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巡り廻る

「私たちは、最悪を想定して動くわ。」

「帝国の筋書き通りに事が進めば、次に狙われるのはガン・イシュだ。」


 リオナとラヴィの熱が一段階上がっている。

 カールとジャンヌもそうだった。

 自分の手のひらを見ると、人のことを言えないことがわかった。


「あたしは、絵を描く。この板にな。今見たこと、この街。そして、流れる水の絵も。」

「じゃああたしは、孤児院の場所に部屋を造らせるにゃ。元の場所の近くに板が収まるようにしてやるのにゃ。……みんなが還れる場所にしといてやるのにゃ。」


 外壁の外側の民衆は、カールに協力するだろう。

 外壁の外側の民衆は、ジャンヌに多くを語るだろう。

 戒めの場所に、戒めの物を集めて、永きにわたり、語り継がれることだろう。

 行き違いから、悲惨な末路を辿った命の運びが。



「あたしなら、橙を追うね。」


 みんなが動き出し、それを見送ったあたしは、ひとり取り残された。

 静かに成り行きを見ていたおばちゃんが、ぽつりとこぼした。

 カイのところのイシュの民が協力している橙。

 井戸端会議の達人であるおばちゃんは、すでに何かしらを知っているのかもしれない。


「ありがとう、おばちゃん。」


 あたしの中の熱の向けどころは、やはり自分で動いて見ることだ。

 橙がいそうなところとして、真っ先に西の水源の間を思い浮かべ、迷わず向かう。

 水源の間には水結晶はなく、壁も修復済みで、静けさに包まれていた。

 かすかに擦るような音がする。


「なんだ、メレニャ。お前もここに来たのかよ。」


 ジャンヌだった。

 何も描かれていない木の板を数枚持ち込み、炭の欠片で書きとっている。

 ふと、背比べの傷が残る板が目についた。

 そこには、メレニャと彫られていた。

 それは、水で濡れた形跡より古く、他の傷同様に板と同化していた。


「……あたしは、メレナだよ。」

「そうかい。で、何か用かよ?」


 あたしの小さな戸惑いなど気にも留めず、ジャンヌは壁の絵を描いている。

 積み直された形跡をおさえて抜かれており、後から外の景色と水を書き込めるようにしていた。


「いや、橙を探してるだけさね。」

「橙なら見てないぜ。他を当たりな。」


 言外に邪魔だと言いながら、描くことをやめない。


「ジャンヌ、この板には何を描く気だい?」


 ジャンヌは初めて手を止めた。

 傷跡をなぞり、しばらく押し黙る。


「……さあな。だが、一番いい絵だ。それだけは決めてんだ。」


 今度は二人して黙り込む。

 あたしから沈黙を破った。


「できれば、子どもたちが、笑ってる絵にしてくれないかい。あたしはそのとき、まだ熱しか感じ取れなかったけど、みんな、笑ってたんだよ。」

「ちっ、んだよ、それ。やっぱメレニャじゃねえかよ。もうそれしか……見えなくなっちまったじゃねぇかよ。」

 

 不貞腐れたような顔をして、木の縁を強く握りしめるジャンヌ。

 顔に炭が付くのを厭わずに、何度も拭うのだった。



 あたしはそれから、外壁の内部を通り、海の方へ向かって進んだ。


「水没してるね。ま、あたしゃ、濡れたって構わないからね。」


 なんとなくカールがいないことを再確認してしまう。

 あたしは大きく尾を膨らませ、水の中へと続く通路に身体を沈めていった。

 通路は横にだだっ広く、水上に位置する部分のような仕切りも無い。

 造られた当初は、きっと全部がこういう造りだったのだろう。

 ジャンヌと別れてから、北の水源の間から西の水源の間へ行くくらいの距離を進んだだろうか。

 水中なのに階段があったから、ひとつ上の階へ移動してみた。


(驚いたね、ここにも水結晶があんのかい。)


 半分は驚きだったが、残る半分は納得だった。

 これまで水結晶は北の方にばかり偏っていると思っていた。

 外壁をぐるりと巡るように眠っているのだとしたら、その方がよほど自然だ。

 ――そんな気がした、という程度だが。

 だが、特に光を放つこともなく、まるで沈黙しているようだった。

 大きさだけ見れば、副結晶と同じくらいだ。

 なんとなく、外壁の中でいちばん深く沈んだ南の端に、橙がいるような気がした。


 最南端まではやはり、同じくらいの距離を泳いだ。

 結論として、橙がそこにいた。

 ただし、ガラス張りの天井越しに、強い驚きの顔を浮かべているのだが。

 あたしは潜った場所に戻り、外から南端を目指した。



「頼む!手伝って!」


 橙の元にたどり着いたときの、オウルからの第一声だった。


「何やってんのか包み隠さず教えてもらわないことには、手伝うとは言えないねえ。」


 既に周囲には大小さまざまな石材が運び込まれている。

 外壁の最南端、天井がガラス張りではない場所を土台に、そろそろ水面に顔を出しそうな高さまで組み上げられていた。


「君は本当に、後天的な、例外種なのかい?」

「どういう意味だい、そりゃ。」


 イシスが横から悩まし気に割り込む。


「だって、他のみんなはさ、手伝ってくれるのに。快くさ。」

「君は、あの人間たちより、気難しい、のかな?」

「ふうん、そういうことかい。あたしゃ、ちゃんと知っときたいだけさ。そのうえで、あたしが必要かどうか、考えるのさ。」

「まず、やってもらいたいこと。この下の間の、天井を、開いて欲しいのさ。」


 水上に戻る前、階段があった。

 水源の間に続くような階段だった。

 橙を見付けたから引き返した。


「中に水結晶でもあるのかい?」

「そう。北のと同じ、大きいのが。」

「中から、開けられるけど、行く手段が、なかったのさ。」


 あたしの尻尾の先端は、今の心情を表すように、左右に揺れていた。

 結局、目的がわからなかった。

 おばちゃんの技術とは程遠く、未熟さを感じていた。


「つまり、あたしって手段が見付かったわけだね。それは、今すぐ必要なのかい?」

「いや、完成してからで、問題ない。」

「だろうね。じゃあ今の段階であたしが必要ってわけじゃない。他の手段が見付かるかもしれないし、あたしにも見定める期間ができるってわけだ。」


 橙の仕草、口調、自分の未熟さ。

 それらに向ける苛立ちを飲み込んだうえで、あたしの明示した条件を、わざと外してくるような橙の態度。

 それだけあれば、この場から一歩退く理由としては、十分だった。

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