ゲーム指導
グリムのいかさまを聞かされたナルだが、なるほどその手があったかと舌を巻いた夜の事。
宿に備え付けられた食堂で遅めの夕食を堪能していた一行は町の住民に囲まれていた。
リオネットとグリムは昼間の件で後ろめたい事があるため多少身構えているが、ナルは敵意がない事を即座に感じ取っていた。
「あんたらが噂の馬鹿みたいに強い旅人さんか! 」
「ちょっとチェスのコツ教えてくれよ! 」
「俺は麻雀のコツ聞きてえ! 」
そんな風に口々に訪ねてくる者たちを適当に相手をしながらナルはちゃっかりと「美味い酒があれば舌も回るようになるかもな」などと嘯いて酒をおごらせていた。
グリムとリオネットは早々に退散したものの、長い夜が始まることとなる。
「この国の住民は確かにゲームが得意だが、教科書通りすぎるきらいがある。だから悪手で誘うと簡単に引っかかるな。例えばこういう盤面、あんたならどうする? 」
ナルが店主に頼んで持ってきてもらったチェス盤を見下ろしながら適当に駒を並べる。
局面は白が優勢だが、決して油断できない状況。
それをみて一同は即座に黒の駒を指で指し示しした。
「ま、それが定石だわな。ただ、俺ならこうする」
黒のビショップをナイトの退路を断つように配置したナルは煙草に火をつける。
「でもそれだと逃げ道がなくなってこの後つらい事に……」
「逃げてどうする、黒が不利なんだから多少の無茶をしてでも前線に駒を送り込んでいくべきだ。と、相手に思わせる。そうすれば相手はこちらの前線を崩壊させるべく多少の無理をしてでも攻撃に打って出なきゃいけなくなるわけだが……そうなると今度は相手の盤面を乱す事ができる。確かに定石と言うのは強いから語り継がれているが、それは一度瓦解するとあとは脆い物だ。ついでにこの手の悪手で相手を誘う方法は山ほどあるから、教科書には載せられないし真っ当な打ち方ともいえないからな。あくまでもこういう戦い方もあるってことだ」
「なるほどな……駆け引きか……言われてみれば今までは駒を動かすだけだと思っていたが……」
ナルの適当な指導を真に受けた者たちはそれぞれ勝手に持ち込んだチェス盤でゲームを始めていた。
とはいえ、付け焼刃の戦法がそうそううまくいくはずもなくナルが教えた通りに悪手で誘いこもうとした者たちは軒並みずるずると負けていったのである。
「はい、あれが悪い例。悪手はどこまで行っても悪手に過ぎない。だからむやみやたらに盤面やらこの後の事を考えずにやるとああなる。ここぞという大一番で使うべきなんだ」
「ここぞという時に……切り札みたいだな」
「そうだな、ただしこの切り札は自分も自爆しかねない危険な物という前提で使うべきだ」
肯定しながらもナルは懐に収めたタロットカードにそっと触れる。
トリックテイキングという連中、奴らに対して持ち札は全て見せてしまっている現状を思い出して今後について思い悩む。
願わくばこの街に【塔】のカードがあり、それが切り札になってくれることをと考えてからそれを押し流すようにエールをのどに流し込んだ。
希望的観測はあまりにも無意味で、危険なのだ。
であるならば、危険視して使う事のない【力】と【悪魔】の同時使用について考えた方がいくらか健全である。
【悪魔】のカードはほぼすべてのカードと相性がいい。
暴走という意味を内包しているからだろうか、おそらくはカードの効力を何倍にも引き上げる力がある。
しかしそれはナルの自我さえも蝕むものである可能性が高い。
まさしく、悪手で誘う戦法と同様危険を内包した切り札である。
その切り札の使いどころは考えなければという考えと同時に、そもそも使っても大丈夫な物かどうかを思案する。
いうなればナルはキングの駒だ。
裏組織としての話ではなく、カードの取り合いと言うゲームにおいてナルの存在は必要不可欠であり今他者に殺されればカードの力は再び世界に散らばることだろう。
そうなってしまえば、手ごまの少ないナルは圧倒的不利を通り越して詰みである。
カードの大半はトリックテイキングが手中に収め、それに対処するためにも駒を集めなおさなければいけない。
チェスよりも、これも麻雀同様異世界から伝わったゲームだが将棋に近いだろうか。
その際に手元に残るのはグリムとリオネット、言い換えるならば【死神】と【戦車】の二枚。
いや、それすらも楽観的な考えに過ぎないといえる。
ナルが死ぬということは、少なからず前線が崩壊していることを意味するからだ。
つまり最悪の場合グリムとリオネットの両名も死んでナルの手元にはカードが残らない。
どういう理由かはわからないが死して尚残っていた【愚者】がどう転ぶかという問題だが、何処まで行っても【愚者】は戦力になりえないと考えている以上キングの一駒のみを残して全ての駒が相手に奪われると考えるべきである。
対して相手は万全の状態、勝ち目という意味では皆無と言っていい。
(……切り札の危険性を知らない、それが一番危ないよなぁ)
再びエールでのどを潤してからナルは、ふと近くで行われていたチェスの試合に目を向けた。
結局付け焼刃の戦法は捨てて自分たちの慣れ親しんだ、教科書通りと揶揄したばかりの戦法で真正面から戦いあうそれを目にしてうらやましいという感情が沸き上がる。
相手がわかりやすい位置にいるゲームというのはそれだけでも随分と楽な戦いになるのだ。
今ナルが置かれている状況は敵がどこにいるかすらもわからない、目隠しをされているのと同じである。
いや、ただ目隠しをされているだけならば問題はない。
それならば方法はいくつかあるが、相手が完全に身を隠してしまい捨て駒ばかりが手元に積み上げられているのだ。
今ナルが持っている情報は三つ、この街のどこかにいると思われるカードの保有者、グリムの心当たりであるミハシリ王国、そしてハングドマンの残した北で待つという言葉。
そのどれもがカードに起因しているという共通点はある。
ドスト帝国で渡された21の数字が刻まれたエメラルドはミハシリ王国で役に立つ可能性が高いが、それも切り札の一つ。
危険性が不明のままになっている不可視の切り札。
北で待つというのはハイエロ法国についてだろうと当たりはつけているが、少なくとも味方ではないという事しかわからない。
首領がいる可能性もあれば、やはりただの捨て駒という可能性もある。
この街のカードについてはいまだ不明のまま。
適当に暇を持て余している人間にそれらしい噂を聞いてみたが皆能面のような表情で何も答えることなく沈黙する。
なにか隠さなければいけないことでもあるのだろうかと表情を読もうとするが、彼らは日ごろからゲームになれているせいだろうか、正しい情報が得られないのだ。
全員が全員、ポーカーフェイスはもちろんのことあえて表情を作り適当な情報を掴ませることにも長けている。
思わず舌打ちをしそうになり、それを無理やり押しとどめて摘みに頼んだ鶏肉を口に運んでごまかした。
こうなってしまえば残される手段は一つ、多少目立つ可能性も考えながら【月】のカード、ルナに力を貸してもらいカードの保有者を探ることだ。
とはいえ、【月】はある程度同族であるカードの力を探ることはできるが精度という点では【愚者】に劣る。
その【愚者】はといえば、グリムとリオネットという保有者が近くにいるため探知が阻害されてしまう。
失敗すれば後がないのだ。
だからこそナルは決断を迫られることになった。
いつ、どのタイミングでルナを呼び出すか。
そしていざ失敗した時はどのような対処を取るのかと……。
その後ナルはひと段落ついたころに酔いが回ったと嘘をついて部屋に戻り、窓の外から人気のないタイミングを見計らってルナを呼び出し調査を命じたのだった。




