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楽園から続く道  作者: 詠み人知らず


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番外編 ~中島 政義~ 前編

私は、国立T大の分科2類を主席で卒業し、大手商社に入社した。

そして、会社でも成果を出し続け、とんとん拍子で出世した。

しかし、私は、自分にもともと突出した才能があったとは思っていない。

小さい頃の私は、目立つ存在ではなかったが、勉強もスポーツも人一倍努力をし続けた。

みんなが途中で投げ出しても、私だけは成果が出るまでやり続けた。

その結果として、勉強やスポーツなど何かを成し遂げるうえでの“要訣”を見つけることが上手くなった。

勉強をするときでも、仕事をするときでも、その“要訣”を押さえることで、人並み以上の結果を出すことができるようになった。

要訣を見抜けるようになった私の目から見れば、学生時代の同級生も、仕事仲間も、非効率的な努力をしているようにしか見えなかった。


私が30歳を過ぎた頃、輝幸が産まれた。

輝幸が産まれて少し経ち、初めて笑顔を見せたとき、その笑顔を見て私は思った。

「この笑顔を守りたい。将来輝幸の顔が、挫折や失望に曇らないようにしたい。」

そして、私には自信があった。

「私が、人生を通して培ってきた“要訣”を輝幸に教えれば、輝幸を全ての面で一流と言われるような人間に育てることができるはずだ。」

当時の私は、本気で、そう思っていた。


輝幸が幼稚園に入ると、私は輝幸に勉強を教え始めた。

基本的な考え方、そしてその“要訣”を、小さな子供でも分かるような簡単な言葉で輝幸に伝えた。

そして、具体例を示し、練習を繰り返させた。

分かったと思っているだけではだめだ。

アウトプットをすることで人の能力は定着する。

前に出来ていた問題が“不正解”であったり、怠けて練習をやっていなかったりした場合は、子供であっても容赦なく叱った。

私に叱責されると、輝幸は泣き叫んだが、それが、輝幸のためだと信じて疑いもしなかった。


輝幸は小さい頃から本が好きな子供だった。

日本語の読解力、文章の構成力や表現力は全ての能力の基礎になる能力であり、仕事においても重要な能力だ。

そう考えた私は、“読みたい本は全て買い与えるから私に言うように”と輝幸に伝えた。

それを聞いた輝幸は、無邪気に喜んでいた。


小学生の頃、輝幸はテストの点数が良かった。

定期テストでは、90点を下回ったのを見た記憶がない。

勉強だけではない。

自転車に乗るのも、縄跳びをするのも、泳ぐのも、キャッチボールをするのも私が教えればすぐにできるようになった。


ある日、100点のテストを見せた後、輝幸は私に言った。

「周りのお友達は難しいって言っていたけど、僕には何でこれが出来ないのか分からないや。」

それを聞いて私は、自分の教育論が正しかったことを確信した。

“このまま育てば輝幸はどの分野に進んでも一流の人材になるはずだ”


輝幸が中学校に進むころ、私は会社で副社長に昇進した。

業務は多忙を極め、責任もそれまでの比ではなくなった。

私は、ついに自分で輝幸に勉強を教える時間が取れなくなり、輝幸を塾に行かせることにした。

自分で直接、輝幸の勉強が見れなくなった私は、輝幸に、定期テストのたびに“点数”と“順位”を報告することを義務づけた。

「自分が直接指導できなくても、進捗を“点数”と“順位”で管理し、叱咤激励すれば、成績が大きく崩れることはないだろう」

そう、安易に考えていた。

実際に、テストの点数が少しでも悪いと私は、輝幸に叱責を浴びせた。

だが、私がそうすることで中学の間は大きく成績が崩れることはなかった。


高校に入った頃から輝幸の成績は目に見えて落ち始めた。

テストで不甲斐ない結果を出す輝幸を、私は一段と厳しい言葉で叱責するようになった。

私が勉強を直接見なくなったため、輝幸が単純に怠け始めたと決めつけていたのだ。

いつまでたっても、良くならない成績に、私の叱責は日に日にエスカレートしていった。

その頃の私は、怒りに火が付いたとき、自分でも抑えられなくなっていた。

今にして思えば、会社の慣れないポストによるプレッシャーやストレスから、輝幸に必要以上に強く当たっていた面もあったに違いない。


ある日、輝幸がまた、私に模試の成績が悪かったことを報告した。

それを聞いた私は、激高して輝幸にこう言った。

「何をやってるんだ!勉強を怠けてるんだろ?何で、勉強をやならい?」

輝幸は下を向いたまま応えた。

「勉強は沢山やってます。ちゃんと塾にも行ってます。」

「何?そんなわけないだろ?結果が出てないんだから。」

「‥‥‥‥」

「何時間やってるんだ?言ってみなさい。」

「学校が終わってから、塾に行って、夜1時くらいまでは毎日やってます。」

「嘘をつくんじゃない。毎日そんなにやってたら、こんな成績なわけないだろう。」

「‥‥‥」

「勉強で使っているノートや本を見せてみなさい。」

輝幸の勉強方法を知るにつれ、私はそのあまりの非効率さにめまいがした。

そしてようやく気づいた。

私は彼に小さい頃から、物事を習得するうえでの“要訣”を先に与え、勉強もスポーツも誰よりも先に、最短の努力で身に付けさせてきた。

しかし、その一方で、それを習得する過程で“試行錯誤”するプロセスを彼から奪っていたのだと。

私は自らの教育理論の致命的な欠陥に気づいてしまった。

困難にぶつかったとき、あきらめず“試行錯誤”を繰り返すなかで、自分なりの解決方法や物事を成し遂げるための“要訣”を見出していく。

その力こそが本当に育てるべき力だったのだ。

小さい頃の私がそうしたように。

私は、自分の浅はかさを恥じ、叫びたい気分だった。

しかし、これからそれを私自ら輝幸に教え込もうにも、その頃私は社長に昇進し、輝幸に割く時間は増々無くなっていた。

また、輝幸は今、ようやく自分自身で“試行錯誤”し始めている。

“ここで私が手を貸すのは、本末転倒だ”

そう考えた私は、輝幸を見守ることにした。



輝幸が一度目にT大の受験に落ちた時、ようやく自分で“試行錯誤”を始めた輝幸には1年の浪人期間は必要だろうと心の中では思っていた。

私は輝幸を言葉で叱責したが、それは私なりの激励のつもりだった。

言葉にはしなかったが、

「あきらめずに“試行錯誤”を続けなさい。」

そう言ったつもりだった。


輝幸が、2度目のT大受験に落ちた夜。

私は、輝幸のT大合格を諦めることにした。

落胆しなかったと言えば噓になるだろう。

しかし、やはり、自分の力で“試行錯誤”を始めるのが遅すぎた。

ましてや、その機会を輝幸から奪ったのは他の誰でもない、私なのだ。

輝幸のせいではない。

私は、

“私のようにT大には行けなくても、K大も世間では一定の評価を受けている。私の会社に入れて、いずれはそこそこの地位までは昇進させてやることもできるだろう”

そう、自分の中で決着を着けた。

そして、

「そうか」

とだけ言った。

“お前は悪くない、私が間違っていた”

輝幸を慰める言葉が脳裏には浮かんだが、何かが崩れるような気がして結局口から出てこなかった。

今にして思えば、崩れそうだったのは、私が勝手に自分の中に作り上げた“父親像”だったのだろう。



取引先との重要な会議が入り、輝幸の入学式には行けなかった。

そして、大学に入ってから、輝幸は家にほとんど寄り付かなくなった。

 

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