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過去の精霊  作者: 由城 要
第2部 New world story
31/55

第3章 3


 私ならばどうするか。思わぬ言葉に私は顔を顰めた。ジャンの槍術に勝てる者はいない。

 今度はジャンが動いた。攻守が入れ替わり、あの女が攻撃を受ける側になる。一つ、二つと槍を弾き返す度に、足が後ろへと押されていく。この不利な状況を、私ならどうする……?





  - 蟻地獄 -





 風に庭園の草花が揺れ、音を立てる。ジャンとあの女の手合わせは日が城の影に姿を隠すまで続いていた。風が涼しくなり、辺りが僅かに暗くなってくる。

 攻守はめまぐるしく変化する。激しい衝撃音が響くが、まだどちらも相手の体に攻撃を当てていない。だがジャン優勢なのは私の目でも分かった。


「っ……!」


 上から振り下ろすような攻撃。それをサーシャ・レヴィアスが受け止める。激しいつば迫り合い。徐々にあの女が押されていく。靴跡が後ろへと伸びる。おそらく彼女の体が軽いのだろう。攻撃を受け止めることは出来るが、その場に踏ん張ることが出来ない。

 押し返し、攻撃に転じる。右から左に。ジャンがそれを弾く。しかし彼女は体を反転し左手で自分の槍の柄を掴むと、ジャンの背中に向かって突き出した。

 一瞬、ジャンの顔色が変わった。一発、入った。だがあまり強い力ではなかったらしい。すぐに攻撃の刃が飛び、彼女は後ろへと飛び退る。


「……」


 猫のように姿勢を低くして、彼女は槍を構え直した。汗がつたう頬。ジャンも僅かに呼吸を整えてはいるが、サーシャ・レヴィアスの方が消耗が激しい。

 頬を伝った汗が輪郭をなぞっていく。ふと、僅かに口角があがったように見えた。

 呼吸を整えながら女は言う。


「……部族の戦い方、というのは素晴らしいですね」


 急に何を言うのだろう。ジャンは僅かに目を細くした。一瞬だけ、彼女の目がこちらに向けられる。スッと背筋に風が通ったような気がした。ドキリと心の臓が鳴り、そして私はハッとする。

 似た感覚を何処かで……。


「陛下。陛下は分かりましたか?」


 女の声に私は慌てて雑念を振り払う。そんなことよりもジャンの攻略法だ。相手は力も経験もある歴戦の勇士。私は賢明に頭を回す。


「す、スピード……か?」


 今の一発は早かった。攻撃は重かったが、対処するのは難しいだろう。サーシャ・レヴィアスは笑った。


「考え方としては悪くありませんね」


 ジャンは体が大きい。だからこそ攻撃をギリギリの所で避けるのは難しいはず。ジャンの横顔を盗み見るものの、表情はあまり変わらなかった。

 女が間合いを詰める。叩き付けるような攻撃。しかし、やはり弾かれる。次いで突きがジャンを襲うがそれも弾かれた。先ほどの一発はやはり偶然なのか。

 次の瞬間、女が背後を取られる。真上から槍が振り下ろされる。


「!」


 槍と槍がぶつかり合う強い音が響いた。後ろを向いたまま、サーシャ・レヴィアスが槍を弾いた。そしてつば迫り合いになるより先に体を半回転させ、相手の槍より内側に入る。そしてそのまま槍先でジャンの頬の脇を掠めた。赤い線が僅かに滲む。


「入った……!?」


 私は腰を浮かせた。顔面に入らないようにわざと攻撃を外したのは分かった。女の槍が止まり、ジャンは左手で右頬を擦る。

 そしてジャンは攻撃を止めた。


「……もういいだろう」


 槍が下ろされる。女は大きく息をついた。やはり消耗はサーシャ・レヴィアスの方が大きい。

 彼女は右肩を回し、そしてジャンを見上げた。


「ありがとうございます。……突破口が開けた、とまではいきませんが、これでなんとかなりそうです」

「突破口?」


 私は二人に駆け寄る。肩で息をしているサーシャ・レヴィアスに気付いた私は、近くを通りかかった召使いに水を持ってくるよう頼んだ。


「何だったのだ?ジャンの攻略法というのは……」


 彼女はチラ、とジャンを見て苦笑を浮かべる。


「……人の弱点を口にするのはあまり良いことではありませんから」


 無表情な護衛の顔と女の顔を交互に見つめ、私は首を傾げた。おそらく刃を交えてみなければ分からない、と言いたいのだろう。

 それでも気になる。部下の、しかも側近の弱点と言われれば、こちらとしては知っておきたい。

 しかしサーシャ・レヴィアスは頑なに口を閉ざし、弱点についても突破口についても話そうとはしなかった。ただ一言だけ、彼女は言う。


「この世界に完璧なものなどないのです。……ただ、それだけをお忘れなきよう」









「そう……化け物というのは醜く、不出来な汚点であるべきだ。そうだろう?フリッツ」


 思わぬ声に顔を上げる。そしてその瞬間に後悔した。周りへの警戒を怠っていた。フェルガノの陸橋までは一本道。道の両脇には岩が幾つも転がっている。身を潜めるには絶好の環境。

 まだ状況が理解出来ていないクリフ君を左手で制止させる。そして相手を睨みつけながらゆっくりと馬を下りた。


「ブルネラ・スヴェン……何故、此処に」


 ブルネラはただれていない方の口角を上げた。


「お前が此処に来ることは分かっていたからだ、フリッツ」


 腰には二本の剣。コートの袖から伸びる右手が包帯に巻かれていた。彼女がその手を挙げると、岩陰から人影が現れる。部族ではあまり見ない顔ぶれだ。おそらくブルネラを支持する者達だろう。数は7人。

 雲行きが悪くなってきたことに気付いたクリフ君が剣に手を伸ばす。僕もまた、同じように警戒の態勢をとった。


「……この間は興味を示さなかった割に、仲間がいると警戒するのか。面白いな」


 クツクツと笑うブルネラに、僕は刃を向ける。


「岩陰に潜んでいる時点で警戒するに足る条件だと思いますけどね」

「先生……」


 後ろでクリフ君が不安そうにそう呼びかける。するとブルネラの瞳はそちらに向けられたようだった。


「ほう……フリッツが連れていた教え子というのはこの男か」

「え?あの……」


 貴女は、と問いかける声を聞きながら、僕は剣の柄を強く握りしめる。笑いながらこちらを見るブルネラの目が、自分で答えろと言うかのように僕を嘲笑う。

 滅多に湧いてこない苛立ちの感情を押さえつけながら、彼女を睨み返す。


「ブルネラ・スヴェン……城の調書に名前が挙がる危険人物。そして……」


 そして……彼女は、僕の師だ。


「!」

「師と呼ばれたことも自ら言ったこともないが……まぁ、その言葉が適当だろう。出来の悪い兄のせいで日陰に隠れてしまった才能と欲に火をつけてやった。それだけだ」


 強く奥歯を噛み締める。昔の話だ。まだ槍や剣を覚えたてのころ、同じ部族の中でも飛び抜けて才能に溢れた人がいた。彼女は幼い頃から一人で生きていた。物を売り、時には体を売り、そうやって生きていた人間に対して部族は同情の視線を向けるようになった。誰もが遠巻きに彼女を見ていた。

 しかし、彼女は哀れみとは無縁の狡猾な人間だった。集落から離れ一人で金を集め……やがて盗賊への加担、密輸の協力を行うようになる。


「盗賊や、密輸……それがどうして……」

「……誰もその証拠を掴んでいないんだ。彼女が手を貸していたっていう、その確証を」


 確証がなくては彼女を捕えることが出来ない。そうやって彼女は、姿を隠すことなく砂漠や海、そして都を行き来するようになった。そして、思い出したように時折部族の集落に現れることもあった。

 ブルネラが笑う。その表情はひどく醜く見える。


「そして同じ頃、この男は兄と共に集落でも除け者にされていた。武術は親から習うが、鍛錬を積む相手は兄弟だからな。五体満足に生まれながら他の者達と鍛錬を積むことが出来ない、哀れな少年だ」


 彼女の噂は理解していた。ロクな人間ではないと兄からもそう教えられていた。彼女に関わったことが分かれば、兄弟揃って集落から追い出されることになるだろう。足手まといと不実の輩として。

 どちらを選んでも、行き着く先は分かっていた。ならばせめて救いのある決断を取りたかった。それが……彼女の戯れな訓練に付き合うことだった。

 実の兄にさえ言うことの出来ない覚悟を抱いたその日、彼女に問いかけた。貴女は何故、僕に剣術を教えようと思ったのか、と。まだ火傷をしていなかった彼女は、蛇のような両目で僕を見下ろした。そして笑う。


『気まぐれだ。……そして』


 興味深いからだ。その目を見たとき、僕はブルネラ・スヴェンの本当の怖さを知った気がした。


「……っ」


 ……やめよう。口を開きかけた僕はせり上がってきた言葉を飲み込んだ。過去を思い出すのは今すべきことではない。何故、焼き落ちたフェルガノの陸橋前に彼女と取り巻きがいるのか。そちらが問題だ。

 剣を構え、相手の顔を睨みつけた。


「陸橋の焼失も貴女の仕業ですか」

「さあな。……私はただ見ていただけだ」


 彼女は焼けただれた顔で嘲笑する。僕は奥歯を噛み締めた。陸橋を落として彼女に何の利益があるのか。この先には小さな部族の村があるだけだ。三大部族ではない、独自のコミュニティを持つ少数民族の土地。

 ハッと脳裏に一欠片の可能性が過る。僅かに剣先が揺れた。それはおそらく他に考えられる可能性よりもずっと実現の難しい、そして誰も考えつかない方法。まさか……?


「……ブルネラ・スヴェン。その程度の人数で僕らの相手をするつもりですか?」


 顔に出してはいけない。考えることだ。もしそうなら、彼女の次の手は何か。いや、彼女がもし本当にそんなことを考えているとすれば、答えは一つ。

 彼女の背後に控えた男達を見る。人数に変わりはなく、これ以上敵が増える様子もない。顔ぶれはやはりあまり見たことのない者ばかり。おそらく少数民族の人間だろう。


「せ、先生……?」


 クリフ君が困惑した声を出している。僕はブルネラに向かって剣を構えた。すると彼女は両手剣に手を伸ばすこともなく、クツクツと笑い始める。


「ふふ……ハハハハッ!!やはりお前は優秀だな、フリッツ。さぞかしあの少年王には幻滅していることだろう」

「……」


 ジリ、と右足を前に出す。彼女は笑うのを止めると、僕に視線を向けた。


「悪は汚点にまみれた醜悪なものであるべきだ。そうだったな、フリッツ・コール」

「……そうですね。貴女こそまさに悪ですよ」


 僕は力を得る為に悪魔と契約した。ゲイツ一族の族長という立場を手に入れたいが為に。兄の存在を心の中で疎んでいる自分がいた。なぜ、健常者の自分までもが同じような目を向けられなければならないのか。父と母が早くに亡くなった後、一人で繰り返す鍛錬は味気ないものだった。

 ブルネラは笑う。あの時と同じように。


「嗚呼……お前こそ」


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