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ラビンドール  作者: usa
番外編
12/12

はじまりの冬





「高島。本当にいいのか?」


 念を押すように聞いてくる進路指導の多田先生に、私はこっくりうなずいた。


「はい、先生」


 多田先生の手元には、私のもとに届いたばかりの合格通知。県外の文系大学で、なかなかレベルが高い。だけどその分、興味がある分野についてとことん学べる。

 先生は合格通知を指でトントンと叩いた。


「なあ高島……。おまえが推薦でこの大学に入れるのは、教師としちゃ誇りだ。ここ何年も、うちからじゃ合格者を出してないからな。だけど、ここに通うのは、おまえのうちからじゃ不便だし……」

「はい」


 私は再びうなずいた。


「家を出て、一人暮らしします。女子寮があるから、たぶんそこで」

「簡単にいうけどな。自分だけで暮らしていくのは大変なんだぞ。家賃や光熱費の問題もあるし、学費だって必要だ。それを補うためにバイトしようにも、学業との両立は努力がいる。掃除も料理も全部自分でやらなくちゃならないし、誰かに助けてもらおうったって、そうはいかないかもしれない。それがどういうことかわかっていってるのか?」


 多田先生の言葉は厳しかったけど、表情から本気で私を心配してくれてるんだとわかる。そんな先生にも、私はただうなずくしかできない。

 先生はため息をついた。そして合格通知を、私の方に返してきた。


「そうか、わかった。だけどおまえは確か、教員免許を取りたいんだったろ? わざわざこんな大学にいかなくても、近場でいい大学もあるだろうに」


 私は首を振った。


「ここがいいです。古文の研究室がある。ここならもっと、古文のことを勉強できる」

「そっか……なるほどな」


 先生はようやく表情を和らげた。


「にしても、おまえの進路を脇田が知らなかったとは驚いた。てっきりおまえたち、付き合っているのかと思ってたからな」


 急に話題を変えられて戸惑った。笑とさっき別れた時のことを思い出す。

 あんなに傷ついて、青ざめた笑は見たことがない。そうさせたのは私だけど、胸が苦しかった。


 先生は不思議そうにたずねてきた。


「なんで高島は、脇田にも黙ってたんだ? あんだけ仲がよかったじゃないか」


 先生の問いかけは、もっともなことだと思う。たぶんほかのみんなもそう感じているはずだ。彼は私の一番の友だちなのに、なぜ彼にだけ黙って、ここを去ろうとしていたのか。


 唇をぎゅっとかみしめ、私は答えられないことを無言でアピールした。先生にも通じたのか、肩をすくめて立ち上がった。


「まあ、一教師の俺にゃ関係ないか。悪いね、この歳になると、若もんの事情にはなんでも首を突っ込みたくなるんだよ。教師の(さが)ってやつかね」


 先生は頭をポリポリと書きながら、何気ない口調で続けた。


「そういやぁ、さっき脇田も来てたんだったなぁ。あいつにとっとと進路決めろって、おまえからもいってやれ。今日も具合が悪いって帰っちまったしな」

「え」


 私は聞き返した。


「笑が、具合悪い……?」

「あー。なんか顔色も悪かったしな。まあ、そんな大したもんじゃなかったんだろうけど。あいつにしちゃやたらと顔も暗くてなー」


 胸がズキズキと痛む。笑にそんな顔をさせて、気分を悪くさせたのは私だ。でも私は、笑にだけは、進学先を明かすわけにはいかなかった。絶対に。


 多田先生は怪訝な顔をした。


「なんなんだ、おまえらは二人そろって、似たような顔して。高島、おまえも気分が悪いのか?」


 私は首を振った。


「違います。……とりあえず、帰ります」

「おー、わかった。気をつけて帰れよ」


 その言葉に私はこくんとうなずいてから、進路指導室をあとにした。


 この三年間、笑には言葉では表せないぐらいにお世話になった。笑のおかげで、笑うことが怖くなくなった。友だちもできた。夢もできた。それに、恋を知った。


 本当は私だって、笑から離れたくない。ずっと一緒にいたい。今までずっと一緒に過ごしてきたんだもの。そう簡単に離れられるわけがない。

 でも私には、そうしなきゃいけない理由がある。だって、私があの大学にいくといったら、きっと笑は……。


 考えながら歩いていたら、駅をとうに通り越していた。ふっと顔をあげてあたりを見渡せば、何度か通った街並みが目に入る。

 笑の家……この近くだ。どうやら無意識のうちに、足を運んでしまったらしい。いくらあんな別れ方をしたとはいえ、具合が悪いといわれれば気になる。


 はじめて遊びにいった時、笑が家の前をうろうろしていたっけ。いかにも挙動不審なその様に、会って早々に「なにしてるの?」と聞いてしまった。照れもせずに「笑美を待ってた」といわれたから、すごく恥ずかしかったっけ。

 それから笑の家に、何度も遊びにいった。笑は自分のママとお姉さんに会わせたくないっていって、私が来るとすぐに自分の部屋に案内してくれようとした。でもそのたんびにおねえさんに見つかって、結局リビングでみんなでおしゃべりをした。笑のママとおねえさんは、いつも底抜けに明るくてよくしゃべる、一緒にいるだけで楽しくなれる人たち。その人たちにも、今後は会えなくなる。


 結局、来てしまった。もはや見慣れた一軒家を見上げて、私は悩んだ。やっぱりさっきのことがあるから、笑と顔を合わせづらい。でも、元気だということだけは確認したい。インターホンを鳴らすべきか、それとも黙って帰るべきか……。


「あれ、笑美ちゃんやん」


 ふいに声をかけられ、インターホンに伸ばしかけていた手をあわてて引っ込めた。声がした方を振り向くと、見覚えのない若い女の人がこちらに近づいてきた。すごく美人だ。明るく染めた髪を複雑に編み込んで結いあげて、わずかにサイドに垂らした髪が色っぽい。女性らしい丸みを帯びた身体を、流行りの服で包んでいる。まるでモデルさんのようだった。


 今名前を呼ばれたけど、この人誰……? 知り合いにこんな美人がいたら、絶対に覚えているはずだけど。

 その美人さんは、ブーツをカツカツと鳴らしながらこちらへ来ると、親しげに私に話しかけてきた。間近で見ると、きれいにお化粧もしていてすごく大人っぽかった。


「そんなとこでなにしてたん? 笑になんか用?」

「え?」

「笑はなにしてんのん? 彼女がこんな寒空の下で待ってるっちゅーのに、あのアホ」


 その関西訛りで、ようやく私ははっとした。


「笑の、おねえさん……?」

「へ? そうやけど」


 笑のおねえさん……美幸さんは、きれいな形に書いた眉をひそめた。


「誰やと思ったん?」

「あの、いえ……」


 いつも家で会う時は、すっぴんでスウェット姿だったから、全然わからなかった……。化粧で女の人って、こんなに変われるものなんだ。


 美幸さんはバッグをごそごそと漁ってカギを取りだすと、鍵穴に差しこんだ。ドアを開けると、振り向いて私を促した。


「ほら、上がってくんやろ? リビングで待っとって。アホ呼んでくるから」


 いうなり美幸さんは、玄関のすぐ脇にある階段をのぼっていった。


「おーい、笑ー!」


 ぽつんと取り残された形の私だったけど、もうこの家には何度も招かれている。リビングの場所だって、案内されなくてもわかる。


 どうやら笑のママは留守らしく、リビングにはだれもいなかった。空いていたソファに、とりあえず腰を下ろして待つ。静かな笑の家っていうのは、なんだか新鮮で逆に落ち着かなかった。


 しばらくすると、二階からバタバタと足音がして、次いで階段の方からなにかが転がってくるような音がした。


「え、笑美!?」


 リビングのドアが勢いよく開いて、笑が顔を見せた。部屋着を着ていたけど、体調が悪いわけじゃなさそうだ。

 笑は私が座るソファまでくると、いきなり肩をガシッとつかんできた。


「な、なにかあったのか!? あのあと学校で嫌なことされた? 帰り道にヘンな人に会った?」

「し、笑……」

「ごめん笑美! 俺、今日は多田先生につかまって進路指導室にいってて……。そのあともすぐに帰ってきちゃったんだ。でもちゃんと迎えにいってやればよかった。そうすれば笑美をそんな目に遭わせずに……」

「違う、笑。違うの」


 私は急いで遮った。


「謝るのは私。ごめんね、笑」

「笑美……」

「今日、ひどいこといって、ごめんなさい。ずっと避けてて、ごめんなさい。帰りも待ってなくて、ごめんなさい」


 ひとつひとつ謝っているうちに、鼻の奥がツンと痛くなってきた。じわりと目が熱くなる。


「進学先黙ってて、ごめんなさい」


 いった途端、ポロリと涙がこぼれた。


 本当はずっと苦しかった。笑を騙しているみたいで、辛かった。打ち明けて、引き留めてほしかった。でも、やめたくなかった。だから、いえなかった。


 カバンの中から、大学の合格通知を取りだした。それを笑に差し出す。笑は戸惑ったように受け取って、封筒を見つめた。そこに書いてある学校名を見て、へにゃりとした情けない顔で笑った。


「なにこれ……ガチで遠いじゃん」


 つぶやくようにいって、へなへなとソファに倒れ込む。


「笑美、本当にこんなところまでいっちゃうの?」


 笑が驚くのも無理なかった。電車で数時間かかるような距離。そう簡単に行き来できるところじゃないのは、一目でわかる。


 私は背中を丸めて、まるですがるように私の服を握る笑を、優しくなでた。


「ねえ、笑。どうして私がそこへいくか、わかる?」


 笑は顔をあげないまま、ゆるゆると首を振った。


「そこにはね、古文の専門研究室があるの。全国でもトップレベルの。そこで、もっともっと勉強したい」


 ひくっとしゃくりをあげながら、私は懸命に続けた。


「どうしてそう思ったか、わかる? 笑がね、夢をくれた。笑が私に、勉強の楽しさを、改めて教えてくれた。笑とはじめて一緒に勉強した時、ほんとはすごく楽しかった。私が好きなものを、理解しようとしてくれる笑が、すごくうれしかった。もっと古文が好きになった。私はもっと、古文を好きになりたい。楽しさを広めたい」


 うずくまる笑を、上から包むように抱きしめた。笑はまだ私の服を握りしめたまま動かない。だけどわずかにびくりと震えた。


「それに私、ここにいたら……。笑の側にいたら、ずっと甘えちゃう。このままなんにも変われなくて、成長できない。だから、笑から離れて……。簡単に会いにいけないところにいく。笑に甘えるだけじゃなくて、甘えてもらえるような人になりたい」


 抱きしめた身体から、笑の熱が伝わってくる。早くて大きな鼓動は、私かな。それとも笑のかな。

 やっぱり笑の傍は落ち着く。ここが私の居場所。私の帰る場所。そうでありたい。


 笑が少し身じろぎしたのを感じて腕を緩めると、真っ赤になった笑が顔をあげた。


「笑美の気持ちはよくわかった」


 紅潮した顔のまま、笑は真面目くさっていった。


「正直いって、まだ納得はできないけど……。応援するよ」

「本当?」


 私が聞き返すと、笑は大きくうなずいた。


「当たり前だろ! 笑美の夢をつくったのは俺なんだから、俺がまず一番に応援してやんなきゃ。そのかわり、もう隠し事とかすんなよ?」

「うん」


 私は袖口で涙をぬぐった。

 笑は弱い姿を見せたのが恥ずかしかったのか、どこか気まずげな顔をして頭をかいた。


「あー、あとさ。さっきおまえ、俺に甘えられるような人になりたいっつったけど」

「うん」

「俺はね、甘えるより甘えてほしい派なの。そりゃたまには、今みたいなのもいいと思うけど……」


 笑は再び顔を赤くさせながら、ぼそぼそとつぶやいた。


「俺は笑美に、頼ってもらえるような男になりたいの」


 消え入りそうなぐらいの声量だったけど、はっきり聞こえた。それは私の中でも、とてもうれしく響いて、知らず知らずのうちに微笑がこぼれる。


「ありがとう、笑」


 笑はまた、ちょっと情けない笑顔を見せた。


「笑美、新しい住所決まったら教えてね。会える時は、必ず会いにいくから」

「うん」

「笑美も、辛い時とか嫌なことがあった時は、すぐに帰って来いよ。俺がいくらでも話聞くから」

「うん」

「俺以外にも、颯太もメグも、おまえの味方だから……。いつだって連絡しろよ!」

「うん」


 力強い言葉に、私も大きくうなずく。


「ありがとう、笑。ごめんね……本当に、ありがとう」

「わ、泣くなよ!」


 再びボロボロと泣き出した私に、笑はあわてた。


「今生の別れってわけじゃないし……。いや、さっきまでセンチだった俺がいえたセリフじゃねえけど。でもさ、笑美には笑っててほしいんだよ。笑美の笑った顔を見るのが、俺は……」


 いいかけて、笑ははっと言葉を切った。また告白しかけて我に返ったのかと思いきや、どうやら違うようだった。


「わかった」

「え?」

「わかった! 俺がやりたいこと、見つけた!」


 急に笑ははじけるような笑顔になって、私の手を取って立ち上がり、ぐるぐる回りだした。


「やっとわかった。俺の夢」

「な、なに?」

「人を笑顔にする仕事!」


 さっきとは逆に、笑の方から抱きしめられた。なぜかさっきよりも、今の方が倍以上ドキドキしてしまった。

 にしても、人を笑顔にする仕事、なんて……。すごく笑らしい。私は笑った。


「具体的にどうするの?」

「う……それはまだなんとも」


 途端に声がトーンダウンした。それでも、身体は抱きしめられたままだった。今度こそドキドキと脈打つ鼓動が、自分のものだと自覚する。ふと気づけば、もっと力強くて速い鼓動も伝わってきた。


 ぎゅっと抱き合う身体で、互いの熱を感じあう。思えば手は毎日のようにつないでいたのに、こうして正面から抱き合うのははじめてだった。まるで恋人同士のようで、ますます緊張した。

 笑も同じ気持ちなのか、声をかけられたとき、その声は上ずっていた。


「あ、あのさあ」

「うん」

「向こうにいく前に、ひとつだけいいかな」


 改まってなにをいう気なのかと、私は顔だけ離して首をかしげた。


「なに?」

「だから……。笑美が向こうに引っ越しちゃう前に、さ」


 笑は私の背に回した手に、ぎゅっと力を込めた。笑の緊張が伝わってきて、私も思わず息を飲んだ。



「俺と――けんこん(・・・・)してください!」



 微妙な空気が流れた。


 笑は一拍置いて、自分がなにを口走ったのか理解したらしい。バッと私から離れたかと思うと、自分の頭を抱えて悶絶した。


「うわぁぁぁぁっ! い、今のなし! けんこんて、けんこんてなに……!?」

「……結婚のことじゃない?」

「冷静に返すなよぉぉっ! ってか、俺もそんなすっ飛ばしていうつもりじゃなかったというか。その前にいうセリフがあったはずなのに、なんかめちゃくちゃ緊張してわけわかんないことを……」


 さっきよりさらに顔を真っ赤にほてらせて、笑は床にぐしゃりと倒れ込んだ。本日二度目のちょっと情けない姿。それを可愛いと思ってしまう私は、相当彼に惚れ込んでいるんだろう。


「いいよ」

「俺はまず最初に、もっと記憶に残るようなロマンチックなセリフをだな……」


 言い訳を続けていた笑が、言葉を切って勢いよくこちらを振り向いた。


「え!?」

「今すぐってわけにはいかないけど」


 私はしゃがみこんでいる彼に合わせ、自分もかがんだ。目を合わせてから、自分でも驚くほど自然に微笑む。


「四年後に、また笑のところへ帰ってきた時に、もう一度同じセリフを聞かせてね」


 笑は赤い顔のまま、ポカンと間の抜けた顔をして固まっていた。私はそれを見て、照れくさくておかしくて、また笑ってしまう。


 この時、私も笑も知らなかった。笑のママも美幸さんもとっくにリビングの外にいて、私たちの会話はすべて筒抜けだったということに。



 卒業後間もなく、私は大学近くの女子寮へ引っ越した。笑は最後まで、「辛かったら帰ってこい」といってくれていた。

 だけどきっと私は、四年間ここで頑張っていられるだろう。約束通り、四年後にもう一度、彼から三回目のプロポーズを受けるために。





超久しぶりに参上しました<(_ _)>

笑ちゃん、就活頑張れ……(人のこといえない)。


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