炎の審判
炎と煙に包まれたアシュクロフト侯爵居城では、依然として混乱が続いていた。
城壁や塔の外側で燃え上がる炎は、砕けた窓の向こうを赤く染め、時折、遠くから人々の叫び声が聞こえてくる。城内には避難を急ぐ者たちの足音が響き、先ほどまでの荘厳な城の面影は失われつつあった。
その騒ぎの中、応接室の椅子に深く腰掛けたセドリックだけは、まるで何事も起こっていないかのように動こうとしなかった。
「おい、いつまでここにいるつもりだ。城がどうなっても知らねえぞ」
セヴランが呆れたように声をかける。
「……構わんと言っている」
セドリックは顔を上げようともせず、淡々と答えた。
「あなたがここに残っても、失われたものは戻りません」
ルシエラも静かに説得を続けたが、セドリックはゆったりと脚を組み直し、薄く笑った。
「……聖女様は、ずいぶんと諦めが悪くいらっしゃる」
その態度には、もはや自分の身を案じる様子すらなかった。
セヴランは苛立たしげに息を吐いた。城の内部まで炎が燃え広がっているわけではないとはいえ、いつまでもここに留まっていていい状況ではない。だが、当のセドリックは避難するつもりなど毛頭ないらしい。
その時、砕け散った窓の向こうから、複数の足音が近づいてきた。
テラスを通って現れたのは、レンとカルミラだった。二人は壊れた窓を越え、荒れ果てた応接室へと戻ってくる。
「ルシエラ、セヴラン……! まだここに居たのか」
レンが驚いたように声を上げた。
「坊ちゃんがここから動かねえって言い張るもんでね」
セヴランは椅子に座ったままのセドリックを顎で示した。
レンの後ろから、エドガーとヴィクトリアが姿を現した。
「……これは……」
「なんてこと……」
二人は応接室の惨状を目の当たりにして、思わず足を止めた。
窓は跡形もなく砕け、床にはガラス片や木材の破片が散乱している。壁には大きな損傷が残り、かつて整然としていた応接室は、まるで激しい戦闘が繰り広げられた後のようだった。
エドガーは言葉を失い、ヴィクトリアも信じられない様子で室内を見渡していた。
「あー、これ? あいつが全部やったんだよ!」
カルミラが何のためらいもなくセヴランを指差した。
「おい! お前も騎士どもをぶっ飛ばしてただろうが!」
すかさずセヴランが抗議する。
「あたしは建物は壊してないもーん!」
「扉も壊していたが」
レンが真顔で指摘した。
「……あれは救助活動!」
カルミラは胸を張って言い切った。
セヴランは何か言いたげに口を開いたものの、結局、呆れたように肩をすくめた。
そんな三人のやり取りをよそに、エドガーは室内の奥へと視線を向けていた。
そこには、椅子に深く腰掛けたセドリックの姿があった。
「……セドリック卿」
エドガーはゆっくりと歩み寄り、その前に立った。
セドリックが顔を上げる。
「……エドガー君。無事だったか」
力のない笑みが浮かんだ。
「はい。弟が助けてくれました」
「……そうか」
セドリックは短く答え、それきり黙り込んだ。
エドガーは目の前の男を見つめながら、これまでの出来事を思い返していた。
グレンフォード村の復興事業にまつわる不審な帳簿。ハーグリーヴスへの疑念。そして、不自然な北方の視察。ヴィクトリアとともに別邸へ閉じ込められたこと。
自分はハーグリーヴスを疑いきれなかった。その結果、ローレンス家が危険に晒されていたことも、今では否定できない。
だが、セドリックのことは、それ以上に理解できなかった。
自分やローレンス家を利用しようとしたことは、まだ分かる。アシュクロフト家の利益のためだったのだと言われれば、納得はできずとも理由として考えることはできる。
しかし、ヴィクトリアまで裏切ったのはなぜなのか。
幼い頃から彼女を気にかけ、優しく接してきたはずの叔父が、どうして彼女をこれほど傷つけることができたのか。
エドガーには、それがどうしても信じられなかった。
「セドリック卿。僕はあなたと話がしたい」
エドガーは静かに告げた。
「……今さら、何を話すというのだ」
「あなたが、何を考えていたのか。なぜ、こんなことになってしまったのか……僕はまだ、何も知りません」
セドリックは答えなかった。
エドガーは、その沈黙の向こうに何かを探すように、彼の顔を見つめ続けた。
せめて、ヴィクトリアに向けられていた優しさだけは本物だったと。彼女を大切に思っていた気持ちまで、すべて偽りだったわけではないと。
そう言ってほしいと、願わずにはいられなかった。
「……死にゆく者に、話し合いなど必要ない」
セドリックは、まるで他人のことを語るような口調で言った。
その言葉を聞いたヴィクトリアが、エドガーの隣へ歩み出た。
「……叔父様」
「ヴィクトリア……」
セドリックが彼女を見上げた。
ヴィクトリアは唇を震わせながら、目の前の叔父を見つめていた。
「何故……? どうして……そんなことを仰るのですか?」
「……お前にも、ひどいことをした」
その言葉に、ヴィクトリアの表情が歪んだ。
「そうですわ。わたくし、何も知らずに……ただ叔父様を信じていました」
声が震えていた。
幼い頃から、叔父は自分を気にかけてくれた。寂しい時も、つらい時も、優しい言葉をかけてくれた。
だからこそ、信じていた。
エドガーとともに別邸へ閉じ込められた時も、セドリックが自分たちを裏切ったという事実を、すぐには受け入れられなかった。
今も、その気持ちは変わらない。
裏切られた悲しみも、怒りも、簡単に消えるものではなかった。
「でも……!」
ヴィクトリアはエドガーの袖を、しがみつくように強く掴んだ。
その瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「全部ウソだったなら……それでもいいの……」
言葉を絞り出すように、ヴィクトリアは続けた。
「わたくしに優しくしてくださったことも……大切にしてくださったことも……全部ウソだったとしても……」
涙が次々と頬を伝った。
エドガーは何も言わず、袖を掴む彼女の手をそのままにしていた。
ヴィクトリアは泣きながら、セドリックをまっすぐに見つめた。
「だから……死なないでください……叔父様……!」
「…………」
セドリックは何も答えなかった。
先ほどまで浮かべていた皮肉めいた笑みも消え、ただ目の前で涙を流す姪を見つめている。
応接室に長い沈黙が落ちた。
外からは今も騒ぎの音が聞こえていたが、その場にいる誰もが口を閉ざしていた。
やがて、その沈黙を破ったのはルシエラだった。
「……エドガー様、ヴィクトリア様」
エドガーが振り返る。
「……聖女様?」
ルシエラは二人に向き直り、静かな声で告げた。
「セドリック卿は、お二人の前ですべてをお話しすることを了承されています」
「……すべて……?」
ヴィクトリアが涙に濡れた顔を上げた。
「はい。私の『審判』によって」
「……審判……?」
エドガーは聞き慣れない言葉を繰り返した。
「この術の前では、偽りを語ることはできません。心の内をすべて話すことになります」
ルシエラの説明に、エドガーは再びセドリックへ目を向けた。
もし、その術によって真実を聞くことができるのなら。
自分たちが何も知らないまま終わらせるのではなく、セドリックが何を思い、なぜこのようなことをしたのか、確かめることができるのなら。
エドガーは黙ってルシエラの言葉を待った。
ルシエラはセドリックへ視線を向けた。
「……セドリック卿。お気持ちは変わりませんか?」
「…………」
セドリックはしばらく沈黙していた。
その前にはエドガーが立ち、ヴィクトリアは涙を拭うことも忘れたように叔父を見つめている。
やがて、セドリックは小さく息を吐いた。
「……ああ。好きにするがいい」
「……承知しました」
ルシエラは静かにセドリックへ向き直った。
「それでは……『審判』を始めます」
彼女が杖を掲げると、その先端から白銀色の光が溢れ出した。
光は幾筋もの細い線となって空中を走り、複雑な紋様を描きながら魔法陣を組み上げていく。
やがて完成した白銀色の魔法陣が、椅子に腰掛けたセドリックの周囲を静かに包み込んだ。




