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デバッグ

「私は元々、ロリーナという名前なの。」


 最初に話を聞かせてもらったのは、アリスとルイーズの母、ヴィクトリアだった。

 彼女は鹿の獣人で、軍務家に所有される奴隷だった。


「旦那様に縁起物として買われたときに名を与えられて、それを名乗ってるわ。」


 元の名に戻したいという話だろうか。

 私の中に瑠璃という人格がいた間の記憶を思い返しても、瑠璃と名乗ろうと思ったような記憶はない。

 瑠璃は、リルとして生きることを受け入れていたようだった。


「旦那様が私たち(イシュの民)を憎んでいたのかと考えると、戻れなかったの。」


 話したかったことは、名前のことではないようだった。

 反乱軍は、軍務家主導の下に徴兵された人間軍だ。

 軍務家がどの程度把握していたかについて、ここで知るすべはない。


「でもここへ来て思い出すのは、幸せだったことばかりだわ。」


 ヴィクトリアの語った話からは、少しの迷いが感じられた。


 ◆


「話を、聞いてくれると聞いた。」


 額に角の生えた白馬の獣人、ロンギヌスだ。

 彼の身体を近くで見ると、鞭で打たれた傷痕があちこちに見付かる。

 蹄では扱えない細い槍を、大事そうにいつも持ち歩いている。


「仕方がないと、割り切れなかったのだ。あれが、怒りなのだと思う。」


 カイのところにいた、熊の獣人ツッキー。

 胸元に三日月模様が七つもあった。

 孤児院のみんな、リオナとラヴィ、そしてツッキー。

 どれも私には重すぎる結果だ。


「ツッキーがそうしたように、死んでいくのを止められる気がしてな。必死で抜いた。」


 ツッキーは、誤って殺してしまった兵を、庇うように息絶えたそうだ。

 流れ出る血を戻そうとして、体勢を低くしたところを、貫かれたらしい。


「アリスがな、頂戴って言ってな。先っぽが危ないから切り落として。って言われて、俺は悩んだよ。」


 その悩みはわかるような気がした。

 ツッキーの愛用の槍というわけではないが、複雑な思いがあることだろう。


「見ての通りこの蹄ではな。どうか切るのを手伝ってくれないだろうか。」


 悩みどころが全然違った。

 紫露が言うように、私は話を聞くべきかもしれない。


 ◆


「ハピィ姉ちゃんみたいに飛び上がりたいの!」


 そう訴えるのは、原住のイシュの民であるモマ。


「モマは、いつも飛び回ってるじゃない。」


 走る私の後を付いて来るとき、モマは石や木によじ登る。

 それから、空を滑るように飛ぶのだ。

 ゆえに、行列内の位置取りに独特のこだわりを持つことになるが、他のみんなとは主張がぶつからない。


「違うの、ぼくは上から下には得意なの!ぼくは飛び上がりたいの!」


 手脚の間の飛膜を広げ、滞空時間を伸ばすことはできるが、空中で上昇したいみたいだ。


「工房で、プテラケファルスの皮翼で、空飛ぶ道具を作ってるの!」


 なるほど、槍の切断のために工房に向かう私を見て飛んで来たわけだ。

 プテラケファルスは空飛ぶ大トカゲである。

 ハピィのような羽毛の翼ではなく、薄くて頑丈な皮翼で空を飛ぶ。

 崖の中腹あたりに巣くっており、海で魚を捕ることが多いが、台地の上でも小さな動物を捕る姿を見掛ける。


「なんじゃ、お嬢ちゃん。やっと入って来たのかい。」


 モマを連れてロンギヌスの案内で工房に入ると、太い縞模様の尻尾をこちらに向けたイシュの民がそう言った。

 周りが真っ黒に縁取られた目が、毛むくじゃらの肩越しに私たちを見ていた。


「ラスカノはぼくが外をちょろちょろしてたの、知ってたの?」


 モマがそう言うと、ラスカノと呼ばれたイシュの民は、ゆっくりとモマに近付いて頭を撫でた。


「偉えじゃねぇかい。ちゃあんと大人と入って来れたんだからよ。お嬢ちゃんの分は、もうできてるぜ。」


 ラスカノが促した先には、巨大な皮張りの凧がずらりと並んでいた。


「どうして工房はこんなに見つかりにくい場所にあるの?」


 素朴な疑問だった。

 石造りの家ができるまで、地表には人工物のようなものは見られなかった。

 到着当初、ガン・イシュでは、原始的な生活をしているのだと思ったほどだ。

 ぐるりと石造りの家が囲む、大きな縦穴。

 その中に降りて、さらに横穴を探すことで工房などのガン・イシュの中枢たるまとまった定住地が見つかる。


「そりゃおめえ、見えないところにこそ、力を入れるってのが粋だからよ。儂らは賢く力強い。ちっとやそっとじゃへこたれねぇ。なら、住みやすい場所は、そこを必要とするもんに譲っちまって、さっさと引っ込むってなもんよ。」


 イシュの民は何も、引っ込み思案というわけではない。

 他のみんなと主張がぶつからなければ、遠慮は消え去り、上昇思考を見せるのだ。


 ◆


「やったー!ありがとう!」


 大はしゃぎなのはアリスだ。

 鹿の獣人だが、母ヴィクトリアや妹ルイーズとは異なり、両手は人間のような指があった。


「それ、どうするの?」


 棒を受け取ったアリスは、こんくらいを示すように両手を広げ、棒の長さを確かめている。


「教会でもらった服を干すの!」


 教会では、奴隷候補となった孤児院のみんなに、質の良い服を配っていた。

 アリスは奴隷候補になったことはないが、逃亡旅団として教会に集まったとき、長旅の備えとして受け取っていたのだという。


「アリスが男の子だったらね、角は切られちゃってたんだって。」


 子どもらしい突拍子のなさでそう口にしたアリスは、切り口をじっと見つめていた。

 人間と共に生きるなら、危険な角が生えれば切られてしまうとヴィクトリアから聞かされたことがあるようだ。


「物干し竿が尖ってる必要はないからね。棒も怒りも扱い方次第だってアリスは思うんだ。」


 こうしてアリスのものになった槍には、質の良い服が掛けられることになった。

 物干し竿には、服の他に赤い水玉模様の白い小さな襟巻き。

 アリスが無邪気に掲げるそれに、ちくりと胸が痛む。


 その角度が、形が、色が。

 嫌なほど記憶にこびりつく形を描いた。

 横梁から下がる縄。

 流れ、飛び散る赤。


 アリスの笑顔と、私の記憶の輪郭が、どうしても重ならないのだった。


 ◆


「ハピィ姉さんだよ!リル、元気ないじゃん!そんなときは空を飛ぶといいよ!」


 突然現れてこれである。


「ハピィじゃないんだから。」


 いつだって元気というわけでもなければ、空だって飛べない。

 いや、ハピィだってこの上なく落ち込むことはあった。

 すっかり癖になった動きで、尻尾飾りを握る。


「飛べるんだな、これが!飛んた後はお肉も美味しいよ!」


 すっかり細くなったハピィだが、食い意地は健在だ。

 旅の道中ではずいぶん無理をさせたが、痩せたのはむしろ、到着してからだった。

 子どもたちを空中に置き去りにして、急降下して受け止めるという、とんでもない遊びのせいだ。

 私が健康のために走るのを見て、子どもたちを巻き込んでいると言うので、ものすごく辞めさせたい。

 私のは勝手に付いて来ているだけだし、危なくもない。

 ところが子どもたちが喜んでいるうえに、受け止め損ねても怪我ひとつしないのだから、決定打に欠けるのだ。


「そう言えば、モマとラスカノがそんなことを言っていたわね。」

「そだよ。アゲアゲでしょ?」


 ハピィがいると、瑠璃は謎言葉を連発した。

 こんなところにも爪痕を残しているんだな、と思いつつ、これからハピィに元気になったと思ってもらうことは難しいとも思った。

 瑠璃のあの感じを出すのは、嫌だわ。


「ぼくは先回り組で大活躍だけど、リルも楽しんでね!」


 どうやら、私の参加は決定しているようだった。

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