第9話 解読
「……チッ。どいつもこいつも、へらへらと笑いやがって」
わたしの隣で、真紅の軍礼装に身を包んだブレイズが、小声で毒づいた。
けれど、その立ち振る舞いは完璧そのものだ。
すれ違う貴族に会釈をし、給仕からグラスを受け取る所作の一つ一つに、洗練された無駄のなさが宿っている。
かつて帝国の筆頭騎士団長を務め、公爵家の嫡男として教育を受けた「血」のなせる業だ。
「文句を言わないの。ほら、仕事よ」
「わーってるよ。……広間の四隅に私兵が二人ずつ。窓の外には巡回が三班。交代のサイクルは三十分ってとこだな。ザル警備だぜ」
彼は貴族たちと談笑するふりをしながら、鋭い眼光で警備の配置を完全に把握していた。
その姿は、草むらに紛れ込み、喉笛を食いちぎる瞬間を待つ獅子のようだ。
一方、漆黒の礼装を纏った「夜の国の王子様」はといえば。
「まあ、アズール様!賢者の塔のお話、もっと聞かせてくださいまし!」
「なんてお美しい……!今宵のどの殿方よりもずっと素敵ですわ!」
会場の端で、色とりどりのドレスを着た令嬢たちに囲まれていた。
アズールは優雅に微笑み、甘い声で彼女たちの相手をしている。
「ふふ、光栄です。ですが、今夜の主役は皆様のような美しい花々だ。……ところで、あちらの紳士たちが話している『新しい商売』について、何かご存知ですか?」
「ああ、男爵様の事業のことですわね?実は……」
——怖い。
わたしには分かる。アズールの目が全く笑っていないことが。
彼は内心で「くだらない」「エネルギーの無駄だ」と毒づき、彼女たちを羽虫のように見下しながら、その唇からは蜜のように甘い言葉を吐き出しているのだ。
巧みな話術で会話を誘導し、令嬢たちの噂話から、男爵の不正取引に関する情報を次々と引き出している。
あの美貌と話術にかかれば、彼女らは国家機密だって漏らしてしまうだろう。
そして、わたしはと言えば。
「おや……。これはまた、見慣れない美しい花が迷い込んできたようだ」
恰幅の良い身体に、これ見よがしに宝石を散りばめた衣装。
脂ぎった額と、欲望に濁った瞳。
リシャール・ド・デュラン男爵だ。
「初めまして、男爵様。素敵な夜会にお招きいただき、光栄ですわ」
わたしは淑女の礼をとりながら、上目遣いで彼を見つめた。
男爵の目が、わたしの胸元に釘付けになるのが分かる。
……分かりやすい男。
「いやいや、あなたのような美しい方に来ていただけるとは、私のコレクションも……いや、この会場も華やぐというものだ」
男爵はわたしの手を取り、ねっとりとした視線を絡ませてくる。
それからというもの、彼は片時もわたしのそばを離れようとしなかった。
他の貴族が挨拶に来ようとしても手で追い払い、自慢話を聞かせ続ける。
「……男爵様のコレクションは、本当に素晴らしいものばかりですわね。まるで、帝国の宝物庫のようですわ」
「ほっほ、お目が高い!だが、ここに並べているのはほんの余興、分かりやすいだけのガラクタですよ」
自尊心をくすぐられた男爵は、目に見えて上機嫌になった。
承認欲求の塊ね。ここまでは計算通り。
わたしは少しだけ声を潜め、意味ありげに彼を見つめた。
「……そういえば、わたくし、噂に聞いたことがございますの」
「ほう?噂、とは?」
「いにしえの宝玉で、『黄昏の瞳』という、それはそれは美しい琥珀色の宝石がある、と。男爵様ほどの高名なコレクターでいらっしゃるなら、もちろん、ご存知ですわよね?」
その単語が出た瞬間、男爵の顔に一瞬だけ警戒の色が浮かんだ。
けれど、目の前の美女にいいところを見せたいという虚栄心が、すぐに勝ったようだ。
彼は無意識に、左手の人差し指にはめた、大きなルビーの指輪を撫でた。
――あれは。
「フフフ。お嬢さん。あなたには敵いませんな。『瞳』のことも、ご存知でしたか。……あれは、わたしの数あるコレクションの中でも、最高の逸品。」
「まあ、素敵!ぜひ一度、拝見したいものですわ」
わたしはさりげなく彼の手を両手で包み込んだ。
甘えるように、すがるように。
そして、指先で彼が触れた指輪の表面をなぞる。
ビンゴだ。
ただの装飾じゃない。
指輪の台座に、微細な凹凸がある。
わたしは『遺跡喰らい』の指先で、その形状を瞬時に読み取った。
『認証』『反転』『解放』。
わたしは男爵の手を愛おしげに撫でるふりをしながら、指先でルーンの形状をトレースし、その構造を解析していく。
くすぐったいような解読の快感。
遺跡の扉を開ける時と同じ、ゾクゾクするような興奮が背筋を駆け上がる。
「ふふ……。君はなかなか情熱的だねえ」
わたしの接触を誘惑だと勘違いした男爵が、鼻息を荒くして身を乗り出してきた。
その太い腕が、わたしの腰に回されようと伸びてくる。
ガシッ!!
その腕が、わたしの身体に触れる寸前で、鋼のような手に掴まれた。
「――その汚い手を、どけてもらおうか」
威嚇するような低い声。
そこには、ブレイズが立っていた。
洗練された軍礼装を着ているのに、その表情はいつもの凶悪な「金獅子」そのものだ。
彼は男爵の腕を、骨が軋むほどの力で握りしめている。
「こ、これは、ブレイズ殿。いささか、野暮というものでは、ありませんかな?」
デュラン男爵は、そのただならぬ気迫に一瞬たじろいだが、すぐに貴族としての虚勢を取り戻した。
「少し、この美しいお嬢さんと、ダンスを嗜もうとしていただけですよ」
「ダンス、だと?」
ブレイズの眉が、ぴくりと動いた。
「ならば、その最初の相手は、俺が務めさせてもらおう」
ブレイズは男爵の返事など待たずに、わたしの腰を強引に引き寄せた。
「行くぞ、ミリア。あんな油臭ぇ狸の相手なんざ、もう十分だろ?」
「ふふ。……ええ、ありがとう、わたしの騎士様」




