第1章 2
地図上に広がる、ジオ・レイライン。海をまたいで世界を流れる力。世界と世界の天秤。傾きを正す力。
もし、その話が本当だとしたら、僕の……僕らの悲しみは、何処にぶつければいいんだろう。ざわめいたままの胸の中を、どうやって鎮めればいいんだろう……。
- 天秤の上 -
朝の空気が気持ちいい。砂漠の乾いた空気はまだ涼しさを残していた。これから太陽が昇ると、またあの焼け付く暑さが戻ってくる。
ゲイツ一族の集落に着いたのは朝早くのことだった。先生の家に行こうかと思ったけど、まだ時間が早い。ちらほらと家から出てくる人達の視線を感じながら、僕は集落の入り口の柵に腰掛けていた。
「……うーん」
懐から取り出したのはサーシャさんに借りた世界地図だった。もし、アイルークさんの考えが確かだとするなら、この大陸の3分の1はジオ・レイライン上にあり、その地域はいつ消えてしまうか分からない。
つまり、今僕がいるアルジェンナ砂漠も例外じゃないってことだ。
『それで……どうするんだい、リリィ』
ジオ・レイラインの話をしたあの夜、アイルークさんはサーシャさんにそう問いかけた。サーシャさんは何かを考えるように地図を見つめた後、大きく息を吐いて僕を見る。
『……クリフさんには調査を続けてもらいましょう』
『はぁ!?アラセリの件はともかく、消失の件は調べたって金にはなんねーぞ!?』
フレイさんが顔を顰める。たしかに、これは僕個人の問題であって、サーシャさん達には関係がない。僕自身も驚いてサーシャさんを見つめ返した。
サーシャさんはフレイさんの言葉を無視して地図上の印をなぞる。川の流れのように続く一本の線。
『消失の発生時期から考えて、その魔術師が原因とは思えませんが……彼女が消失のあった地点を回る、何らかの理由が見えてくるかもしれません』
消失の発生時期。僕が調べた一番古いものは……帝国時代だ。僕はふと顔をあげる。アイルークさんが言った世界の天秤の話。天秤が傾けば、修正する力が働くこと。おそらくそれが突然の消失を表しているんじゃないかと言っていたけど、それって……。
僕の目を射るように、碧眼の眼が細められる。
『私は依頼がありますし、かといってお世話になったエメリナさんの頼みも断れません。今回は此処を拠点に、それぞれが成すべきことをするとしましょう』
サーシャさんはアルバさんの依頼を、フレイさんはアラセリさん探しを、そして僕は消失事件の調査を。成すべきこと、と言ったサーシャさんに、フレイさんはそれ以上の文句を言わなかった。
僕は心の底からサーシャさんに感謝した。でも、手の中の地図を見つめながら思う。一番最初の消失は、おそらくあのトゥアス帝国の消失のはず。天秤が傾いたのは、もしかすると……。
「クリフくん!」
ふと名前を呼びかけられて、僕は顔を上げた。集落の奥の方からフリッツ先生が歩いてくる。慌てて地図を懐に仕舞うと、僕は先生に頭を下げた。
「おはようございます、先生」
「おはよう。まさかこんなところまで来るとは思わなかったよ。……どうかした?」
先生の言葉に、僕は苦笑する。先生が陛下の命令で集落の消失の件を調べることになったのは、ジャンさんから聞いていた。
「ええと……少し時間が出来たので、先生の手伝いが出来ればと思って」
頬をかきながらそう言う。本当は、先生の調査に便乗して調べてこいとサーシャさんに言われたからなんだけど。
先生は少し目を見開いたけど、すぐに苦笑を浮かべた。
「……テレジアの婚儀の件は聞いたよ。彼女が代役をするらしいね」
「はい。婚儀までは暇なので……」
そういえば、先生は婚儀の件どう思っているんだろう。サーシャさんを代わりにする案を聞いて、ジャンさんはあまり良い顔はしていなかった。部外者が関わるから仕方ないけど……。
先生は僕を見て頷く。
「そうか。優秀な助手が出来て僕も嬉しいよ。……それじゃあ、手伝ってもらうことにしようかな」
☆
街の南西には広場がある。商隊が露天を構えたり、砂漠を通って国に入った者達が一息つく場所だ。城の敷地ほど広くはないが、見晴らしがよく人気も多い。
向こうには露天の店主と語らう客や、旅の出来事を子供達に語って聞かせる商隊の男の姿があった。段差のある花壇に腰を下ろして、私は隣のアラセリに問いかける。
「何を見ているのだ?」
「……」
最近のアラセリはぼうっと何かを考えていることが多かった。何処かを見ているのかと問いかけると、ふと我に返ったように首を横に振る。
私はアラセリの横顔を覗き込んだ。
「何か……悩み事でもあるのか?」
「え……ううん。ないよ」
アラセリはまたブンブンと首を横に振った。僅かに花の香りがする。後ろが花壇だからかもしれない。
でも、とアラセリは顔をあげた。何かを言ってくれるのかと期待したが、彼女の口からは期待とは違った言葉が出てきた。
「フェオールの方が、悩みがありそう」
「私……?」
アラセリはこくりと頷いた。私はため息をつく。
悩みは尽きない。国の情勢や、今後の周辺国との関わり、国内の治安維持……挙げればきりがないほどだ。しかし、それは国王としての責任があってこそ。だから、国務が悩みだとは思わない。
与えられた仕事をこなすのは簡単だと思っていた。軽んじていたわけではない。しかし、誰もが自分の仕事をこなしているにも関わらず、自分だけが躓いているような感覚を覚える。
「……」
自分の意見を持たなければと思い、口に出す。しかし私の考えが答えにそぐわない時もある。それで誰かと衝突してしまうことも多い。
フリッツのこともそうだ。フリッツを一時的に城から離したのは正解だったのか……。
「今度は、フェオールが黙っちゃったね」
アラセリは苦笑した。私は頷く。アラセリにはまだ自分がこの国の国王だと告げずにいる。悩みの全てを口にすることは出来ない。それに、自分でも分かっているのだ。答えを求めたところで、誰が導いてくれるわけでもないということを。
だから、足掻くしかない。
「アラセリは……自分の意見を求められたとき、困ることはないか?」
ふと口をついてそんな言葉が出てきた。アラセリはきょとんとした顔で首を傾げ、そして何かを考えるように広場に目を向ける。
向こうから新たに部族の戦士達が数人、露天へと近づいて行くのが見える。
「例えば……二つの真逆の意見がある。どちらも間違ってはいないが、どちらにも穴がある。それをどちらか選ぶとするなら……どうする?」
「良いところを取って、別な意見にする」
妙にはっきりと、アラセリはそう言った。しかし、こちらに視線を戻すと、自嘲するように笑ってみせる。
「でも……そんなこと出来るなら、最初から問題にならない……」
いつもの口調に戻って、アラセリは膝の上で両手を組んだ。難しいね、と呟いて、空を見上げる。茶色の髪が太陽の光を受けて赤っぽく反射した。
照りつける日差しを受けながら、アラセリは目を瞑る。
「きっとね、何かを言う人には、それを言う理由があって……誰もが自分の意見を否定して欲しくないって思ってる」
真っ白な横顔と正反対の黒いローブ。膝を両手で抱え込み、アラセリは空を見た。横から見ると睫毛が長く、目元が少し大人っぽい雰囲気を醸し出しているように思えた。
空は今日も憎らしいほどの晴天。此処のところ雨が降らず、渇水に嘆く地域もある。
「みんな一緒で……一緒だから仲良くなれない」
大きな瞳が僅かに曇る。
「だから……選ばなきゃいけない時は、選ばなかった方の気持ちを知った上で、選ばなきゃいけないと思う……」
答えにならないね、と笑ってアラセリは手を離した。私は視線を落とす。何故だろう、アラセリと共にいるのは心地よい。それでも時折感じることがある。彼女は自分より幼いにも関わらず、既に私の前を歩いている。
この寂しさは、事情を話してくれないからではないのかもしれない。手を伸ばしても、届かないところに彼女がいる。だからこんなに胸が締め付けられるのだろうか。
だからこんなに、苦しいのだろうか。
☆
城門の前に馬を止めると、世間話をしていた衛兵達が急に背筋を伸ばした。恭しく敬礼する衛兵達に苦笑する。固まっている肩を叩くと、彼らの緊張も少し解れたようだった。
「あんまり緊張することないのん。……相棒は?」
私の言う相棒はジャンを意味する。それは衛兵達もよく分かっていた。苦笑いを浮かべた衛兵の一人が上を見上げて言う。
「庭園の方で、陛下と槍術の手合わせを……」
私もつられて上を見上げる。上階に先代の王が作った庭園。遮るものが何もないあの場所は庭園にはぴったりで、陛下のお気に入りの場所だ。
しかしどうやら、手合わせをしているということは、陛下の機嫌はあまりよろしくないらしい。私は肩をすくめてみせる。
「……分かたね。ありがと」
陛下の機嫌がどうであろうと、報告は欠かしてはいけない。しかもこれが族長の立場を左右する問題なのだから。
かつて要塞だった城の中は複雑に入り組んでいて、初めて立ち入った者は迷ってしまう。初めは私もそうだった。
父に連れられ、部族の正装をさせられて此処に連れてこられた。当時はまだ先代の王が統治していた時代。まだ歳若い私をルヴァの代表にするのは苦渋の決断だった。勿論、裏で色々言われたことは分かっている。数年前のあの戦争の主犯であった宰相には、女だからと皮肉を言われたものだ。
『随分信頼していただいているようですね』
ふと、さっき城下で別れたあの女の言葉を思い出す。別にあの女を信頼しているわけじゃない。アルバの姐さんの意見を尊重しただけのこと。
アルバ・ユサク。族長になるには申し分ない才能を持ち合わせていた、メティスカの女戦士。ジャンと比べれば確かに力の差は出てしまうものの、彼女は強かった。男達に並ぶ力量と技、経験……それら全てを兼ね備えていた彼女。それでも、女というだけで弟に族長の座を譲らなければならなかった。
「……」
メティスカはルヴァより男尊女卑の傾向がある。彼女も歳を取ると共に、部族の男と結婚させられた。……勿論、夫を尻に敷いてしまっているのは火を見るより明らかだが。
今回の件、姐さんの意見だと知られれば何かと風当たりが強くなるだろう。それでも彼女は私に立ち向かうことを選ばせた。だから、私も割り切らなければならない。
ため息をついて階段を上ると、槍を弾く音が聞こえてきた。庭園を覗き込むと、陛下とジャンが槍術の訓練をしている。本来はバルハラとディルクの為に訓練を行っていたが、陛下も槍を学びたいと言ってジャンに頼み込んだらしい。
陽の当たる庭園に二つの影が行き来する。汗だくになりながら刃を合わせる陛下の背中が昔より随分大きくなった。私は苦笑する。
時代は、常に変化しているのだと。




