魔王の怒り
「やべぇ、あたしも近くで描いて来る!」
描きかけの絵を片付け、叫ぶと同時に跳んで行ったラヴィを追って駆け出すジャンヌ。
ラヴィの絵の中でも、ある部類では人気を二分する、オルカ。
最近は、孤児院のみんなによって開拓された新たな販路により、辺境伯領以外からの客を集めている。
怒れる兎を英雄たらしめる二大英雄譚が、ドラゴンとオルカのようだ。
一方で海から来る南の客からは、スコルピオスを落とす絵が人気だ。
かつては売れ残りがちだったというのに、今では売れ筋のひとつである。
地域ごとに親しまれている英雄譚が異なるのだろう。
ちなみにそれらを差し置いて、温泉の絵が一番人気である。
「あれが、そうなのね。私もナフパクトスに会いに行ってくるわ。」
誰だ。
オルカではない名前が出て来た。
そんな考えに耽っていた一瞬で、カールの姿も小さくラヴィと並んでおり、結局、残る全員で後を追うことになった。
◆
「はじめまして。あなたがナフパクトスかしら。」
リオナがラヴィと楽しそうに話す相手に話し掛ける。
「そうだよ。リオナ、よく覚えてたね。丁度みんなも来たことだし、紹介するよ。」
ナフパクトスは、かつてラヴィが東の島国を訪れたときに出会った少年だという。
オルカは、馬車馬としては最大級のホプロケファルス五頭分はある、海の魔物だった。
魚と違って鱗はなく、身体全体が滑らかだ。
身体の模様は、炭で描かれたゆえではなく、本当に白黒だった。
目の横に大きな白い斑点があるため、愛嬌がある目のように見えるが、実際の瞳も円らだった。
鮫のような胴の大きな切り込みも見られず、尾びれの向きも違う。
ひと通り自己紹介が終わると、ナフパクトスが衝撃的な情報を口にした。
「天文国の首都が、一夜にして壊滅したんだ。」
天文国の首都は、この街との関わりが深い。
何せ、流されたイシュの民を数多く持ち込んだのだから。
街の沖合の大きな流れが、丁度その辺りの東の果てで、陸にぶつかるのだろう。
「あの夜ぼくは、オルカと一緒に満月を見てたんだ。」
ナフパクトスが、自分の体験として、首都壊滅の夜を語り出す。
みんなはその語り出しに静かに耳を傾けていた。
「そしたら首都が壊滅したんだ。」
「いや、間!」
間髪入れずにカイが反応する。
「あはは。ぼくなんかの話は退屈かと思って。」
どうやら自分語りを始めようとしたことを、恥ずかしいと思ってしまうような子のようだ。
こちらが求めているのが首都壊滅についてだと、ちゃんと理解できている子のようだ。
オルカを連れ、外国に訪れる若者。
オルカに巻かれた革紐を見ると、後ろの船をけん引させることもあるのだろう。
積み荷は恐らく……
「ばかだな、久しぶりなのに、あたしがナフパクトスの話を聞きたくないわけないじゃん。聞かせてよ。」
そう優しく言ったのはラヴィだった。
こういう英雄像とは違う顔を見せると、ジャンヌはそこに真剣な目を向ける。
「ぼくはばかだから勘違いだったんだけど、最初は満月が破裂したと思っちゃったんだ。」
ラヴィの言葉のせいではないだろうが、やや卑屈に切り出すナフパクトス。
カールは「男らしくないにゃ。」とでも言いたげな目を向ける。
「すっごく強く光ってすぐ収まったんだけど、満月は相変わらずそこにあった。オルカはびっくりしたのか、海に潜って帰っちゃったんだ。だからぼくも家に帰ることにしたんだ。」
首都を壊滅させる光だなんて、聞いたこともない。
それこそ、伝承に残る時代の、魔法ってやつじゃないか。
ホントかウソか知らないが、人間たちは火の玉だとか氷の槍だとかを飛ばしてたなんて伝わっている。
その中に、光だってあったかもしれない。
「光に気付いて外に出ている人が多かった。みんな南の方を指さしたりしながら話してた。そしたら、腹の底に響くようなウゥゥゥっていう音が聞こえ始めて、みるみる大きくなったんだ。」
「光の次は音にゃ。雷みたいにゃ。」
その通りだと思った。
恐らく、信じられないくらい巨大な雷が落ちて首都が壊滅したのだろう。
「次の瞬間、とんでもない風がどーんって来たんだ。ぼくは木に手を掛けてたから何とか掴まれたんだけど、多くの人が同じ方向に吹っ飛んでいった。」
雷で風が吹くなんて、聞いたことがない。
あたしの推論はあっさりと否定されたのだ。
「ぼくは、最低なんだ。父ちゃんが海に消えたとき、みんなみたいに笑えなかった。海なんか大嫌いだって言ったのに、オルカと海で儲けてる。ラヴィを知ってるのに、オルカが集めて来た積み荷を運んでさ。——ぼくは、吹き飛ばされる皆を見て、笑ったんだ。」
ナフパクトスの目からは涙が流れ落ち、口元は情けなく笑顔を浮かべようとしている。
あまりにも痛々しいその姿に、あたしはあの反乱の後の様子を口にした。
「あんたは最低なんかじゃないさ。逃亡旅団をはじめ、イシュの民たちの中にも笑ったってやつは大勢いたんだ。同時に、今のあんたみたいに大泣きもしてた。泣くのが悲しい時ばかりじゃないのと同じさ。笑うのも楽しい時ばかりじゃないんだ。あんまり知られてないだけでね。——みんなを連れ帰ってくれて、感謝してるよ。本当にありがとう。」
泣き崩した顔をこちらに向けたナフパクトスは、縋るような目であたしを見ていた。
ラヴィがナフパクトスの頭にそっと手を置き、なだめる。
「各国で天文国目掛けて流星が降り注ぐのも確認されてる。」
あたしたちも見た、あの夜の流星だろう。
「流星群がぼくを次々追い抜いていって、日の出前には光る雲が見えて明るかったよね。あの夜の飛行は忘れられないよ。」
ハピィがそんなことを言う。
「あれは、魔王の怒りってことになったんだ。」
あの夜の流星は、ガン・イシュの方向から降り注いだ。
帝国の情報操作により、ガン・イシュは今や、魔王が潜む地とされている。
そして、流星の降り注ぐ先には、数多くのイシュの民が流れ着いたであろう国。
同じ夜に、その国の首都が壊滅した。
「これは、このままじゃ終わらないわね。」
リオナの呟きに、誰もがリルの身を案じた。
外壁の街の外の世界には、本格的に魔王が脅威として刻まれたことになるのだ。
あたしは、ガン・イシュでのリルの様子を知るハピィに目を向けていた。
他のみんなも同じことを考えたのか、自然とハピィに注目が集まるのだった。




