断片
「今すぐにどうこうってわけじゃないだろうけど、状況はあまり良くないわね。」
再会の挨拶もそこそこに、リオナはそう語る。
「あたしたちを追い越すように、勇者と魔王の物語は広まってたからね。現にドーラなんかはもう噂を掴んでたよ。」
ラヴィたちはエレガン辺境伯にひと通りの報告を済ませて来たのだろう。
ドーラは冬の間に一度、東の王都まで往復していたようだった。
それから、橙を見掛ける場所が限られるようになった。
この時期、黄金の穀倉地では放っておいても作物が育つため、カイのところのイシュの民も、橙の作業を手伝っている。
大衆目線ではそこまで詳しいことはわからないが、確実に何やら統制の取れた動きが進んでいることは分かった。
「屋敷で仕入れた話で、イシュの民みんなに伝えるべきか悩ましい話があるわ。私なら知りたいと思うようなことなんだけどね。」
「みんながどれくらい怒りに振り回されないようになっているか次第なんだよね。」
リオナとラヴィが意味深なことを言う。
察するに、あまり良い話じゃないんだろう。
「なあ、あたしのところにさ、わざわざこれに描いて欲しいって板を持ってくる連中が後を絶たないんだ。いったいどうなってんだよ。」
ジャンヌが絵を立てているところの後方、噴水の縁に多くの板が立て掛けてあった。
てっきりジャンヌが支持体として集めたものかと思っていたが、リオナたちに最初に報告するような異常事態なのだろう。
「あたしも信じらんないよ。その絵の殿が、実はただの独り相撲だったなんてさ。」
ラヴィが指さすのは、アスピソプスを手玉に取る絵。
前足を高く上げて首を振り回すアスピソプスが、とても躍動感に溢れている。
半分宙に浮く巨大な二輪を備える戦車に爪先を引っ掛け、鎖を握ったラヴィが器用にバランスを取っている絵だ。
「しょんぼり兎は全然生意気そうじゃないのにゃ。絵と別人にゃ。元気出せなのにゃ。」
カールなりにラヴィを励ましている。
会ったら噛み付くんじゃないかという心配が無駄になって何よりだ。
「板が持ち込まれた理由。ひとつは通行料の値下げ、もう一つは外壁の外側の活性化ね。反乱前とは大違いで驚いたけど、リルの願いに近付いた気がして嬉しいわ。」
「雨降って、地固まるにゃ。」
「カール、その例えは金輪際使うんじゃないよ。……冗談じゃない。」
あたしの尻尾が小刻みに揺れる。
だけどカールはシュンとして跳び付かない。
思っていた様子とは異なり、ひとり、噴水の縁に寄っていた。
水が流れた。
でも地面は固まってなんかいない。
それぞれが心に傷を負い、一生引きずるんだ。
「人間軍が反乱して、イシュの民が大量に殺されたって話だろ?聖女が弾劾されて、教国の聖地に逃亡したのも事実なんだろ?じゃあ何だって反乱軍のヤツらが絵を買って、あたしにもっと描いてくれって言うんだよ。」
その言い分は最もだ。
あの反乱軍の変わりようは、あれからずっと見て回ったあたしでさえようやく認められたばっかだ。
「紫露と橙たち近衛軍がね、憎しみの連鎖を断ち切ったのさ。信じらんない話だが、逃亡旅団と当たった時点で、酷い後悔に苛まれて戦意を喪失してたって話さ。」
ここは情報を出し渋る場面じゃない。
そう判断して、おばちゃんに話すときのように、知っている限りの情報を吐き出す。
「近衛軍……穏やかな軍。狐姿のイシュの民率いる橙。例外種を実験的に造り出し、暴れもせず、狂わず、まるで呼吸するように秩序を保っているという、あの……」
あたしの説明に、ラヴィが橙たちについての外聞を諳んじる。
「なんだい、帝国にはそんな風に伝わってんのかい。紫露が言うには、例外種を造り出すには、水結晶を犠牲にするしかないみたいだよ。あたしたちがそうなったみたいにね。橙たちは先天的に例外種だったシロの分け身って話さ。」
シロが分け身を作り、初詣を経て紫露になったという。
後天的に例外種を造る実験。
おそらくドーラあたりが、そんな風に外向きに用意した話なのだろう。
あるいはシロがそのように思い込ませたか。
「わっかんねーよ。それが何で、あたしのところに板が集まる理由になるってんだよ。」
「……この板は、見覚えがあるにゃ。あたしが冬の間の寝床にしていた、孤児院の壁の板にゃ。……ここにみんなの背比べの傷があるにゃ……」
「んだよ、それ。じゃあ、っくそ。んだよ、それ。」
ジャンヌが理由に思い至った様子で、目の周りを拭う。
「みんなの遺体はね。海の向こうに流れ着いたらしいわ。」
「ちょ、リオナ!この雰囲気で言うのかよ!」
とんでもない情報が投げ込まれたような気がした。
「何が言いたいのにゃ。事と次第によったら許さんのにゃ。」
カールは驚くほど低い声でそう告げると、リオナとラヴィを交互に睨み付ける。
その身体は、見たことのないくらい毛を逆立てて膨らんでいた。
「素材として、売られているのよ。はく製にされた子もいるらしいわ。」
物凄い音が響いた。
リオナの顔面に、カールの拳が炸裂していた。
「今、少しずつ辺境伯領で買い集められているわ。外壁の街のみんなから、次々と寄付も集まってる。」
顔からではなく、リオナの拳から、血が滴り落ちていた。
「あたしも、有り金全部寄付して来たよ。ネロが言うには、東の海の果てから、誘蛾灯に誘われるように集まってくるはずだって。」
カールの身体がみるみる萎む。
リオナとの距離を詰め、殴った場所を舐める。
「ごめんなさいにゃ。リオナは悪くないのにゃ。」
「いいのよ。ありがとう。私も、きつく殴られないと気が済まなかったもの。リルのそばにいながら、適用の歪んだ拡大の場にいながら、歪みを止められなかった。」
並び立つ絵の中の凛々しい姿とは裏腹に、しょぼくれた英雄、ラヴィ。
炭の濃淡で聖女のように柔らかく描かれたリオナは、魔王のごとき鋭い目で西の壁を睨み付けていた。
噴水の縁には、そこにいた子どもたちの背丈だけが、今も律儀に並んでいる。
あたしは、まだ何も描かれていない板から目をそらせずにいた。
暖かい孤児院で楽しそうに自分の番を待つ子どもたちの顔が、次々と浮かんでは消えていった。




