バグ
「こんくらいって、みんながやってくれているみたいで良かったわ。」
ガン・イシュで、初めて私が作った法だ。
そういうことになった。
あの話し合いで決まったやり方を、ガン・イシュを回りながら広めていった。
少なくとも旅団のみんなには残らず伝えたから、後は勝手に広まるだろう。
「そうでございますね。内容をまとめた立て札も設置しておきました。」
セバスが作ったその立て札には、なんでそんなことが必要なのか、といったことから、やらなくても特に罰則なんかないことが、わかりやすく記載されていた。
そして、最後に私の名。
「法治国家ですわね。」
マイヤーがそんなことを言う。
「では、この地に初めての法を作ったリル様が国主ですかな。」
マイヤーの冗談に、セバスが乗る。
「あらあらまあまあ、どうしましょ。そうすると、このお家はお城ですわね!」
マイヤーがきょろきょろしながら手を口に当てる。
私が住む立派な家は、旅団のみんなが積み木で遊ぶように造ってしまった。
その手法は面白がってあっという間に広まり、今ではちょっとした石造りの家がたくさん並んでいる。
「バカね。周りの国が私を王だなんて認めやしないわ。」
ガン・イシュは、外界と隔絶されていて、世の中の動きは全く掴めない。
そんな中で思い出すのは、イシュの民を虐殺し、私を糾弾して石をぶつけ、リオナとラヴィをも殺した外壁の外側の民衆。
「私は聖女という名で呼ばれた、悪役令嬢だったわ。」
マイヤーとセバスは、悲痛な面持ちに変わった。
反乱軍から逃げて今、私はこの秘境にいる。
「そんな私が、また自分の名義で法を作ってしまったことになるのね。」
ガン・イシュでは、驚くほどあっさりと、諍いの種が解消されてしまった。
特に私が介入しなくても、そのうち思い付いていそうな方法で。
今朝もそうだったが、走る私の後に続くみんなは今や、旅団側も原住側も入り乱れている。
「この地は、どこよりもイシュの民が受け入れられる場所。イシュの民にとっての楽園だわ。」
ガン・イシュまでの道中で見た、イシュの民への反応を思い出す。
扱いの程度に差はあれど、人間の下にイシュの民という構図は変わらなかった。
私に付き従う、マイヤーとセバスを見る。
この関係と、一体何が違うというのだ。
「人間がイシュの民に介入したって、ろくなことにならないわ。」
ここでの一番の異物は私なのよ。
続いて口にしそうになった言葉を、ぎりぎりのところで飲み込む。
「そうでございますか。それでも、リル様はご立派でございますよ。」
マイヤーとセバスは、困ったような顔をしながらも、最後まで私を立てようとするのだった。
◆
「おやおや、主さんにしては、随分と悪いものを抱えておりんすなぁ。」
求めていた反応ではなかった。
先日見せたカイのような訛りが消え失せ、シロはすっかりと紫露に戻っていた。
「いかがなさりんした?化け物でも見るような目で見なさってからに。」
私はなぜ、ここに来たのだろう。
私は、シロに会いに来たのだ。
あのシロになら、弱みを見せられると思ったのだ。
「ふむ。黙っておられてはわかりんせん。主さんはこの紫露に、当ててみせよ。と、おっせえすでござりんすか?」
言葉にならない。
こっちの紫露を前にすると、来たことが間違いだったような気にさえなってしまう。
じつに紫露らしい振る舞いで、恥ずかしがる素振りもなく、堂々と、かつ優雅に悩んでみせる。
「……ちと、お巫山戯が過ぎてしもうたでありんすなぁ。紫露は、外縁の森でカイ殿に会うたことなど、ござりんせん。」
シロは、あのときも確かにそう言っていた。
私がそれを、語るに落ちたと解釈しただけだ。
どうして今、紫露の言葉でそれを言い直すのだろう。
意図がつかめずにいると、紫露はさらに続ける。
「我が身の分け身どもは、紫露の好みで拵えたものでありんすが、己が分け身を前にしてうろたえるような性分でも、またござりんせん。」
シロが言ったことを、明確に嘘だと断じる紫露。
何を言ったらいいか、ますますわからなくなった。
底知れない紫露の底を知った気でいたことが、霧散した。
「知っておりんすか?紫露の後に、行列はできんせん。紫露に、主さんの従者らが従うことなどありんせん。ゆめゆめ、お忘れなきよう。」
混乱した頭に、その忠告が染みるように入ってくる。
「……どうして?」
やっと吐き出した言葉は、そんな疑問だった。
何に対してということもなく、整理が付かずにこぼれ出たような一言だった。
「ちと、主さんを助けとうなりんしてな。」
そこで紫露は、肩をすくめるように笑った。
笑顔を向けられた私は、わけもわからず涙を流していた。
紫露はそんな私を、優しく抱き寄せるのだった。
◆
泣き止んだ私は、紫露に自分の考えを話した。
私は、ここを出て行こうと思う。
そんな言葉で締め括って。
「おやまあ、そんな筋の違うたことをお考えでありんしたか。」
私はどこか、多様性がありながら、争いが起こらないことに、不安を感じていたのだ。
集団内で差別や同調圧力がないことを、なぜか手放しには讃えられなかったのだ。
どこかに無理が生じていると、決めつけていたのだ。
そんなことを話したと思う。
「幼稚なナニカ、良くも悪くも無邪気、で、ござりんしたなぁ。ナニカに支配され育った主さんはきっと、イシュの民の懐の深さにあてられてしもたんでありんす。」
紫露は、私の話をそんな風にまとめた。
そうかも知れない。
「紫露も、その懐の深さにあてられてしもうた一人ゆえ、その気持ちがようわかるでござりんす。」
「紫露も?」
完成した賢者のように語っているわけではなかった。
自分の孤独も、未熟さも、含めて差し出している話し方だった。
「橙を見れば明らかでござりんすが、紫露は人間らしい男前を好んでおりんす。それでも、水源の間では、人間に対して腸が煮えくり返ったでありんす。」
紫露は、水結晶が悪用された、まさにその場に行ったのだ。
守るべきものの優先順位を決めて、守るべき水結晶を粉にした。
「ところが、じゃ。同胞をあのように殺されながら、逃亡旅団の皆は、誰一人として人間を傷付けようとせなんだ。——それを見た人間たちもまた、みるみる敵意が抜けていったでありんす。」
やはりそうだ。
イシュの民は、自分たちの価値観で道を見付ける。
受け止める覚悟を決めたからって、私に何ができるというのか。
「じゃあ、追手は……」
「そんなもの、とうにおりんせん。紫露らが、終わりを置いてきんした。なに、亡くなった者たちの、数を数えて弔っただけでござりんす。」
紫露は、みんなを弔ってくれたようだ。
孤児院に行ってくれたのだろうか。
押し流したみんなに見向きもせず、私たちに石をぶつけた、あの狂気の籠った地に。
「主さんが歌うたあの歌。ここでは広く歌われておりんすなぁ。イシュの民はやはり、愛の民にござりんす。主さん、そう一人で思い悩まんと、皆の話に耳を傾けるでありんす。」
いくつもの顔が、浮かんでは消えた。
ここで出会った子たちも、もう二度と会えないみんなも、思い出す顔はどれも、「出ていけ」などという言葉とはほど遠いことに気付いた。
それどころか、いなくなった私を必死で探そうとする姿さえ、容易に想像できた。
「それでも私にとってみんなとの縁は、とっても大事なものなの。」
一度ははっきりとそう口にしたにも関わらず、受け止めるつもりで向き合い直した結果、押しつぶされてしまったのだ。
私は瑠璃のように、心の底からみんなのために怒れない。
そんなことを突き付けられたような気がして。
「それは、悪い結果に隠れて見えにくいかもしれない。」
そう言ってみんなを諭しておきながら、大事なものが悪い結果に隠れ、受け止めるどころか、逃げようとしていた。
私は悪くないなどと言って逃げない。
そう決めた覚悟の果てに、ここにいてできることなどない、手を出していいことなどないと考え、結局は逃げようとしていたのだ。
「ありがとう、紫露。私、みんなの話を聞いてみるわ。」
そう口にしたときにはすでに、私はみんなと話すことが楽しみになっていたのだった。




