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戒め

 外壁の穴が完全に修復された頃、孤児院跡地の運動場に、人だかりができていた。

 新しく積み直された塀の内側は、まだ石の粉っぽい匂いが残っている。

 運動場の中央には、あの木の台がぽつんと立っていた。


「そもそも俺たちが犬猫を虐殺していたことが——」

「子ども心に笑いながら始めたのは——」


 今日はカールがいなくて良かった。


 外壁の外側の民衆が集まる集会で、人間の残虐さが語られていた。



 その日は台の上に、領主エレガンとドーラが並んで立っていた。

 先日まで反乱軍の軍装を身にまとっていた男たちも、鎧の上から粗末な外套を羽織り、群衆の中に紛れている。


「皆さんが言うように、発端は犬猫の虐殺でした。」


 エレガンの声が、風を切って広場に降りていく。

 騒めいていた声が、すっと細っていった。


「我が娘、リルが、やめさせたいと怒鳴り込んで来ました。」


 静寂。

 誰も息を呑む音さえ立てまいとするような沈黙が、運動場を覆う。


 エレガンはしばし視線を巡らせ、皆の顔をひとつひとつ確かめるように見てから、再び口を開いた。


「私たちは、リルを旗標にして、令をいじって来ました。」


 自嘲にも似た響きが、一瞬だけ言葉の端をかすめる。


「しかしこの集会を見る限り、もうそれは無用であると判断しました。」


 ざわ、と空気が揺れる。

 廃止か、と期待する者もいただろう。

 それでも、誰も声には出さない。


「ですが、鳥獣憐みの令は残します。」


 きっぱりと言い切ると、期待はすぐに行き場を失った。

 それでも、責めるような野次は飛ばない。

 それぞれが、自分の胸の内を探っている。


 エレガンは一拍置き、頭上を渡る横梁を見上げた。

 あの日、娘たちの身体を支えた木。

 今は、誰も吊られていない空の梁。


「あの子の願いを。」


 それだけを言うと、ドーラが脇から一枚の板を差し出した。

 白木の板には、太い字で一行だけが記されている。


 むやみに生き物を虐げることを禁ず。


 ドーラが釘を打つ。

 横梁ではなく、梁を支える支柱に。

 誰かを吊るすためではなく、誰かが見上げるための高さに。


 コン、コン、と木槌の音が運動場に響く。

 子どもたちの視線が、一斉にその一行に吸い寄せられていく。


 エレガンとドーラは、釘を打ち終えると、それ以上余計な言葉を重ねなかった。

 ただ、板を一度だけ見上げ、群衆に軽く会釈をして、ゆっくりと台を降りた。


 残されたのは、古い台と、新しい塀と、一行だけの令。

 リルの名が記されたその願いを、誰が誰のために守るのかは、これから決まっていくのだろう。



 むやみに生き物を虐げることを禁ず。


 たった一行。


「何がにゃ。猫はもう殺されてないにゃ。」

 カールは半ば呆れていたくらいだ。


 会議がお偉いさんたちの自己満足を満たすように進行していったのも確かだ。


 でも、音は嘘をつかない。

 あたしの耳と、地面を這う腹の下に伝わる振動が、それを教えてくれる。



 とある小屋の前で、見覚えのある背中を見つけた。

 家畜として知られたボースという獣だ。


 斑の入り方も、尻尾の振り方も、子どものころから知っているやつだという。

 一度放たれて、森の縁で半野生みたいに暮らしていたはずの家畜が、また首縄を付けられて柵の中にいる。


「よく戻って来たもんだね。」


 ぼそりと声を掛けると、柵の向こうから農夫の男が笑った。


「戻したんだよ、こっちが。戻って来てくれたって言った方が、気分は楽なんだがな。」


 男の手には、刈り取った干し草が抱えられている。

 大きな獣はそれを見て、素直に鼻先を伸ばす。

 柵の外で怯えていた頃よりも、少しだけ目付きが柔らかい。


「かわいいだろ?」


 男は、にかっと笑って柵越しに獣の額をぽん、と叩いた。


「殺すために飼うなんざ、犬猫を殺して笑ってた連中と、やってることはあんま変わらねぇって言われたが、放した先でこいつらの大半は結局、食われちまった。殺すために飼っちゃいるが、愛情がないわけじゃねぇ。むしろ愛情がなきゃ、家畜なんざ飼えねぇのさ。」


 言葉の端に、苦味が残っている。

 あたしはその顔をしっかりと覚えることにした。



 森の縁では、別の匂いがした。

 血と、干し肉と、焚き火と、冷たい風が混じった匂いだ。

 木の根元に、毛皮を剥がれた大きな獣が横たわっている。


「前だったら、殺しただけで罰則だったからな。」


 獣のそばで、若い男が手際よく肉を切り分けていた。

 その横では、女たちが塩を揉み込み、紐に通して木の枝にぶら下げていく。


「むやみに、ってところが肝心らしいよ。襲ってきたやつを追い返すのは、むやみじゃないんだとさ。」

「どう見ても死んでるにゃ。」

「ずいぶんきっちり解体してるじゃないか。」


 あたしがそう言うと、男は肩をすくめた。


「冬前だ。肉を無駄にする方が、よっぽど生き物を虐げてる気がしてな。」


 枝に吊られた肉は、まだ赤い。

 その下で、子どもたちがじっと見上げている。

 怖がっている目つきじゃない。

 いつもより少しだけ豪華な晩ご飯を想像している、そんな顔だ。


「この肉があるだけで、この村の冬は少し楽になる。」


 年配の女がぼそりと言った。

 その声には、祈りのような響きが混じっていた。



 その日の夕方、外壁の外側を歩くと、どの家もいつもより匂いが濃かった。


 煮込みの匂い。

 焼いた肉の匂い。

 鍋の蓋を上げたり下ろしたりする金属音と、子どもたちのはしゃぐ声。


 窓から漏れる明かりの中で、脂の乗った肉を小さく切り分ける姿が見える。

 誰かひとりが大きく食べるんじゃない。

 ひとかけらを、皿を回して、順番に口に運んでいる。


 あたしは、立ち止まってそれを眺めた。


 放たれた家畜は、全部消えたわけじゃなかった。

 森に呑まれたのもいれば、人に戻されたのもいる。

 その間に増えすぎた肉食獣は、今度は人に追い返される側になった。


 可哀想、だけじゃ片付かない。

 残酷、だけでも片付かない。

 あたしの頭の中で、いくつもの言葉がぶつかり合って、なかなか形にならなかった。

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