ハピィ姉さんだよ!
「ハピィ姉さんだよ!」
歓待の場に響く、底抜けに明るい声。
ハピィのことだ、ガン・イシュを周って情報を伝え終わったのだろう。
「早かったわね。」
「そりゃもう、リルと一緒に周らないとありつけないからね。」
真ん丸の面影はすっかり消え失せた。
だが食い意地は、名残りと呼ぶにはあまりにもはっきりとしたハピィらしさだった。
「次からハピィも一緒だね。」
「うーん、それは気分次第かな〜。」
アリスの歓迎に、煮え切らない返答をするハピィ。
その横で、ルイーズが宴の中心に見入っている。
「なるほど。野営が必要な距離の区間があるわけね。」
「あっはっは。さすがリル。そのとーり!あと、モマのところに今、倍くらい集まってるんだよね。」
モマのところというのは、東の端である。
ガン・イシュの中では、海のない東に向けて塩が運ばれる。
塩は主に、西の小島で作られるのだ。
崖の上と下とを往来するための飛行具が必要な理由である。
「ああ、もう合わせをやってるのか。」
「合わせ?」
「果汁を持ち寄って混ぜるのさ。」
古木や巨木に成る実が食卓に並んでいると理解するには時間が掛かった。
なぜならば、私の知っているこの実が、巨大な木や古い木に成るという認識がなかったからだ。
水珠や連果と呼ばれるこれらの果実は、人間の社会の中では、収穫しやすいよう管理されていたのだと知った。
ガン・イシュでは、東西でこの実の特徴が異なるため、これらの果汁なども運ばれる。
ジョイとシャカが言っているように、各地で持ち寄って混ぜる。
それを「合わせ」と呼ぶのは、初めて知った。
「あそこらへんに生える花なんだけどさ。」
白い道の周りには、死の花が咲く。
ガン・イシュに来るために通った東の崖下に広がる荒野に点在する、二種類の不吉な花である。
根本には動物の死骸が横たわり、いずれの種も絡みつくように、表面に蔓のような根を張る。
この根が赤く変色している場合には、辺りに毒の気をばら撒くのだ。
花から聞こえる武器が交わるような音は、死を招くと恐れられている。
「根っこの色が違う花には近付くな、でしょ?」
「そうそう、抱えて飛んだときに下にあったヤツと一緒なんだっけ?知らなかったなぁ。」
その死の花だが、台地の上の白い道の周りでは、毒を持たないのだ。
色も毒々しさがなく、白い道に穏やかな印象さえ与える。
ただし、台地の上でもたまに、根が赤い場合がある。
これは、荒野同様に毒の気をばら撒く。
なぜか東に行くほど強い毒性を示すため、ハピィは毎回注意してくれるのだ。
「ほらほら、そんな難しい顔してると全部ぼくが食べちゃうよ。」
「あの花の実よね。私はそのまま食べるのはあまり好みじゃないわ。」
食べられると知っている人間は、果たしてどれだけいるのだろうか。
堅果を液体にしたような、少し甘みのある深い味わいの果汁が舌の上に絡みつく。
死の花の実であることに対する忌避感ではない。
これを食べるようになってしばらくしたある日、鼻血を出したのだ。
みんなと一緒のときだったということもあって、なんとなく遠慮するようになった。
ハピィが大量に食べて鼻血を出さないところを見ると、たまたまだったのだろうけれど。
「最初はうるさいと感じたのだけれど、慣れるものね。」
鼻血について蒸し返されないうちに、話題を変えることにした。
死の花は、それぞれの花や葉が風にそよいで音を出す。
これらは、地域によって音程が違うのだ。
荒野では高く、武器を打ち合わせるような音として、死の象徴性を強めていた。
ところが、台地の上では音が随分と低いのだ。
「このハピィ姉さんの熱い指導の賜物だよね!」
いや、ちょっと待って。
それだと私が歌が下手くそだったと言ったみたいになるじゃない。
私は死の花の音について言ったつもりだったのだけれど。
思いがけない流れに反応が遅れてしまった。
「すごいよね、ここではお花を楽器にしちゃうんだもん。」
アリスの発言で、再び焦点は死の花に戻った。
死の花は、硬い。
硬い地盤に呼応するように、表面が硬い上に、部分部分が肉厚で、丸みを帯びている。
内部はどうやら空洞のようで、花も葉も、打ち合う度に澄んだ音を鳴らす。
イシュの民は、これを楽器に加工して、歌の伴奏に使うのだ。
「イシュの歌は愛の歌でありんす。イシュの音は、風の音なのでありんすなぁ。」
かつて夜明けの一節にすらあぶれた紫露は、存分にみんなと一緒に唱え、席に着いた。
「良い舞いだったわよ。」
これも、歌が下手くそだと言ったわけではない。
扇を広げて優雅に舞う姿から、まるで、いつもの雅やかな衣装を纏っているような印象さえ覚えた。
「紫露~っ!」
ルイーズが紫露に勢い良く跳び付く。
それをふわりと受け止める様子が、幼い頃のお母様との思い出と重なった。
「リルはいい顔するようになったよね。」
「なによ、いきなり。」
今、どんな顔をしていただろうか。
「あ、それ思った。リル先生、前と違うよね、シャカ。」
「うん。なんか力強いよね。」
前回の周回では、まだ混乱や迷いがあった。
突き付けられた価値観の相違に湧いた、拭い去れない異物感。
争いのない平穏を「無理がある」と疑い、信じきれない孤独。
ささいな無力感から浮かび上がった不要論。
法の象徴となることへの嫌悪感。
そして、失われた人々への望郷の想い。
全部が綯い交ぜになって、目的さえも見失っていた。
「走るとき、無表情じゃなくなった。」
ずっと近くを走っていたアリスに、そんな風に見られていたのか。
ロンギヌスがその後ろで大きく頷いた。
割り切れなさを瑠璃のせいにしているくせに、それは間違いだと矛先を封じた。
結局は自分を責めることになるからだったのかもしれない。
「一時はほんに危うかったでござりんす。」
底知れない紫露にあらぬ疑いをかけ、綻びを見せたところを責めたりもした。
暴いたことに満足したものの、お門違いも甚だしいと気付いた。
目の前にいたのは黒幕などではなく、自分と同じように未熟で、孤独を抱えた無邪気な失敗者だったからだ。
そもそも犯人を責めれば解決するような問題でもないのに。
「リル先生がいっぱい話してくれるようになって、みんな喜んでた。」
ルイーズの無邪気な言葉が、一人で抱え込んでいたことを言い当てる。
一方でそれは、みんなが心配してくれていた証拠でもある。
割り切れなさや失敗の不快感を誰か一人に押し付け、その人を責めることで解決した気になろうとしていたこと自体が、明確な逃げだったのだ。
一人で思い悩み、心を閉ざすのではなく、耳を傾けるべきだったのだと、紫露の弱さに触れてようやく気付いた。
「ぼくもそろそろ旅立つ頃合いかな。」
「え、どこかに行っちゃうの?」
「うん。街に戻ってみる。もちろん、回り終えてからだけどね。」
リオナとラヴィはきっと生きている。
街に戻って動いてくれているような気がする。
だってあそこには、戸惑うみんなが残されているから。
怒りを知るイシュの民である2人が、きっと悪いようにはしないはずだ。
ハピィには託したいものがたくさんある。
「ハピィ、私は元気よ。それをこの周回で見せてあげる。」
考えるだけじゃなくて、口にする。
口にするだけじゃなくて、行動で示す。
これは、得体の知れない瑠璃が残してくれた、成長の証なのだ。




