深き森の奥で
ありえない。
ユウは愕然とした。
ドラゴンなんて、ありえない。
こんなところに、いるわけがない。
ドラゴンは、世界で最強と謳われる生物の一つ。
歴史上でもドラゴンは時折悪魔としても神の使者としても登場し、人間ごときが干渉できるはずのない存在。
普通、大きな魔力を宿す生物は暴走したりしては人間に危害が及ぶ可能性がある為、偉大な魔導師によって封印される。
だがドラゴンは、例外だ。
人間の魔力で封印することは不可能な程の魔力を持っている為と、そして封印をする事自体が神への冒涜へあたる。
それほどドラゴンとは最強で、崇高な存在であるのだ。
だからドラゴンは滅多に人の前には姿を見せない。
だから、こんなところにいる事はありえないのだ。
「はじめまして・・・・だな」
ドラゴンが言う。
ユウは固まったまま、唇さえも動かすことができなかった。
その様子を見て、ドラゴンが笑う。
「何だ・・・・意外に腰抜けか?あいつの弟子だからもっと肝の据わってる奴かと思ったが・・・」
ごくん、と唾を呑む。
こいつは、敵なのか?味方なのか?
ドラゴンは、歴史上の節々で人間の味方としても、人間の敵としても現れている。
今目の前にいるドラゴンは、どっちなのだろうか。
「お前・・・・・どうしてここにいる。何者だ?」
ユウはドラゴンを睨みつける。
その時、ドラゴンはユウをじっと見据えた。
そして次の瞬間、ドラゴンはがぱっと大きな口を開けた。
ぐがああああああああああああっっっ
突然声とも叫びともいえないその音が、ユウに向かって発せられる。
本気で地面にしがみついていないと飛ばされていきそうなその強風にユウは目をつむって瞬時に地面に伏せた。
さっきまで恐怖で震えそうだった体が、何故だか落ち着いている。
何故かはよくわからない。
普通なら本当に腰が抜けてもいいはずだ。
ただこの声に、怒りは含まれていない気がした。
音が聞こえなくなると、そっとユウは顔をあげた。
ドラゴンが、睨むような形相でこちらを見下ろしている。
さっきまでの落ち着きが、急にどこかへ消え失せたように冷や汗がどっと噴き出す。
殺されるのか?
「殺すのか?」
ユウはドラゴンに問う。
「俺を、殺すのか?」
その沈黙は、果たして肯定の沈黙なのか。
ユウは汗でべとべとになった掌を握って、戦闘態勢に構える。
戦えば、絶対死ぬ。
必ず死ぬ。
けれど、師匠は言う。
たとえ、どんなに強く敵わぬ敵でも、ぼけっとして死を受け入れるんじゃない。
最後まで、抵抗しろ。
それがどんなに無様でも、死にたくなければ必死に抗え。
そうすれば、稀に、偶然という名の奇跡が起こるときがある。
それが自分に訪れると、懸けろ。
口からか、鼻からか、はたまたどこか違うところからか、ドラゴンの方からシューッという音が聞こえる。
警戒して、ユウは腰を低くして構える。
不思議と、それほど怖くなかった。
絶対死ぬと決まっているのに、怖くなかった。
その時、ドラゴンが空を見上げた。
ドラゴンが吐いた煌めく金色の息が、ゆっくりと空へ昇る。
その光景は美しく、幻想的で、そして恐ろしかった。
ドラゴンの息は夜空に金色の雲として浮かんでいる。
ユウは口をぽかんとあけて呆然とその様子を見ていた。
「そこまで腰抜けでもないようだな」
ドラゴンの声にハッとして、再び構える。
ドラゴンが不敵に笑う。
「よく戦おうなんて考えるもんだな。怖くはないのか?」
「怖くない」
「意地を張ってるだけにしか聞こえないな」
ドラゴンが顔をしかめる。
しばしの沈黙のあと、ユウが言った。
「・・・・・・・お前なんかより、師匠の方がよっぽど恐ろしい」
「オイ、コラてめえ」
ハッと振り返ると、声の主を確認する前にユウは吹っ飛んだ。
銀色のドラゴンの硬い胴体に全身を打ちつけ、つーっと地面に落ちていく。
ふん、とアリアが鼻で笑う。
「姿が見えないと思ったらてめ、こんなとこにいやがって・・・・・しかもてめえ」
「すいませんすいませんすいません」
迫って来る悪魔の足音に、その恐ろしい姿を見る前にひたすら謝る。
ふいに首根っこを掴まれ、持ち上げられて足が宙に浮く。
ばたばたと抵抗しても無駄だとわかっているので、おとなしく吊られる。
「何か話したの?」
「え・・・・いや特には」
「ふーん」
いろいろ聞きたいのはやまやまなのだが、殺されたくないので口を閉じる。
そしてふと、ドラゴンと目があった。
「ルークス」
師匠がドラゴンに言った。
それが、ドラゴンの名だろうか。
「目印を吐いてから、かなり早かったな」
あの金色の雲は目印だったのか。
ここに弟子がいるから来いというメッセージだったのか。
少し考えれば普通に気付くのだろうが、どうにもあの時は頭が働かなかった。
「そりゃねえ」
「それが噂の弟子か」
「噂の・・・・?」
「黙ってな」
宙釣りにされたまま、肘鉄を食らう。
痛みに無言で訴えながら、ユウはおとなしくなった。
「いい弟子じゃないか」
「これのどこがよ。ったく心配かけて・・・」
果たして本当に心配していたのか、疑問だ。
疑うような目で師匠を見上げていると、師匠がもうひと蹴りいれてきた。
「また暇さえあれば遊びに追いで。坊主」
「俺は坊主じゃない。ユウだ」
「あんたなんか坊主で充分だろーがこんの糞餓鬼」
「いででででででで」
師匠とユウを、ルークスは微笑ましげに見つめている。
二人の後ろ姿が見えなくなるまでずっと、ルークスは微笑んでいた。
「なるほどね・・・・・瞳の色、確かに星羅に似てるな」
ルークスは呟く。
「多分アリアは気付いてないが・・・・・・あの子にも」
意味深な呟きは、ルークス以外の誰にも届く事はなかった。