。
俺はさっき、「ミシュリーを信じる」と心に決めたのだ。これ以上は聞けない――いや、聞かない。
それがこの国の命運を握る程の秘密だとわかっていてもだ――
「――2人にもう一個だけ聞きたい」
俺はビーフシチュー王国を見ながら言った。
「今回の潜入でさ。もし、俺が死んだらどうする?」
言い終わった瞬間、トワリとミシュリーはそれぞれの感情とともに、物凄い速さで俺の顔を見た。
「陛下と言えど……冗談でもそのようなことはおっしゃらないでください……」
トワリの声は、明らかに怒っていた。
「わかっているよ、トワリ」
「まったく……やめてね。こんなこと言いたくないけど、コトブキちゃんの命は国そのものなのよ。…………すべてが終わるだけよ」
「……そうか。ありがとう。よくわかった よ」
俺は、山頂に広がる不思議な緑の幕の一歩手前に立ち、深呼吸をした。
「今すぐ潜入しよう――この国とまーくんを守るにはそれしかない」
トワリとミシュリーが俺の両端に並ぶ。
「行くぞ。今度は俺たちが潜入する番だ」
もう一度、大きく息を吸う。
「ミシュリー! 王宮に万が一のための魔法伝令を出しておけ!! すべての責任は俺が持つ!!!」
山頂に強い風が吹く。
大きく土埃が舞う。
「ピスタチオ王国国王、コトブキの名で宣言する! これより、まーくん奪還作戦を開始する!!!」
秘密裏の最難関ミッションに挑むために、俺たちは、静かに国を守り続けているソボロデンブの魔法障壁の外へと、一歩、足を踏み出した。
王として、最善ではない一歩を。




