第3章 4
雲行きが怪しくなった空を怪訝な顔で見上げる。降ってきやがったか……運が悪ぃな。それにしてもこの国で雨ってのは珍しい。
恵みの雨と呼ぶのか否か。雷が上空で唸り始めるのを、俺はため息をついて見上げた。
- センター・ゼロ -
「……なんだよ、結局屋敷に戻らなくても同じメンツか」
酒場の扉を開けた俺は、カウンターの付近に陣取っている面々を見てため息をついた。雨のせいで湿ったローブを脱ぎ、テーブル席の背もたれにかける。オイ店主、とりあえず水くれ。
カウンターにはサーシャとアルバとテレジアの姿があった。二人の真ん中に座ったアルバが俺の方を振り返る。
「なんだ、雨かい?運が悪いね」
「全くだ。……そっちは?」
テレジアはムスッとした顔で窓の方を向き、サーシャは気にした様子もなく一人で晩酌している。おそらくアルバが無理矢理二人を連れ出して来たんだろう。
ジョッキを飲み干し、アルバが豪快に笑う。
「儀式の対策を練ってるのさ。魔術師の兄ちゃんも混ざるかい?」
どう見ても単に酒を飲んでいるようにしか見えない。俺は首を横に振って、後ろを振り返った。ローブをかけたテーブルでは、おそらく3人の後をつけてきたらしいアイルークの姿がある。そしてその隣には半泣きの顔で助けを求めるメイの姿。
「……魔術師サマ〜、た〜す〜け〜て〜」
俺は椅子に座ると、ガキにちょっかいを出しているアイルークを呆れた目で見た。
「んで、お前はまた女遊びしてたわけか……」
メイのグラスに無理矢理酒を注いでいたアイルークが、俺の方を見て嘲笑の笑みを浮かべる。
「誰の為に待ちぼうけしてた子猫ちゃんの相手をしてたと思ってるんだ、フレイ」
「少なくとも俺の為ではないことは確かだっ。この好色魔!」
逃げてきたメイが俺の隣に座る。全く……このガキが俺に助けを求めてくるってのことはそうとうイジメやがったな。俺はため息をついて隣のメイを見る。
「……で、俺を待ってたってことは、アラセリの情報が集まったのか?」
メイは目尻に溜まった涙を拭き取りながら頷く。
「ううっ。一応……情報源が遠過ぎるから、ダンとお母さんにも協力して貰ったよ」
おい、セルマはいいがダンもか。アイツは武器のメンテナンス以外はさっぱりだぞ。俺が顔を顰めると、メイは肩を竦めて、ダンは情報の中継役だよと言った。
外の雨音が強くなってきた。雨のせいか店の中に客は殆どいない。団体で騒いでいるのは俺たちくらいのもんだ。
メイは面白そうな顔で見つめてくるアイルークから目を離して、店員が持ってきた俺用の水に口をつける。ちゃっかりした奴だ。俺は仕方なく食事と一緒にもう一つ水を頼んだ
「結論を先に言うとね、昔のことはあんまり情報が出てこなかったの。やっぱり場所が遠いのと、話がどんどん変わって来ちゃってて……とりあえず確かなことだけ話すね」
グラスを置くと、メイは顔を上げる。
「アラセリ・リンドブルム。ファーレン様の妹の孫で、父親と母親は早くに亡くなっていたみたい。お婆さんと一緒に住んでいたらしいんだけど、一人前になる直前に死去」
一人前になる直前ってことは、村を出る前か。雇い主が見つかればそこに住み込みで働くことになる。確かに、年老いた唯一の肉親を置いて村を出るようなやつじゃないことは確かだ。
頷く俺に、メイが言う。
「その後、里の族長さんが知り合いに声をかけて、雇い主を探してくれたんだって」
族長って……オフクロのことか。そういや雇い主から直々に手紙が来てたとか言ってたな。世話焼きすぎるんだよオフクロは。
視線を感じてアイルークを見ると、いつも通りのニヤついた顔をしている。
「流石、エメリナ様だな。何処をどうすればこんな息子が出来るのか不思議なくらいだ」
もうそろそろ突っ込む気力も失せてきた。……少し黙ってろ。
「……紹介された雇い主は、貴族っていうより資産家みたいな感じだったみたい。名家の血筋らしいんだけど、若い頃に財産を築いて今は隠居中。慈善事業もするくらい優しいお爺さんで、アラセリさんのことは孫みたいに可愛がっていたって」
だから、其処から出ていった理由ははっきりと分からないんだけど、とメイはため息をついた。俺とアイルークは顔を見合わせる。確かに、表面的に見て自分の主人の所を離れる理由が分からない。しかもわざわざ人を使って探すんだから、よっぽど気に入られていたんだろう。
「ちなみに……アラセリはそこでどんな生活をしてたか分かるかい?」
アイルークがグラスの氷を見つめながら呟く。メイはふと顔を上げて、そしてじっとアイルークの顔を見る。
「勿論仕事もしてたけど、それ以外は花を育ててたみたい。庭師も顔負けの庭園を作っちゃって、しばらく庭師の仕事が減っちゃったとか。結構平和な話だよね。……でも」
「でも?」
アイルークが聞き返す。メイは真剣な表情に戻って俺たちを見た。
「うん……ちょっと噂がたったんだって。アラセリさんの外見のことで」
☆
エメリナ様へ。お元気ですか。私は元気です。
そんなありきたりな文面を書きながら、私はため息をついた。外は春の嵐で、強風に窓ガラスがカタカタと音を立てている。こんな日はすきま風の通る故郷の家を思い出す。
「そういえば、お婆ちゃんのお墓参りしてない……」
この屋敷から里へは片道でも3日はかかる。魔術師という仕事の都合上、なかなか里帰りすることができない。多分ご主人様にお願いすれば休みをくれるだろうけど……流石に他の人にも悪い気がする。
『おばあちゃん!わたし……私、蛉人様を喚び出せたよ!』
窓ガラスに映る自分の顔が小さくため息をつく。
『おばあちゃん!……おばあ、ちゃん?』
ガラスの中の私は瞳の色が真っ暗で、沈んだ顔をしていた。あの時もそうだったのかもしれない。サーティとの『約束』を交わし、家路を急いだ。そして、戻ってきた時には……。
エメリナ様にはいつも感謝しています。手紙にそう綴っていく。絶望の淵にいた私を励ましてくれたのはエメリナ様だった。葬儀の手配を整え、そして今のご主人様の所に紹介してくれたのだから。
ご主人様は私の事情を知って、とても良くしてくれた。私を孫のように可愛がってくれる。競争の激しい魔術師の仕事で、これだけ待遇を良くしてもらえるとは思っていなかったから、私は嬉しかった。
「……だから、心配はいりません」
そこまで書いて、私は筆を置いた。内容を読み返す。ふと胸がざわめいた。
そうだ、心配はいらない。使用人も優しいし、ご主人様も心が広い方だし。お婆ちゃんのお墓の件は仕方ない。こんなに良い場所でこんな風に生活出来ているなら、お婆ちゃんも分かってくれる。
でも。ふと窓ガラスに映った自分の顔が問いかける。
「私……」
指先で頬に触れる。自分ではあまり気にしていなかったけれど、同じ年代の人から比べて少し童顔な気がする。この間は新しい庭師にご主人様の本物の孫と間違えられた。
身長が低いのは家系だから仕方ない。でも、なんだかずっと子供のような……そんな感覚が抜けない。
『アラセリ様のことなんだけど……』
『……そろそろ20歳になられるのに、なんだかこう、変わらないというか』
『気配りも出来るし、良い人なんだけど……やっぱりちょっと気になるのよねぇ』
使用人の人達がそんな噂話をしていたと人づてに聞いた。私自身自覚があるのだから、他の人はもっと違和感を感じているに違いない。
ご主人様に相談してみようか。でも、心配性なご主人様のことだから、きっとあちこちのお医者様に声をかけて回るに違いない。それにお婆ちゃんが亡くなった時から、なんて言ったら悲しい顔をされてしまう。
ふぅ、と息をついてペンを置く。するともう慣れ親しんだ気配が体を包んだ。
『……何を考えている?』
「蛉人様……」
私は振り返って彼女を見る。赤い瞳をした蛉人が、私の肩越しに手紙を見つめていた。蛉人は文字が読めるのだろうか。そんなことを考えていると、視線だけがこちらに向けられる。
『サーティ』
「あ……す、すみません。サーティ」
私は慌ててそう言い直した。約束を交わしてしばらく経つのに、未だに私は蛉人様と言う癖が抜けない。頬をかくと、サーティが僅かに笑ったように見えた。
「れ……サーティでも、私の考えていることは分からないんですね」
『正式な契約を交わせば深層まで共有することになるだろう。しかしお前と私は約束を交わした状態でしかない』
「……」
サーティは、人がいない時によく現れる。勿論仕事中も必要になれば出てきてくれるけれど、それ以外はあまり顔を出さない。蛉人との契約は魔術師としてのステータスを表すものだと、昔誰かが言っていた。主が戦争を起こしたりしない限り、魔術師が蛉人を使うことはない。
でも、それはなんだか……。
『……どうした?』
なんだか、寂しい。
「えっと……あの」
私はサーティを見上げる。契約を交わして深層心理まで共有しながら、実際に姿を現すことはない。私は赤い瞳を見つめながら口を開く。
「あの……お前、じゃなくて、アラセリ、です」
人と同じ言葉を交わし、人とよく似た考え方を持つ。そんな彼らにも寂しさというものはあるのだろうか。私とよく似た幼い瞳で、サーティは瞬きを繰り返す。そして僅かに笑ってくれた。
『アラセリ』
「はい」
『アラセリ』
冷たかったサーティの瞳。いつか和らいで、そしてあたたかな目へと変わって欲しいな。心の中でそう呟いてみた。だって彼女は本当に花のように美しくて、可愛らしいから。
☆
「……情報はこんなところかな。これ以上は時間をかけないと無理」
メイはそうきっぱりと言い切った。俺は眉間に皺を寄せてため息をつく。確かに、これ以上調べても有益な情報は望めそうにないな。収穫と言えば、アラセリの外見が昔のままだってことが分かったくらいで……。
あ、とメイが手を叩く。しかし、思い出したように開かれた両目がすぐに力を失って閉じた。なんだよ、何か言い忘れたことでもあったか?
俺とアイルークの視線がメイに向けられる。メイは気まずい顔をしながら口を開いた。
「ええと……これは中継役をしてたダンからの情報なんだけどさ……」
俺はその一言でメイの表情の意味が分かった。あのガセネタばっかり掴むダンの情報だからあまり信用するなってことだな。目配せするメイに、状況の分からないアイルークが首を傾げている。
「魔術師っぽいローブを着た人が、何人かの男の人と接触しているのを見かけたって情報を聞いたんだって」
「……それは報奨金目当ての輩じゃないのかな?」
アイルークの言葉に、メイは額を押さえた。
「私もそう思うんだけど……報奨金目当てとはなんか雰囲気が違ってたみたい」
「じゃあ、ナンパとか」
お前が言うか、アイルーク。メイは腕を組んだまま首を傾げる。
「それも違うって言ってた。どちらかというと、その魔術師に男の人達が付き従ってるみたいな……」
伝え聞いた情報でははっきりと言い切れない。そんな表情でメイがこっちを見つめてくる。まぁ、ダンの情報ってことはおそらくガセか、どっか間違ってんだろう。
俺は鼻で笑ってやった。
「ハッ、あいつのことだからどうせガセだろ。大体、あの内気なアラセリがどうやって男を従えるっつーんだ……」
よ、と言いかけたその時。大きな音を立てて酒場の扉が開かれた。数人の軍人が辺りを見回し、俺たちの姿に気付いて近づいてくる。数少ない他の客達は驚いたようにざわめき始めた。
嫌そうな顔でダレていたテレジアが異様な空気に立ち上がる。
「どうしたね?」
「テレジア様。さきほど城のゲートに、テレジア様とジャン様の知人だという男が来まして……」
一人で飲んでいたサーシャがふと顔をあげる。俺たちも軍人の報告に耳を傾けた。テレジアは首を傾げて続きを促す。
「かなりの重傷を負っていたのですが、どうしても陛下に伝えたいことがあると」
俺はふと外を見る。この雨の中、重傷の人間がゲートに?ふとサーシャが立ち上がり、俺に視線を向けてきた。碧眼の目が俺に何かを訴え、そして早歩きで店から出ていく。
「えっ?サーシャさん?」
突然のことにメイが驚いた声をあげる。腰を浮かせたメイの頭を上から押しつけ、俺はテレジアの部下に問いかけた。
「……そいつの名前は?」
確認の問いに、部下は頷く。
「クリフ・パレスンです」
俺はため息をつくと、サーシャの後を追って店を飛び出した。




