流れぼしのあと
孤児院の跡地には、建物が出来ていた。
広場には針葉樹も一本植えられ、あたしの知っている面影に似通ってきていた。
建物の中は違っていた。
数多く並べられた絵画。
目の見えていない幼体が、他の幼体に混ざって楽しそうに順番待ちをしている。
下半身は、蛇だった。
「ありがとう。ジャンヌ。」
絵を前に、あたしは一人呟いた。
ジャンヌは新しい聖女として、王国には非公式ながらみんなにそう親しまれていた。
「へへっ、洗礼なんざ受させられて聖女に祀り上げられるより、ずっといいや。」
少しだけ丸くなったジャンヌがそう言っていたのを覚えている。
外壁から見下ろす絵、外壁を見上げる絵。
いずれも水が描き足されている。
立派な護岸の絵、孤児院の絵。
やはり、水が描き足され、そればかりか、イシュの民の背中が描かれていた。
カールが爪を研いだのだろうか。
そうじゃないだろう。
大きな引っ掻き傷が、画面を斜めに走っていた。
よく見ると、その上からまた炭が載っている。
ベレニスという特殊な上薬が、傷以外の部分では二重になっていた。
隣の部屋に移動すると、そこにははく製が置かれていた。
傷だらけの毛皮を持つ母らしき獣人と、傷一つない毛並みの子の獣人。
引き離すことが出来なかったのだろうか。
抱きかかえる形のまま、固まったようなはく製だった。
無数に付いた傷は、押し流されたときのものではない。
人間による、鞭打ちの古い傷痕だ。
◆
「メレにゃ!すごいのにゃ!空を見るにゃ!」
日が落ち、動きがやや鈍くなってきたころ、カールが飛び込んで来た。
空を見上げると、リルたちが向かったガン・イシュがある方角から、次々と星が降って来た。
北西から南東へと堕ちていく。
まるで、水に流されたみんなの後を追うように。
燃え尽きるように消えていく。
まるで、命の灯火を終えるように。
「きれいなもんだね。」
「きっと飴玉なのにゃ!絶対に甘いのにゃ!」
カールはそう言って、水道橋の上でぴょんぴょん跳ねている。
「あら、特等席ね。」
リオナが涼しい顔で登って来た。
上流を見ても下流を見ても、橋脚が低い位置には人間たちも陣取っているのが分かる。
あの人垣をかき分けてここまで来るのは難しいだろう。
とは言え、星がまだまだ降り続くのなら、やがてここまで延びるかもしれない。
真っ直ぐに伸びる地上の灯火もまた、美しかった。
「大丈夫だって、本当に落っこちても助けてあげるって言ってんじゃん。」
「ば、ばかやろ!あたしは落ちない保証が欲しいんだっ!」
軽く笑い飛ばすラヴィにしがみつくジャンヌの表情は、必死そのものだ。
ここは、広場の北寄りに位置する、最も橋脚が長い場所だ。
遠慮のないこいつらのような関係が見られる今は、とても幸せなのかもしれない。
散々跳び回った後の疲弊感と悲壮感を漂わせるジャンヌの到着を見て、そんな風に思った。
「この中なら少しは安心じゃないかい?」
とぐろを巻いた尻尾を指さし、ジャンヌに提案する。
「登るときに外に落ちるかもしれないだろ!」
「ったく、わがままだねぇ。まあ、あの絵のお礼さね。」
あたしは一度とぐろをほどき、ジャンヌに巻き付くようにして壁を作る。
「ありがとよ、メレニャ。」
「おや、そんなことを言っていいのかい?ほどいちまうよ?」
「ち、違ぇよ!噛んだ、そう、噛んだだけだって。」
「はっはっは。安心しな。今夜はどっちでもいい気分なのさ。」
メレナとメレニャ。
今や両方とも、あたしにとって大事な名前になっていた。
「メレにゃなのにゃ!」
「そうだね、カール。」
「にゃ!」
見上げた先には、次々と堕ちてなお、減らない星空が広がっていた。
◆
朝方、星の堕ちた方角の空を、輝く雲が覆っていた。
「ここで会ったが百年目!流、星、蹴りぃッ!」
「バカだね。奇襲で叫んでどうするんだい。」
頭の上から影と風がどさりと落ちてきた。
勢いだけは大げさなくせに、着地だけはふわりと減速して。
このバカみたいに明るい声には覚えがある。
あたしと同じ、卵生まれのハピィだ。
「もちろん、気付いてもらうためだよ!久しぶりだね、メレナ!」
「誰だい、あんた。」
すらりと伸びた身体に、広げた翼の先が陽をはじいてきらりと光る。
「ひどくない!?」
羽ばたくたび、金色の羽根が水面みたいに揺れて見えた。
「あたしの知ってる鳥は、もっと真ん丸したヤツさね。」
かつてのハピィは、飛び立つより先に転がりそうな体つきだった。
いじりたくなるのは、もはや反射みたいなものだ。
「ぼくだよ、ハピィ姉さんだよ!」
「それが本当なら、ずいぶんとまあ、身軽になったもんだね。ハピィ。」
変わったのは見た目だけで、中身の騒がしさは一つも痩せちゃいない。
「あれからリルをおぶって走り!夜は暖め!」
「そこは飛ぶんじゃないのかい?」
胸を張って自慢しているくせに、出てくるのは地べたを駆け回る話だ。
「いやぁ、ハピィ姉さん、あの体型だったからね。一人抱えて浮き上がるなんて、とてもとても。」
あたしは尻尾の先で地面をちょんと突いた。
重かった記憶と、今目の前で軽々と翼を広げている姿とが、妙にちぐはぐでおかしい。
「呆れた鳥だね、まったく。まあ、リルが凍えてなさそうで良かったよ。それで?」
口では呆れてみせながら、胸のあたりは少しだけ緩んでいた。
リルを運んだ話なら、いくらでも聞いてやりたい。
「またあるときはリルを抱えて断崖絶壁を誰よりも速く登ったり!」
「なるほど、痩せた身体を手に入れて、飛び上がれたってわけかい。」
「それがね、だいたいリル一人分くらい減っただけだったんだ〜。」
くるくる回るように大げさに話す姿は、痩せたというのに、丸い頃の愛嬌はそのままで。
「お帰り、ハピィ。もう食べ過ぎんじゃないよ。」
任せとけ!と言わんばかりの大きな仕草。
その顔には元気いっぱいの笑顔を浮かべて。
あの狐に向けるときみたいに、尻尾がイライラと揺れることはなかった。
鱗を伝う力が、一度だけふっと抜ける。
こいつの騒がしさには、腹を立てなくていい――そんな答えを、身体の方が先に出していた。
それから数日間、祝福のような輝く雲が、太陽に先駆けて地平線に姿を見せた。




