地下闘技
それから一時間、貴賓室でひたすら趣味の悪い光景を眺め続けていたナルは辟易とした表情でその時を待っていた。
そしてようやく準備が整ったと言われて階下に向かい、指示を待つ。
ここで待っていろと言われてから数分、タバコを吸うかと思い懐に手を伸ばした瞬間だった。
「棄権しろ」
そんな風に声をかけてきた女がいた。
カードの気配を漂わせる女、あの女医である。
「治療が目的なら相場で受けてやる。だから無意味に死ぬな」
「無意味にね……」
そもそも死ぬことができないという言葉をすんでで飲み込んだナルは改めて煙草を取り出して火をつけて壁にもたれかかる。
「何をするにも金は必要、これから大仕事になるともなればそれはなおさらだ」
「……死ぬとしてもか」
「違うな、殺してでもだ」
「……そうか」
女は悲しげに目を伏せた。
そして以後何も言葉を発することなく、しかしナルのそばを離れようとはしなかった。
そうしている間にナルは槍を持った男に呼ばれ、先程までは悪趣味な賭け事が行われていた『戦場』へと足を踏み入れた。
(面倒くさいな……)
素直に感想を漏らしそうになるのをこらえて用意された舞台に上がったナルは正面に立つ男を見据える。
これが今回の対戦相手だろうか、筋骨隆々とした肉体はいかにもと言った様子だ。
「さぁお集まりの皆様! 本日のメインイベントの開催です! 西から登場しましたのは『怪力』の二つ名を継承した傭兵ジャネット! この闘技場で100戦無敗と恐れられる怪物です! かたや今回飛び入り参加のナル! さてさて何秒もつことやら! 試合は5分後に開始です! 賭けに乗る方はお早めに! 」
しまった、とナルはそこで気付く。
どうして気付かなかったんだと、斧を手にした男を前に冷や汗を流す。
賭けならば、自分にかけておくんだったと。
「あ、ちょっと待ってくれ。すぐ戻る」
そう言ってナルは先程くぐったばかりの扉を押し開けて貴賓室へと戻った。
「なんじゃ、今更棄権か」
「そうじゃねえよ、これ俺に賭けといて」
そう言って取り出したのは金貨がぎっしり詰まった袋。
本日荒稼ぎしたものに加えてナルが持ち歩いていた全財産である。
「ふむ……参加者は賭けに金を出せない仕組みになっておるのだがな」
「だからその女に頼んでるんだよ! 」
女医を指さしながら声を張り上げるナルは急がなければと慌てている。
このままでは不戦敗になってしまい、そして賭けも無効になってしまう。
ともすればそれは大損だ。
「というわけで俺戻るから! 」
とにかく有無を言わさないように金を押し付けたナルは闘技場と呼ばれた階下へと戻った。
これで憂いは断ったと言わんばかりのすっきりした表情である。
「さぁオッズが出ました! ジャネット1.2倍! 流石の人気です! 対してナルは……なんと13倍! 当然と言えば当然ですがかけが成立していない! と、思いきや結構な金額を賭けている人もいるようだ! 大穴狙いとは博打の醍醐味をわかっていらっしゃる! 」
やかましいな、と感想を抱きながらも新しく煙草に火をつけてナルは正面のジャネットという男を見据える。
異様に発達した筋肉、焦点の合わない瞳、口の端からは涎をたらし、首と手足には枷がはめられている。
つまり薬物で強制的にここまで膨れ上がらせたのだろうと観察を終えたナルは、激しい憤りを覚えた。
過去『怪力』の二つ名を持った傭兵は【力】のカードの持ち主だった。
その相手には譲渡契約を結ばせて、結果としてナルにカードが渡ったのだが契約の際にはそれなりに身の上話もした。
つまりそれなりに仲の良い相手だったのだが、彼は純粋な努力と鍛錬でその真価を発揮していた。
だというのに目の前の筋肉だるまはどうだ。
ただの薬物、はりぼての肉体。
そんなものが過去の友人の二つ名を勝手に継いだと言っている。
それがナルの逆鱗に触れた。
(殺す……と言いたいところなんだけどな)
それはできないな、とふと思い出したことからナルは怒りを鎮める。
ただし、死んだほうがましだという痛みは味わってもらおうかと鋼糸のグローブをはめたのだった。
思えばこれを戦闘で使うのは初めてかと、ナルは死蔵していたそれの具合を確かめる。
手入れは怠っていなかったが、久しぶりに使う武器の感覚に多少の戸惑いを覚えながらも開始の合図を待った。
「さて! ではここで賭けをしめさせていただきます! さぁさぁ、これより圧陸劇の始まり始まり! 両者前へ! 」
ようやくか、と前に出たナルは新たな煙草に火をつける。
と、同時にナルめがけてジャネットの斧が振り下ろされた。
開始の合図もされていない、完全なフライングである。
しかし。
「ストレングス」
【力】のカードを発動させてそれを片手で受け止めたナルは煙を吐き出す。
「おい、これは開始の合図でいいのか? 」
不意打ちを受け止めた事はもちろん、そもそもナルが攻撃を受け止められるとは思っていなかった司会者は驚きのあまり言葉を失ったかのように沈黙しながらも頷いていた。
「そうかい、じゃあ……まぁ軽く痛めつけるか」
斧を掴んだまま力任せに引き寄せてジャネットの顎を殴りつけたナル。
【力】のカードに加えて鋼糸のグローブが原因かあごの骨が砕ける感触が伝わってきた。
思いのほか威力が出るなぁと適当な感想を抱きながらも続けざまに二の腕を殴り、太ももを蹴る。
「おっとぉ! なんと意外! ナル選手ジャネットを圧倒! しかしジャネットの闘志はまだ消えていない! 」
(だろうなぁ……これ洗脳もされてるのか? )
明らかな重症、一般人ならば片腕片足、そしてそれ以前に顎を砕かれた時点、あるいは斧を片手で受け止められた時点で戦意を喪失しているだろう。
しかしジャネットは相も変わらずどこへ向けているのかもわからない殺意をあらわにしている。
その異様な光景を見ながらナルはさらに二発、腕と足に攻撃を加えて完全にジャネットの四肢を折ったのだった。
地面に倒れ伏したジャネットを見下ろしながら、煙草を吸うナルは試合終了はまだかと司会者に視線を向けた。
「ルールでは相手の戦闘続行不可能で勝利と聞いていたが、これはまだ続けられると思うか? 」
「……勝者ナル選手! 『怪力』を上回る膂力! その細い体のどこからこれほどの力が出てくるのか! 次の試合のオッズが楽しみです! 」
よく言うぜ、と煙草を吐き捨てたナルはジャネットを担ぎ上げる。
そしてそのまま貴賓席にもっていったナルは、それを女医の前に下した。
「骨は繋ぎやすいように折った。どうにかできるか? 」
「……無理だな、薬の副作用で半年延命できればと言ったところだ」
「だろうな、まぁそれはそれとしてどっかで治療だけしといてやれ」
「……あぁ」
見るからに元気のない女を、しかしナルは煙草をふかしながらまたもやテーブルに腰かける。
「あんなもんでいいのか? 」
「十分じゃ。人が死ななかった試合は久しぶりじゃがな」
「だろうね、あんなのばかりだったら相手が死ぬまで続けるだろうから」
そう言ってナルは煙草をその場に投げ捨てる。
辟易とした表情を見せながら次の試合が始まるのを待ち、その間他の人間の試合をいくつか見ていた。
大きな鎌を持った男が特に目立っているが、しかしそれ以外にも目を見張るものはそれなりにいる。
例えば二本の杖を持った魔術師なんかはそれなりの腕前だと感じ取れた。
あの二人がぶつかれば楽ができそうなんだがな、と考えていたナルだが今後の対戦表を見せられてそれが淡い希望だったと悟った。
どちらの男も、ナルの対戦表では次が鎌の男、そして相手が勝ち残ればと言うよりは確実に勝ち残るだろうという組み合わせであるため次の次に魔術師と当たることになる。
「面倒な組み合わせしたなおい……」
「妥当なところじゃろう、面白くなるように組み合わせされておる」
「面白くなるように……ねぇ」
本来ならばナルの名が書かれている場所にはジャネットの名前が載っていたことだろう。
もとよりナルはその腕を見込まれたというよりは賭場荒らしを当て馬にして、今回は金で釣られた形をとったがそうでなければ力ずくであの場に引きずり出されていたはずだ。
そしてジャネット同様薬物と洗脳で無理やりたたかわせて、当て馬に、あるいは前座としての余興として使われるのだろうという魂胆が目に見えていた。
初手大番狂わせをしたナルだが、この組み合わせはあくまでもある程度の出来レースであることがうかがえる。
先程までの前座を見る限り鎌を持った男や魔術師の相手はそれなりの腕前を持っているが、魔術師の対戦相手は弱い。
おそらくこの二人は初戦でかち合うように配置されて大一番として見せておきながら次戦のジャネットとの戦いでは疲弊して本来の力を発揮できないままに殺される役割だったのだ。
それを二連続でナルにあてがうというのは、意図がすすけて見えるというものである。
「ま、いいさ。俺は準備してるよ」
「それがいいじゃろ」
にやにやと笑みを見せ続ける貴族の老人を無視してナルはジャネットが運ばれた医務室へと向かった。
「容態は? 」
「よくない、骨折の方は処置した。確かにこれならば治った後適切な処置を続ければ以前よりも頑丈になるような折れ型をしている。だが……」
「薬か」
「そうだ、薬物の過剰摂取で肉体の崩壊が始まっている。すでに内蔵の半分は機能していない」
「そりゃまた……なぁ、あんたはこいつをどうしたい? 」
「……医者として言うならば、このまま死なせてやるのが最善だ。麻酔で眠らせている今ならば、苦しむことなく安らかに死ねるだろう」
「あんた本人の意見は違うと」
「私はな、医者になってからたくさんの人の死を見てきた。救えた命の数倍、数十倍、数百倍の救えなかった命があった。ここに来てからは……全員安楽死させてやる以外の道がなかった」
絞り出すように内心を吐き出した女は、それでも気丈に髑髏のマークが描かれた瓶を手に取る。
そしてもう片方の手には注射器、それで毒を注入すればジャネットという男は間違いなく安らかに死ねるだろう。
「救う手立てがある、といったらどうする」
「あるわけがない……いうなれば末期患者だ」
「あんたが俺に棄権しろと言ったのは無意味な死人を増やしたくないと思ったからだろ。こいつの死は無意味なのか」
「人の……人の命に無意味な物があるわけがないだろ! 」
注射器も、独の瓶も投げ捨ててナルの胸ぐらをつかんだ女の目には涙が浮かんでいる。
幸いと言うべきか、それとも不幸と言うべきか、地面に落ちたガラス製のそれらは割れることなく転がっている。
「じゃ、一つ魔法を見せてやる。他言無用だぞ」
そう言ってナルはジャネットの胸に手を当てて、【節制】のカードを発動させた。
外見に変化は見られない。
しかし確実に、回復の兆候を感じ取れたなるはこの程度でいいだろうという所で手を放して地面に落ちた瓶を拾い上げた。
「あとはあんた次第だ。使うも使わないもな」
そう言ってジャネットが寝かされているベッドのわきにあるサイドテーブルにそれを乗せて階下へと降りて行った。
次は、鎌の男だ。




