グリムの煙草
「ナル、煙草を分けて欲しい」
翌朝再び酒場で顔を合わせた三人、挨拶もそこそこにとグリムはナルにタバコを要求していた。
「朝から寝る気か? つーあ半年分は渡してあっただろ」
「違う、ナルの吸ってる、普通の煙草」
今口に咥えている物を指さしながらそう告げたグリムにナルは虚をつかれたように沈黙する。
まさかグリムがこれに興味を持つとは、という思いと同時にこのような幼児体系に煙草を与えている自分が世間的にどうみられるかという、普段では考えないような事を気にしながらもナルは疑問を口にした。
「なに? 興味あるの? 」
「ナルがいない間、煙草試した。美味しく、なかった」
「ほーん」
ナルはリオネットを軽く睨みつける。
俺がいない間どういう教育をしていたんだと責めるような視線にリオネットも負けじとお前の悪影響だとにらみ返していた。
その攻防は、しかし裾を引っ張るグリムによって即座に終戦した。
まぁちょっとくらいならいいだろうと手渡した煙草は以前皇国で貰った豪奢な箱に収められた安煙草だ。
「……ちょっと、甘い? 」
「グリムが吸ったのってなんだ? 」
「ザクソン産? ナルが前に言ってたのを、思い出して試した」
あちゃーと頭を抱えたナル。
リオネットの視線の意味に気付いて、これは自分の悪影響であると理解すると同時にグリムが煙草は不味いと言った理由も即座に察したのだ。
「加湿してなかったから辛かったんだろうな。煙草は乾燥させると燃えやすくなって口当たりが悪くなりやすい。ザクソン産は特にその傾向が強いからある程度加湿しないと本当のうまみが味わえないんだよ」
「ん、これは美味しい、かも? 」
そう言いながら煙草をふかしているグリムを見て、肺に入れてないならまあいいかと微笑ましくそれを見守っていたのだった。
わずか数秒後にグリムが再び口を開くまでは。
「ナルの煙、細く伸びる。私、広がる。この違いは? 」
その理由は吸い方にある。
口内で煙をとどめて一気に吐き出す方法は世間的にふかしと呼ばれ、嘘を吐くという意味のスラングにも使われている言葉だ。
パイプ煙草や葉巻と言ったものの吸い方であり、紙巻きたばこではあまり使われないものである。
特徴はグリムが言った通り煙が眼前で広がる傾向にあり、また吸い方を見れば一目瞭然なのだ。
対してナルの吸い方は口内で煙をとどめてから外気ごと肺まで吸引する物であり、紙巻きタバコの吸い方としては現代ではスタンダードな物である。
その事を、多少の戸惑いを覚えながら教えるとグリムは即座に実践して盛大に咳き込んでいた。
慣れていない人間がいきなり肺まで煙を満たせばそうなるだろうと眺めていたナル。
そして煙草とはそうやって吸う物なのかと、以前間違った吸い方をしたリオネットは興味深そうにその様子を見ていた。
「喉、痛い……」
「だろうな、薬煙草よりも刺激が強いし」
「ん……ん……? 薬煙草も、こうして吸うの? 」
「あぁ、まああれはふかして十分効力を発揮するから今まで通りの吸い方でいいよ」
「わかった……でも煙草は、ほどほどにする」
そう言いながらも涙目のまま、手に持った煙草を根元まで吸い終えたグリムは朝食とは思えない量の料理を注文してそちらに夢中になる。
リオネットはほどほどの量で腹を満たし、ナルは少し多めに頼んでいた。
グリムの食事を見て触発されたという理由だったが、それにしても朝食と呼ぶには少々重たいメニューである。
「それで、目的地は決まっているんだが二人はいつごろ出発できる? 」
ナルは食事の最中でそんな言葉を口にした。
いまだに目の前の食べ物に夢中になっているグリムはともかく、頼んだ量が少なかったリオネットは既に食後のお茶を満喫していたため頃合いを見計らって切り出したのである。
「ふむ、グリムとの共同指南には三日後まで予定が入っているからな。準備を全て任せる事が出来るのであれば四日後だが……私達は女だからな」
着替え、特に下着の類を男に用意してもらえるほどリオネットは傲岸な性格はしていない。
特に胸部の下着に関してはサイズの問題もあるため本人が出向くのが一番、妥協して自分の下着を預けるという方法もあるが、さすがにそれははばかられた。
仮にリオネットが貸し出すと言ってもナルは断固辞退しただろう。
それは羞恥心ではなく、他人の下着だけを渡されても何にも楽しくないという、どうせなら直に見たいという欲求からくるものだった。
「わかった、なら一週間後でどうだ」
「それならば問題ないだろう。グリムもそれで……」
「ん……? ん」
どこまで話を聞いていたのかも定かではないが、グリムはその確認に口いっぱいに料理を詰め込みながら肯定の意を示した。
「構わないそうだ。その間君はどうするつもりだ? まさか自堕落な生活を送りたいと言い出すつもりはないだろう? 」
「言い出したいんだがなぁ……そうも言ってられない状況だから当面は旅支度だな。それから馬車の調達、皇国で貰ったのは一度分解したからか調子が良くなくてな。専門家に診てもらおうと思っている」
「なるほどな、ならば一週間というのは妥当だろう。金をはずめば職人も嫌とは言わないだろうからな」
「そういうことだ」
本来馬車の修繕などにはそれなりの時間がかかる。
他の仕事との兼ね合いを考えれば半月は欲しいと言われるところだが、特急料金を出せばある程度の融通は利く。
とはいえそれは一般的な職人の場合に限り、国が用意するような高級馬車ともなれば値段も跳ね上がり仕事の難易度も相当なものになる。
その上で、必要最低限という条件を付けくわえれば一週間という短い時間でも完遂してくれるだろうと考えての期限だった。
もちろんこの条件に合わなければ別の方法を選ぶこともあり得た。
例えば出発の日時を遅らせる。
急ぎではないがトリックテイキングがどのように動くか見通しが立たない以上あまり無為な時間を使うわけにもいかない。
ならば手持ちの馬車は売り払い、有りものを譲ってもらうという手段もあるが基本的に馬車とは特注品だ。
既製品がないわけではないが、そういう物は貴族など金を持て余している人間に対しての商売であり一見であるナルが購入しようとすれば相応に危険な橋を渡る必要もある。
特にこれからの旅に必要なのは荷台としての馬車ではなく、ホロ付きの人員輸送が可能な物だ。
結果的に期限内に終わらせてくれることを祈りつつ、裏組織にも連絡を取っておくかと考えたナルは食事のあとすぐに行動を開始した。




