お招き
ルール違反すれすれの、というよりは十中八九の割合で違反とされる行為を繰り返したナルはそれからしばらくしてポケットを金貨で膨らませていた。
達成感ともいうべき疲労感が全身にのしかかるが、それがまた心地よい。
一仕事終えた後の様にタバコを吸い、煙を吐き出して存外この空間も悪くないななどと思い始めたころだった。
「おい、上の方々がお呼びだ」
槍を手にした男がナルの肩を掴んでそういった。
やっと来たか、とその場にタバコを吐き捨てて男の案内についていったナルは先程は通せないといわれた扉の前に立っている。
「こっから進めばいいのか? 」
「さっさと行け」
「へいへい」
多くを語ろうとしない男に、まぁそれもいいだろうと扉を押し開けて中へと進む。
先に有ったのは短い階段、それを上り終えるともう一つ扉があった。
同じように押し開けて中に入るとそこには数人、貴族らしい格好の男達と白衣を身にまとった女がいた。
「どうもお招きありがとう、タバコ吸っていい? 」
答えは聞いていないけれど、と付け加えて勝手に煙草を咥えたナルはそれらの男たちを観察する。
下にいたときほどではないにせよ、この場は薄暗い。
人の顔を認識することはできるが、細かな表情を読み取るのは難しいかもしれないなと考えたナルは口元に手を当てたまま、白衣の女を見る。
他の貴族と比べて顔色が悪いようにも見えるが、しかし目の下のクマを見るに寝不足が原因だろうと診断したナルは咥えたままの煙草に火をつける。
「で、しがない賭場荒らしに何か御用でも? 」
「……ふむ、悪くない素材だ」
ナルの質問を無視して、一人の貴族が言葉を発する。
痩せこけているが顔色は悪くない。
目はぎらぎらとした光を宿しており、全身から強く死臭を漂わせている。
明らかにまともではないが、それでもナルはどうでもいいと視線を外す。
こいつは保有者じゃない、ならばどうでもいいと。
「なかなか、楽しめそうだ」
そんな風に呟いた筋肉質な貴族も一瞥する。
明らかに刃物、それも鋭い物で深くえぐられるようにつけられた傷が痛々しい。
が、それだけである。
長年戦場に身を置いているものはグリムをはじめとして独特の雰囲気を醸し出しているが、この男も同様の気配を発していた。
しかしそこにカードの気配は感じられないのだ。
「乗るか乗るまいか、どちらにかけるかね」
最後に口を開いたのはこの中でも最年長だろうか、深い皺の刻まれた老人だった。
ひっひっ、という空気の漏れるような笑い声が耳障りだ。
だがその程度の事、ほかの二人に比べればいささかマシかと思いながらもこの場にいる男の中では最も警戒しなければいけないのはこいつかもしれないという警鐘がナルの中で響いていた。
一見マシに見える、というのはある種の武器だ。
目立たないというだけで、その腹の内に何を宿しているのかわからない以上敵対は危険と察したナルは最後に白衣の女に視線を向けた。
そして、すぐに気配を探る。
たしかにカードの気配はこの場から発せられていたものだ。
ならば消去法で行くならば、この女がカードを持っている可能性が高いと考えたうえで気配を探り、そして見つけた。
「あー、話が見えねえな」
そんな風に嘯きながら煙草を吹かすナルに男たちは笑い声をあげる。
「ひっひっ、貴様は次の遊びに選ばれたのじゃよ」
「遊び……ねぇ」
ちらりと視線を逸らす。
下にいたころは鏡張りに見えていたそれは、やはり特殊な加工でこちら側からは様子が丸見えなのだ。
今でも残虐な賭けは続いている。
「俺にあれをやれと? 」
「あの程度の児戯に何の意味があると思う? お若いの」
「意味なんかないだろ。娯楽の一環で賭け事。あぁしてまで金を稼がなきゃいけない奴らが揃っているってのは問題だし、この後まだまだ替え玉があるって事態も問題だがそれは俺が考える事じゃなくて国が考える事だ」
「然り、じゃがそれを楽しみにしている貴族と言うのも存外多い物よ」
そう言って窓の外を指さした。
それが指し示す意味は、ほかの鏡があるという事。
つまり用意された特別席はここだけではないという事だ。
「悪趣味なやつばかり揃えてるなぁ……にしても話が見えん。なんで俺はここに呼ばれた? 」
「これから行われるメインイベントに参加してもらおうと思っておるのじゃ」
「メインイベントねぇ……絶対ろくでもないな」
確信をもってそう告げるナルに、老齢の貴族は皺だらけの顔を歪ませて笑みを見せた。
何よりも雄弁な回答に、ため息とともに煙を吐き出したナルは続けてと促す。
「あと一時間、階下の者を一時片付ける。その後各々が集めた強者を殺し合わせて金を賭けるのだ」
「強者……おれ? 」
「ルールの裏をかく手腕、まさに見事としか言いようがない。そしてじかに見てわかったが、それなりに場数も踏んでいると見える。悪い話ではあるまい。賞金もでる故な」
「……俺以外に参加者、あぁ詳しくは言わないでいいが少なくとも俺の旅仲間とかは招いてないだろうな」
「あの小さい女子とでかい女であれば、われらの監視下ではあるが今は表の遊戯に没頭している。手出しはしないと約束しよう」
「監視してる時点でどうかなって話なんだがな……。まぁいいさ、その賞金ってのはいくらくらいだ? 」
ナルの質問に痩せた貴族が片手をあげる。
開かれたその手に注目して、指五本、桁はわからないがそれなりには支払われるらしい。
「そんなはした金じゃ付き合いきれんな……と言いたいんだがな、俺はこの女医さんが気に入った。彼女の権利を貰えるなら……考えてもいいぜ」
「ほう……どうじゃ」
「どうもこうも、ふざけんなエロガキと答えればいいか? くそ爺共」
初めて女が口を開いたかと思えば飛び出した言葉は罵詈雑言だった。
ナルとてそれなりの時間生きてきたがガキ呼ばわりされたのはなかなか珍しく、自分に対しての発言だとは思えなかったほどである。
いっそすがすがしいそれを聞きながら、ナルは煙草を捨てる。
「エロガキねぇ……おれはちょっとお話したいな程度の気持ちだったんだが何を想像したのやら。これだから寝不足はよくない」
「なんだと……」
「医者の不養生と言うが、もう少し自分の健康にも気を使った方がいい。見たところ寝不足と軽い栄養失調が見られる。持病はないが疲労がたまっているな」
そんなことを言いながらちょっと失礼と服の上から腹部に触れたナルは内臓の動きを確認する。
「酒は飲まないのか……呼吸音からも異音はないから煙草も吸わない。そこまで健康に気を使うなら睡眠と食事はちゃんととった方がいい」
「あんた、医師かい? 」
「闇医者ならやっていけるが、普通の知識ある旅人だよ」
「医学の知識がそう簡単に広まってたまるか」
「そういう知識がないと簡単に死ぬのが旅人なんだよ」
しばらくの沈黙、あるいは睨みあいの末に先に動いたのはナルだった。
懐から新しく取り出した煙草に火をつけて、そして女に近づき煙草の煙を吹きかけた。
「ナルだ、どうぞよろしく」
「生き残れたら名前を教えてやる」
「おっとつれない、これでもあんたより年上なんだが……童顔はお嫌いかな? 」
「お前が嫌いだ」
「それは重畳、俺は自分を嫌う女を口説くのは得意なんだ」
けらけらと笑い、貴族の男たちがグラスを置いているテーブルの上に腰を下ろす。
明らかなマナー違反だがそれをとがめるものは誰もいない。
「さて、改めて商談だが結局のところどうなんだ。あんたらの裁量で同行できる女じゃないというのはわかったが、俺は個人的な理由込みでこの女に用がある。別に夜の誘いとかそういう色めいた話ではないとだけ明言しておくがな」
「ほう……では、治療かのう? 」
「似たようなもんだ」
「しかるべき金額を用意すれば、嫌とは言わんだろう。破滅の医師とまで言われた女だからな」
息をのむような笑い声をあげる老人に、しかし視線を逸らすことなく煙をもてあそぶナルはその瞳の奥の真意を見出そうかと一瞬考えてからやめた。
この手の輩は大抵の場合何も考えていない。
快楽と娯楽と享楽に明け暮れているだけなのだ。
真意などない者の真意を探れば無意味な混乱を招くだけである。
「じゃあその代金の立て替えはあんたらがするってことで、おいくらだ? 」
「お前の望む治療によって金額は変わる」
「だろうな、じゃあ普通にさっき提示された額に指二本上乗せ。桁は千万、これで手を打とう」
「随分と買われたな」
老人はナルではなく女に視線を向けてそう口にする。
その視線からは新たなおもちゃを見つけたという歓喜が読み取れた。
「買うのは俺だから金の上乗せはいくらでもできるがな。とりあえずルールを聞かせろ。話はそれからだ」
「武器あり、相手の戦意喪失あるいは戦闘続行不可能で決着、それ以外にルールは無しじゃ」
まじかよ、とナルはあからさまに嫌そうな表情を浮かべて見せる。
単純すぎるルールというのは裏をかくという戦法が使いにくい。
特に今回の場合は裏世界の賭博である。
となれば、当然ながらに命がかかってくるわけだが戦闘続行不可能という一点には気を付けなければいけない。
これが意味するところは殺しもあり、どころか殺すことを推奨しているのだ。
少なくとも目の前の老人たちは7千万という金額を出すと、口約束に過ぎないがそれほどの金を出せるという事を証明した。
ならば他の貴族たちや豪商、とにかくこの場で貴賓席に座ることのできる連中はそれなりの金を持っているという事になる。
その金を得るためには勝利を前提条件とするのが普通だ。
普通ではあるのだが、一点ナルは気がかりがあった。
「ところでその金は俺が負けてももらえるのか? 」
「勝ったら、と言う事にしておこう」
だよなぁと内心で確認しといてよかったのか悪かったのかと自問するナル。
負けてももらえるならば即時降参して金だけもらっていた。
女の生きていたら名前くらいは教えるというあの言葉から察するならば、死ぬくらいなら逃げろという意味も含んでいるのではと強引ながらに好意的な解釈もできないわけではないが、しかし金を払えないとなれば今後『治療』という名目でカードの情報を集めるのは不可能だろう。
むろん、ナルの財産を全て処分する形で金を用意すれば7千万という金額を上回ることは可能だが、まさしく捨て身である。
それができるかと言えば否、そこには裏組織をはじめとするあらゆる人脈の破棄に等しい。
今トリックテイキングという敵がいる以上少しでも不利になるような行為は慎まなければいけない。
結果としてナルに許されるのは勝利のみとなった。
(聞かなきゃよかったかな……)
下手な質問をしなければ口八丁で提示された額の半分くらいはとれたかもしれないと思いながらも、燃え尽きかけている煙草をもみ消したのだった。




