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エドガー・ローレンスの憂鬱  作者: ヒナツキスバル
第六章 灰燼のアシュクロフト
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炎の審判

挿絵(By みてみん)


 炎と煙に包まれたアシュクロフト侯爵居城では、依然として混乱が続いていた。


城壁や塔の外側で燃え上がる炎は、砕けた窓の向こうを赤く染め、時折、遠くから人々の叫び声が聞こえてくる。城内には避難を急ぐ者たちの足音が響き、先ほどまでの荘厳な城の面影は失われつつあった。


その騒ぎの中、応接室の椅子に深く腰掛けたセドリックだけは、まるで何事も起こっていないかのように動こうとしなかった。


「おい、いつまでここにいるつもりだ。城がどうなっても知らねえぞ」

セヴランが呆れたように声をかける。


「……構わんと言っている」

セドリックは顔を上げようともせず、淡々と答えた。


「あなたがここに残っても、失われたものは戻りません」

ルシエラも静かに説得を続けたが、セドリックはゆったりと脚を組み直し、薄く笑った。

「……聖女様は、ずいぶんと諦めが悪くいらっしゃる」

その態度には、もはや自分の身を案じる様子すらなかった。


セヴランは苛立たしげに息を吐いた。城の内部まで炎が燃え広がっているわけではないとはいえ、いつまでもここに留まっていていい状況ではない。だが、当のセドリックは避難するつもりなど毛頭ないらしい。


その時、砕け散った窓の向こうから、複数の足音が近づいてきた。

テラスを通って現れたのは、レンとカルミラだった。二人は壊れた窓を越え、荒れ果てた応接室へと戻ってくる。


「ルシエラ、セヴラン……! まだここに居たのか」

レンが驚いたように声を上げた。

「坊ちゃんがここから動かねえって言い張るもんでね」

セヴランは椅子に座ったままのセドリックを顎で示した。


レンの後ろから、エドガーとヴィクトリアが姿を現した。


「……これは……」

「なんてこと……」

二人は応接室の惨状を目の当たりにして、思わず足を止めた。


窓は跡形もなく砕け、床にはガラス片や木材の破片が散乱している。壁には大きな損傷が残り、かつて整然としていた応接室は、まるで激しい戦闘が繰り広げられた後のようだった。


エドガーは言葉を失い、ヴィクトリアも信じられない様子で室内を見渡していた。


「あー、これ? あいつが全部やったんだよ!」

カルミラが何のためらいもなくセヴランを指差した。

「おい! お前も騎士どもをぶっ飛ばしてただろうが!」


すかさずセヴランが抗議する。

「あたしは建物は壊してないもーん!」

「扉も壊していたが」

レンが真顔で指摘した。

「……あれは救助活動!」

カルミラは胸を張って言い切った。


セヴランは何か言いたげに口を開いたものの、結局、呆れたように肩をすくめた。


そんな三人のやり取りをよそに、エドガーは室内の奥へと視線を向けていた。


そこには、椅子に深く腰掛けたセドリックの姿があった。


「……セドリック卿」

エドガーはゆっくりと歩み寄り、その前に立った。


セドリックが顔を上げる。

「……エドガー君。無事だったか」

力のない笑みが浮かんだ。


「はい。弟が助けてくれました」

「……そうか」


セドリックは短く答え、それきり黙り込んだ。


エドガーは目の前の男を見つめながら、これまでの出来事を思い返していた。


グレンフォード村の復興事業にまつわる不審な帳簿。ハーグリーヴスへの疑念。そして、不自然な北方の視察。ヴィクトリアとともに別邸へ閉じ込められたこと。


自分はハーグリーヴスを疑いきれなかった。その結果、ローレンス家が危険に晒されていたことも、今では否定できない。


だが、セドリックのことは、それ以上に理解できなかった。

自分やローレンス家を利用しようとしたことは、まだ分かる。アシュクロフト家の利益のためだったのだと言われれば、納得はできずとも理由として考えることはできる。


しかし、ヴィクトリアまで裏切ったのはなぜなのか。

幼い頃から彼女を気にかけ、優しく接してきたはずの叔父が、どうして彼女をこれほど傷つけることができたのか。


エドガーには、それがどうしても信じられなかった。


「セドリック卿。僕はあなたと話がしたい」

エドガーは静かに告げた。


「……今さら、何を話すというのだ」

「あなたが、何を考えていたのか。なぜ、こんなことになってしまったのか……僕はまだ、何も知りません」

セドリックは答えなかった。


エドガーは、その沈黙の向こうに何かを探すように、彼の顔を見つめ続けた。


せめて、ヴィクトリアに向けられていた優しさだけは本物だったと。彼女を大切に思っていた気持ちまで、すべて偽りだったわけではないと。


そう言ってほしいと、願わずにはいられなかった。


「……死にゆく者に、話し合いなど必要ない」

セドリックは、まるで他人のことを語るような口調で言った。


その言葉を聞いたヴィクトリアが、エドガーの隣へ歩み出た。


「……叔父様」

「ヴィクトリア……」

セドリックが彼女を見上げた。


ヴィクトリアは唇を震わせながら、目の前の叔父を見つめていた。


「何故……? どうして……そんなことを仰るのですか?」

「……お前にも、ひどいことをした」


その言葉に、ヴィクトリアの表情が歪んだ。

「そうですわ。わたくし、何も知らずに……ただ叔父様を信じていました」

声が震えていた。


幼い頃から、叔父は自分を気にかけてくれた。寂しい時も、つらい時も、優しい言葉をかけてくれた。

だからこそ、信じていた。

エドガーとともに別邸へ閉じ込められた時も、セドリックが自分たちを裏切ったという事実を、すぐには受け入れられなかった。


今も、その気持ちは変わらない。

裏切られた悲しみも、怒りも、簡単に消えるものではなかった。


「でも……!」


ヴィクトリアはエドガーの袖を、しがみつくように強く掴んだ。

その瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。

「全部ウソだったなら……それでもいいの……」

言葉を絞り出すように、ヴィクトリアは続けた。


「わたくしに優しくしてくださったことも……大切にしてくださったことも……全部ウソだったとしても……」

涙が次々と頬を伝った。

エドガーは何も言わず、袖を掴む彼女の手をそのままにしていた。


ヴィクトリアは泣きながら、セドリックをまっすぐに見つめた。


「だから……死なないでください……叔父様……!」

「…………」

セドリックは何も答えなかった。


先ほどまで浮かべていた皮肉めいた笑みも消え、ただ目の前で涙を流す姪を見つめている。


応接室に長い沈黙が落ちた。


外からは今も騒ぎの音が聞こえていたが、その場にいる誰もが口を閉ざしていた。


やがて、その沈黙を破ったのはルシエラだった。


「……エドガー様、ヴィクトリア様」


エドガーが振り返る。

「……聖女様?」

ルシエラは二人に向き直り、静かな声で告げた。


「セドリック卿は、お二人の前ですべてをお話しすることを了承されています」

「……すべて……?」


ヴィクトリアが涙に濡れた顔を上げた。


「はい。私の『審判』によって」

「……審判……?」


エドガーは聞き慣れない言葉を繰り返した。


「この術の前では、偽りを語ることはできません。心の内をすべて話すことになります」

ルシエラの説明に、エドガーは再びセドリックへ目を向けた。


もし、その術によって真実を聞くことができるのなら。

自分たちが何も知らないまま終わらせるのではなく、セドリックが何を思い、なぜこのようなことをしたのか、確かめることができるのなら。


エドガーは黙ってルシエラの言葉を待った。

ルシエラはセドリックへ視線を向けた。


「……セドリック卿。お気持ちは変わりませんか?」

「…………」


セドリックはしばらく沈黙していた。


その前にはエドガーが立ち、ヴィクトリアは涙を拭うことも忘れたように叔父を見つめている。


やがて、セドリックは小さく息を吐いた。

「……ああ。好きにするがいい」

「……承知しました」


ルシエラは静かにセドリックへ向き直った。


「それでは……『審判』を始めます」


彼女が杖を掲げると、その先端から白銀色の光が溢れ出した。


光は幾筋もの細い線となって空中を走り、複雑な紋様を描きながら魔法陣を組み上げていく。

やがて完成した白銀色の魔法陣が、椅子に腰掛けたセドリックの周囲を静かに包み込んだ。


挿絵(By みてみん)

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