一陽来復
今日は広場にカールがいた。
「「「いただきます!」」」
台の上にネロが立ち、にこにこと笑いながら子どもたちを相手に話をしている。
「いいねぇ。よくできました。ひとつずつ飴ちゃんをあげよう。」
老人の朝に合わせて日が昇って間もないというのに、これだけ子どもたちが集まっているのは、この飴玉のおかげだ。
「いただきます。これはね、生きとし生けるものに、おっと、難しい言い方をしちゃったね。生きている皆に感謝を伝えているんだよ。命をありがとうってね。」
ネロは肩をすくめてみせる。
難しい言葉を冗談に変えながら、言いたいことだけはそらさない。
「感謝をすれば、敬意が生まれる。そうして、むやみに虐げなくなってくれると嬉しいねぇ。そして、食べ終わったらまた、手を合わせてご馳走様でしたって言うんだよ。」
むやみに生き物を虐げることを禁ず。
鳥獣憐みの令に残された一文だ。
リルが伝えようとした願い。
民衆たちの戒めの言葉となったもの。
「動けなくても生きているんだ。何のことかわかるかな?お、早いね。よし、答えて頂戴。」
勢い良く手を挙げる子を当てて、答えを促す。
「木!」
「ご名答。飴ちゃんをあげよう。野菜だって育てるよね。みんな生きてるんだ。じゃあ木や野菜は、何を食べているのかな?っと、これまた早いね。」
別の場所で、また手が上がる。
視線が一斉にそちらへ集まり、当てられた子は胸を張って大声で答える。
こうやって参加させながら、教育をしていくネロ。
「お天道様にゃ!」
いち早く手を挙げて答えたのは、カールだった。
カールがうずうずしてネロに飛び掛かる。
「おお、元気がいいねぇ。そりゃ。」
ゆっくりとした下投げで、際どい位置に飴玉を放り投げる。
それをそのまま空中で咥え、そのまま身体をしならせて四つ足で走り去るカール。
子供たちから歓声が上がった。
「みんなは食べ物を投げたりしちゃいけないよ。おや、何か言ってるね。」
「ご馳走様にゃ~!」
そんなこともありながら、子どもたちには少し難しそうな、森を育てる下刈りや間伐の話に、ゆっくりと広げていく。
あたしは塀際の石に腰を下ろし、その光景を眺めていた。
台しか残っていない運動場で、今は飴玉目当ての子どもと、妙に真剣な大人たちが肩を並べている。
◆
外壁の門の外も、少しだけ様子が変わっていた。
外側の民衆が門をくぐるなんて、年に何度あるかどうかだ。
通行料を払えないのだ。
今も、朝方まで宿場通りに泊まっていた他国の荷車の列が、門をくぐって行く。
樽に詰めた塩漬けの肉。
藁かごに収めた卵。
丸く固めたチーズの塊と、木箱に詰めたバター。
領内近隣の畜産物を運ぶ列は、門のすぐ外側の市場を賑わせていた。
かつて鳥獣憐みの令で火が落とされた燻製小屋や搾乳小屋は、完全に壊されたわけではなかった。
石組みと道具は残っていて、今はまた煙突から細い煙が上がっている。
止まっていた手仕事が、少し埃を払ってそのまま動き出したような光景だった。
列の横では、山羊を一頭連れて来ている家もあった。
「景気よくなったもんだね。」
あたしが列の脇から声を掛けると、一番前の女が笑った。
「令でこっちの仕事が止まってただけでね。美味いからよく売れるんだよ。うちの乳はね、加工品の残りさ。ついでに市場で売るんだよ。こっちの都合で絞らないわけには行かないのが乳さ。だからうちは、前からずっとチーズとバター。」
そう言いながら、売り物に伸びる影に気付く。
「つまみ食いとはいい度胸だね。食べたんなら、方々で宣伝しとくれよ。」
あたしの隣から手を伸ばしたカールの手からチーズは消え、変わりに口がもぐもぐしていた。
「ご馳走様にゃ。」
女の肩越しに、門番の顔を見る。
ほんの数刻前は、夜間の出入りを監視していた目が、荷車から降ろされて並べられる中身を見ていた。
チーズの香りに、バターの色に、卵のひびの有無に。
担当の時間が終わり、家に帰る前に、門の外の朝市に顔を出す。
値が下がったうえに、数も種類も増えた新鮮な畜産物に目を輝かせているようだ。
「チーズなんかはまた作れるようになったから、今は在庫を放出してるってわけさ。令で一度止まったけど、搾乳機も、樽も、道具も、そのまま残ってたんだよ。もちろん、腕もね。」
女は片目をつぶり、力こぶを誇示して笑った。
「搾りたてを飲ませてやりたい奴は、ああやってその場で搾る。昔からそうしてたんだよ。ちょこっと中断しただけ。」
山羊の脇で、子どもがちょこんと腰を下ろし、小さな手で乳房を握っている。
桶に落ちる音が一定のリズムを刻み、時々、山羊の鼻息がそれに混ざる。
女の子が搾りたての乳を木の桶に受け、客が持参した器に一杯ずつ分けている。
冷えた空気の中、白い湯気がふわりと立った。
次の受け皿は口だった。
大口を開けて山羊の下に潜り込むカール。
「いただきますにゃ。」
子どもが笑いながら乳を搾る。
刻んだ犬猫への贖罪のつもりか、ここで売られる食材は、カールに無償で振る舞われるのが慣習になっているようだ。
あたしは、門の内側を一度だけ振り返る。
一年もすれば、内側の市場でも外の塩漬け肉やチーズなんかを見掛けることになるだろう。
買い物のために通行料を払う者が占める門の流れが、このままいけばそのうち逆転することだろう。
市場に漂う熱気とカールを背に、あたしは次の現場へと足を向けた。
◆
森の方も、少しずつ変わり始めていた。
昼間から幹に印を付ける音がしている。
良く吠える獣をお供にし、森に潜む危険を回避しているようだ。
太い幹に浅い斬り込みが入れられ、選別されていく。
その隣に、まだ細い若木。
印を付けられなかった方は、残されていく。
「全部倒したら、薪には困らねぇけどな。」
斧を持った男が、隣の若木を見下ろして言った。
「森ごと死なせるのは、むやみってやつに当たるんだとさ。」
「誰が言ったんだい、それ。」
「さあね、誰かの受け売りさ。」
男は笑いながら、印を付けた方の木に斧を振り下ろした。
一息で倒すわけじゃない。
何度も何度も、同じ場所に刃を入れていく。
次に、反対側の少し高い位置に、段違いの斬り込みを入れていく。
やがて木が倒れると、他の者たちが枝を払い、太さごとにきれいに積んでいった。
あたしは少し離れたところから眺める。
地面には、小さな穴がいくつも掘られていた。
そこに、どこからか持ち込まれた苗木が、ぽつぽつと植えられている。
人間の足跡と、そうでない足跡が混ざっている。
森の奥で苗木が増えていたとしても、それをいちいち報告書に書く者はあたしくらいだ。
腹の下から伝わってくる湿り気と、葉を落とした木々の間を渡る風の温度で、前とは少し違う季節の巡り方を感じていた。




