立て板と絵描き
「これは、どういうことだい?」
「生意気そうな兎にゃ。」
噴水前の地面に立ち並ぶ木の板。
どれもこれも、見たことのある兎が描かれていた。
「っせーな。画材が炭しかねーんだよ、気にいらねーならとっとと帰れ。邪魔だ。」
売る気が全くないのか、明らかに不機嫌そうにする女。
「そうじゃない、何でラヴィがこんなに描かれてんだ。それに、こっちはリオナじゃないか。」
「知ってる美人にゃ。これじゃ爪は研げんにゃ。」
アスピソプスを手玉に取る絵、スコルピオスを落とす絵、丸い岩に玉乗りする絵。
独創的な物語が潜むラヴィの絵に対し、リオナは日常を切り取ったような絵だった。
「やっぱ地元じゃ顔見知りもいるわな。もっとリオナを描いときゃよかったぜ。ラヴィが多いのは売れ残ってっからだよ。もういいだろ、買わねーなら失せな。」
リオナとラヴィの絵ばかりが並んでいるということは、殿となった後に縁があったということだ。
常に冷静じゃないといけない。
目的を見失っちゃいけない。
相手に流れを奪われてちゃダメなんだよ。
レン坊ちゃんの言葉を思い出し、余計に焦る。
「メレにゃ。こいつよそ者なのにゃ。ここではイシュの民が怒ることを知らんみたいだにゃ。バカだにゃ。」
カールが瞳孔を見開き、歯茎を見せて唸り出す。
尾の毛を膨らませてブンブンと激しく振りはじめ、地面に叩きつける。
尾の動きを強調するように、上半身が徐々に低くなる。
「な、なんだよ、脅す気かよ。」
「脅さないにゃ。実力行使にゃ。脅すときはシャーッなのにゃ。」
カールは両手を顔の高さまで上げ、今にも引っ掻きそうな様子で女から目を離さない。
「ばっ、バカやろう、そんなことしてタダで済むと思うなよ!」
「へぇ、どうすんだい?ラヴィとリオナに泣き付くのかい?面白そうだ。イシュの民、2対2だねぇ。」
特に怒る理由はないが、他に妙案も浮かばないからカールに便乗してみることにした。
尾の先を高速で左右に揺らす。
「にゃにゃにゃにゃにゃっ?!」
目にも止まらぬ速さでカールの拳が繰り出される。
その標的はあたしの尻尾に移っていた。
「捉えられんにゃ!すごいにゃ!目が離せなくなっちゃうのにゃ!」
膨らんでいた尻尾は萎え、代わりにブンブン大きく振られる。
「なんなんだよ、お前らはよ。絵を買ってくヤツらはみんな拝むようにしてくってのによ。」
額いっぱいに汗を浮かべて精一杯強がる女は、ますますあたしらに対し警戒心を強めた様子だった。
「全くの考えなしだったねぇ。あたしはカールが怒ってみせたから便乗しただけさ。」
動きを止めたあたしの尻尾に一撃をくれたカールは、満足そうに毛づくろいを始めていた。
「ちっ、迷惑な話だぜメレニャさんよぉ。」
「むっ、お前、わかってるにゃ。メレにゃはメレにゃなのにゃ!お前は何て名なのにゃ?答えろにゃ。覚えといてやるにゃ。」
急に女の肩を抱き、強引に名乗らせようとする。
いいぞ、もっとやれ。
「はっ、聞いて驚け。あたしは帝国の勇者、ジャンヌ様だ!」
「知らんにゃ。ここは王国辺境にゃ。やっぱこいつバカにゃ。」
たった今怒って見せたイシュの民相手にこれだけ啖呵が切れるなら、勇者というのも間違いではないが。
「はん、知れてるね。蛮勇は身を滅ぼすだけさね。」
「ふん、怒れる兎で慣れっこなだけかも知れねーだろ。現にあたしはまだ、傷一つ負っちゃいねぇ。」
ジャンヌは引くことを知らないようだ。
とは言え、傷付ける気なんかハナからないのも事実。
「おやおや、どうしたんだい。喧嘩の仲裁が得意なあんたにしちゃ、随分と分が悪いようじゃないか。はっはっは。」
向かいの露店はおばちゃんの店。
やっぱり一部始終を見られていたみたいだ。
「知ってるよ、あんた。勇者だってね。勇者と言えば魔王さね。あの巨大な体躯、威圧的な鎧、角や翼を持つ、おどろおどろしい姿。性格は冷酷非道、世界の破壊を目論み、人間を蔑視している怖いヤツさ。溶岩や暗黒に包まれた土地にそびえる禍々しい雰囲気の魔王城を拠点に、その単純な悪意や本能から世界征服、人類滅亡を企む人類の敵さね。それをあんたは赤子の手を捻るようにやっつけたんだってねぇ!その魔王の絵は無いのかい?そりゃ、苦戦もしなかった相手の顔なんざ覚えちゃいないやねぇ。あったら買ったのにねぇ。笑い者にしてやるのさ!はっはっは。」
おばちゃんの口上は、立て板に水のごとく止まらない。
露店から言葉を続けながら、身振り手振りを交え、一歩、また一歩と近づいてくる。
笑い終える頃には、カールの反対側から肩を組んでいた。
「そんなんじゃねぇよ。あたしは……勇者なんかじゃねぇ。——帝国に利用されただけさ。」
ジャンヌがぽつりと漏らす。
そこからは、耳を傾けてやるだけで、次々と語り始めた。
「魔王はこの、リオナさ。あたしのせいで……魔王に仕立て上げられちまったんだ。」
辺境じゃ聞かない話が出てくる。
リオナが魔王ってのはどういうことだい?なんて出掛かった言葉は、おばちゃんによって遮られる。
「そうかい、あんたも辛かったんだねぇ。だが帝国と言えば国民にパンとサーカスが提供されて、貧しい人々の生活から娯楽まで保証する仕組みがあるって言うじゃないか。それに、才能があれば誰でも学べて取り立てられて、あんたなんか勇者さまってくらいなんだから、まさにその口かと思ったけども……どうやら違うようだねぇ。おばちゃんで良かったら聞かせとくれよ。何の力にもなりゃしないけど、少しは楽になるかもしれないよ?」
ジャンヌは一度だけ噴水の方を振り返り、肩で笑った。
「パンもサーカスも、あたしにゃちっとも回ってこなかったさ……盗んで奪ってでもしなきゃ、生きてくことさえできゃしない、ただのちんけなちんぴらさ。」
「それが勇者さまの正体だってのかい。帝国に何の得があんのさ。」
ジャンヌは視線を鋭くさせ、あたしの目を真っ直ぐに見据える。
「教えてやるよ。帝都じゃ、こんな話で皆まとめて呑み込ませてんだ。」
王国の聖女が、帝都に現れて堕落した。
敵は教国の聖地へと、イシュの民を率いて向かっているとの情報が入った。
聖女がこの地で魔王となったのだ。
生まれたての魔王は勇者によって退けられたが、未だ脅威は天空の台地にあり!
「な、帝国製の話は、だいたいこんな具合さ。あたしはその絵の中で、勝手に勇者役をやらされただけだ。」
リオナが魔王だと言ったか。
この話では最早、リルが魔王じゃないか。
「とはいえ、出来立ての話にゃ、裏を知る者も大勢いてね。勇者さまはまんまと魔王追跡命令を受けるふりして、こうして絵描きをやってんのさ。ほれ見なよ、小さな魔王軍がやって来んぜ。」
釣られてジャンヌが示す方を見ると、リルの屋敷の方からリオナとラヴィが歩いてくるのだった。




