第11話 潜入
翌朝、けだるくも心地よい疲労感を覚えながら、わたしたちは行動を開始した。
昨夜の甘美な時間の余韻は、肌の奥に熱として残っているけれど、頭は冷たく冴え渡っている。
「……ほらよ。約束の金だ」
路地裏の薄暗がりで、ブレイズがずしりと重い革袋を、目深にフードを被った男に投げ渡した。
ローザが紹介してくれた情報屋の一人だ。
「憲兵団へのタレ込みは手筈通りにな。男爵が溜め込んでいる禁制品のリスト、取引の時間、隠し場所……すべてこの紙に書いてある通りに伝えろ」
「へへっ、承知しやした。『正義感に燃える匿名の市民』として、きっちり通報しときやすよ」
男が卑しい笑みを浮かべて闇に消えていくのを見届け、ブレイズが鼻を鳴らす。
「ケッ。気に食わねえな。コソコソと裏工作なんざ、俺の性分じゃねえ」
「文句を言わないの」
彼の脇腹をつつくわたしの隣で、アズールが涼しい顔でフードを整えた。
「今夜、憲兵団が男爵邸に踏み込む。その混乱こそが、ボクたちの最高の隠れ蓑です」
◇
そして、夜。
リシャール・ド・デュラン男爵の屋敷は、昨夜の優雅な喧騒とは打って変わり、蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。
「開けろ!帝国憲兵団だ!!」
「違法魔導具密輸の容疑が掛かっている!屋敷内を捜索する!」
怒号と共に、屈強な憲兵たちが正門を押し破り、屋敷へと雪崩れ込んでいく。
屋敷の私兵たちは正面の対応に追われ、裏庭の警備は手薄――というより、完全に崩壊していた。
「……計算通りですね。あまりに鮮やかすぎて、欠伸が出そうだ」
木々の影に潜んだアズールが、冷ややかな声で囁いた。
「行くぞ。遅れるなよ」
目指すは、使用人用の通用口から続く、地下金庫への道だ。
ブレイズが音もなく走り出す。
その巨躯からは想像もつかないほどの俊敏さで、見張りの背後に忍び寄る。
「ぐっ……!?」
鈍い音がして、見張りの兵士が崩れ落ちた。
ブレイズが首筋に手刀を叩き込んだのだ。一撃で気絶させ、音もなく地面に横たえる。
その動きには一切の無駄がない。
「『眠れ』」
アズールが短く詠唱すると、廊下を巡回していた兵士たちは糸が切れたように眠りに落ちた。
殺さず、騒がせず、迅速に。
二人の騎士の連携は、昨夜のベッドの上と同様に、言葉を交わす必要すらないほど完璧な「阿吽の呼吸」だった。
「お見事ね、二人とも」
わたしは二人の背中を追いかけ、迷うことなく屋敷の地下へと続く通路を進んだ。
屋敷の中は大混乱だが、わたしたちはその喧騒を遠くに聞きながら、静まり返った石造りの廊下を駆け抜けて行く。
地下深くへと続く階段を降りると、湿った冷気と共に、重厚な鉄の扉が姿を現した。
表面には複雑な魔術紋様が刻まれ、物理的な破壊を拒絶している。
「……ここだな」
ブレイズが扉の前で立ち止まり、わたしを見る。
ここからは、わたしの仕事だ。
「ええ。任せて」
わたしは扉の前に進み出た。
昨夜の夜会で、男爵の指輪から読み取った魔力パターンを思い出す。
指先に魔力を集中させ、扉の表面をなぞっていく。
『認証』
『反転』
『解放』
指先から流し込んだ魔力が、扉の内部機構と共鳴し、カチリ、カチリと複雑な解錠音が響く。
この感覚。古代の意思と繋がり、閉ざされた道をこじ開ける、背筋がゾクゾクするような高揚感。
ゴゴゴゴゴ……。
重厚な地響きと共に、巨大な扉がゆっくりと開き始めた。
「へえ。やるじゃねえか」
「さすがですね、ミリアさん」
金庫室の中はさながら小さな博物館だった。壁一面の棚に、男爵が集めた美術品や宝石、禁制品の数々が並べられている。
けれど、わたしたちの目的はただ一つ。
「あれが……」
琥珀色の宝玉。
夕暮れの空の色をそのまま結晶化させたような、美しくもどこか物悲しい輝き。
『黄昏の瞳』。
わたしは吸い寄せられるように歩み寄り、その宝玉に手を伸ばした。
指先が、冷たい石の表面に触れる。
ドクン。
その瞬間、心臓が大きく跳ねた。
「……ッ!?」
不思議な高揚感が、指先から全身へと駆け巡る。
それは単なる魔力ではない。もっと根源的な、魂が震えるような感覚。
まるで、長く離れ離れになっていた半身と再会したような、懐かしさと歓喜。
頭の中に、声なき声が響いた気がした。
『――待っていたぞ、我が器よ』
視界が白く明滅し、夕焼けの風景がフラッシュバックする。
「ミリア?」
「ミリアさん!?」
二人の呼び声で、わたしはハッと我に返った。
今の感覚は……一体?
心臓が早鐘を打っている。額には冷や汗が滲んでいた。
けれど、今は感傷に浸っている時間はない。
「……なんでもないわ」
わたしは震える手を抑え込み、慎重に『黄昏の瞳』を台座から取り上げると、用意していた革袋へと滑り込ませた。
宝玉が見えなくなると、あの奇妙な高揚感もふっと消え失せる。
「回収完了よ。行きましょう」
「ああ、長居は無用だ」
「撤収しましょう。憲兵たちがここに来る前に」
わたしたちは踵を返し、来た道を駆け戻る。
革袋の中で、琥珀色の瞳が静かに熱を帯びているのを、わたしは確かに感じていた。




