荒野で得たもの
石の集落を出発して、月の満ち欠けが丁度半周した。
ここは、東の荒野と台地とを隔てる断崖絶壁の上。
断崖に沿って北の海から南の海まで連なる、最大級の赤の森。
台地の東の端、東から南に向きを変えたばかりなので、距離的にはまだ半周できていない。
半日走って、紫露たちの速度では一日だが、それから一日の歓待。
合わせのための集合という習慣を、私の訪れに合わせてくれているため、ハピィの狙い通りの豪勢な歓待が待っていた。
なんと、途中で人間でいう結婚式まであったのだ。
その結婚式では、こんな婚約宣言もあった。
「私、帰ったら結婚するんだ。」
「こらこら!それは脂肪フラグと言って、そんなこと言ったら幸せ太りしちゃうんだよ?」
謎の瑠璃語を展開しながら、独自の理論で発言を祝福するハピィ。
私の記憶によると、恐らく字からして違う。
驚きなのは、結婚宣言をしたのがアリスだったということだ。
そのお相手として選ばれたのが、ロンギヌスだというのだから重ねて驚きだった。
ロンギヌスはやはり、意外と若いのか。
さてここは、森の規模が規模だけに、ガン・イシュ最大級の合わせが行われる。
私の訪れに、合わせの終わりを合わせるのだ。
ゆえに集合した家族が、次やその次といった、赤の森に点在する中継地点まで同行するのだ。
つまり、今この赤の森における飽食の地は、ここなのだ。
私の訪れに合わせが合わせられていないがために、次の中継地点は盛大な歓待がないかもしれない。
ハピィが追従しないと宣言した区間である。
「うわぁ!ハピィ姉ちゃんだ!リル先生もようこそ!」
モマが木の上から飛んで来た。
「モマ、久しぶりね。今回は一周するのかしら?」
「うん。ぼくはそのつもりだよ。」
モマはここを起点に、二回に一回周回に加わる。
前回付いて来たことがきっかけで、西の定住地で飛行具に初乗りしたことを思い出す。
「今回はウェルトも連れて行きたいんだ。」
「ウェルト?」
「うん。ちょっと待ってね、どこかにいるはず。」
そう言ってモマは、近くの大木を駆け上がると、滑るように森の中へと飛んで行った。
「ハピィはウェルトを知っているのかしら?」
「うん。報せに来たときにはいたよ。ドーラに似た雰囲気の木こりだよ。」
ドーラ。
私のお母様。
柔らかくて硬かったお母様。
王国屈指の戦士である。
「……そう。楽しみかしら。」
間もなく、モマに先導されて姿を見せたのは、筋骨隆々の獣人だった。
黒髪の中に真っ白な毛束が筋を作り、部分的に太い縦縞を描いている。
髪を分けて横に突き出した太い角が、鉤型に折れて力強く天を指している。
「あんたがリル先生だな。俺がウェルトだぜ。よろしくな!」
首の両脇の筋肉が盛り上がっていて、なで肩に見える。
それでいて女性らしい丸みやくびれがあって、確かにお母様を思わせる。
面積の少ない衣装を身に纏っているが、特筆すべき点が露出した肌にあった。
「すごい傷ね。」
「ああ、これか。人間に鞭で打たれた痕さ。」
なんてことないように答えるウェルトに、背筋がぞわりとした。
ウェルトは、台地の外から来たのだ。
そして、間違いなく麓の公国の奴隷だ。
「ぼくが下に降りたときに友達になったんだよ。」
「俺は外壁の街の方から来たんだ。だからみんなと会うのを楽しみにしてたんだぜ。」
外壁の街は、王国辺境だ。
しかも、飛び地である。
王国民であった私の先祖がイシュの民から譲り受けた街だ。
お父様は穏やかな気性に付け込んで追い出したと言っていた。
屋敷に残る資料からは、そうとしか読み取れないらしい。
そして、あの街にはイシュの民を引き寄せる力がある。
あの街に惹き寄せられた同族たちが、どのような末路を辿るか。
ウェルトの肌がそれを無言で叫んでいた。
「聞いて、聞いて!ぼくね、こっちで飛んでみたんだ!」
思考に沈みそうになっているところに、モマが興奮気味に話し出した。
荒野に降りたという話だ。
あまりに無謀だと叱るべきかしら。
「まずね、踏み出した瞬間。下に引っ張られる感じがすごいから、気を付けて。」
モマが語り出した一歩目の話が、私の中で警笛を鳴らす。
危ないことはやめなさい、という言葉が喉元までせり上がる。
「でもね、すぐ下じゃないんだ。下まで、すごく距離がある。それはあっちとおんなじ。だから、海の上でやったみたいに。前を見るといいよ。」
続きを聞いてみると、無邪気さの中に、私を空を飛ぶ仲間だと思っての意見が散りばめられていた。
「向こうほどは、浮かない感じだけど。飛行具なら、ちょっとはマシかも。あー……でも飛行具だと、渦がちょっと厄介かも。」
「渦?渦って何かしら。詳しく話しなさい。」
ついに口をついて出た言葉は、叱る言葉ではなく、未知の風について問い詰めるためのひと言だった。
「やっぱりリル先生も気になるよね!こっちはね、風が回るんだ。引っ張られて、向きが崩れる。上級者向けって感じ!」
なるほど、なるほど。
こっちで飛べないのは半人前ということね。
……その言葉、挑戦と受け取ろうじゃないの。
「続けなさいな。」
「とにかく前を見て。崖から離れること。渦に捕まると、どっち向いてるかわからなくなる。飛行具なしのぼくなら壁に着地できるけど、リル先生は、壁にぶつかるのが一番危ないと思う。」
確かに、海に落ちても大して怪我をしないような強靭さは、私にはない。
私の身を案じた対策まで考えるモマは、文字通り生まれながらの飛行士なのだ。
「なんせ、下まで距離があるし。少し降りたら、大人しくなった風がちゃんと支えてくれるから。」
なんということかしら。
叱るつもりで、まずは言い訳を聞く姿勢。
そんな心積もりで聞き始めたというのに、気が付けば飛びたくてしょうがなくなっていた。
「今度来るときは、飛行具を持って来なければならないわね。」
「うん、来たがる子も増えると思う。」
「ラスカノも来させよう。」
「じゃあこのハピィ姉さんが監視員をやってあげよう。」
モマの話の間に回復したアリスと、少し遅れて到着したロンギヌスが加わり、次回の計画を練り始めるのだった。




