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方針

「おばちゃん、帰ったよ。」

「おや、なんだか決意に満ちた目だねぇ。聞かせてくれるかい?」


 おばちゃんの露店に戻ると、にこにこと笑いながら出迎えてくれた。

 汚れを落とすように、溜まった情報を吐き出していく。

 歩いて見て回った後の、いつもの流れ。

 街を離れていた時間なんてそんなに長くはないというのに、随分と懐かしく感じた。


 ひと通り話し終えると、おばちゃんは「ま、あんたならうまくやるさね。」とだけ言って、また果物の山の向こうへ戻って行った。

 あたしは噴水広場の方へと足を向ける。水音が、まだこの街が続いていると告げているようだった。



 あたしは手帳をぱらぱらとめくっていた。

 噴水の水しぶきが時々頬にかかる。

 書き溜めた走り書きは、もう何冊目になるだろうか。


「お、なんやなんや、べっぴんさんやん。」


 背後から、聞き慣れた声がした。

 振り向くと、カイが片手をひらひら振りながら近付いて来る。

 その少し後ろには、腕を組んだレン坊ちゃんの姿もあった。


「おや、カイ。戻ったのかい。」


 あたしが立ち上がると、レン坊ちゃんはいつもの調子で顎をしゃくってみせる。


「俺たちは、俺たちにできることをする。そうだろ?」


 口の端だけ上げた顔は、軽口とは裏腹に、どこか真剣だった。


「そうだね、こっちにはカイっていう伝手もあるしね。」


 あたしが肩をすくめると、レン坊ちゃんはにやりと笑う。


「そうそう、立ってる者はカイでも使えってな。」

「なんやて?ワイは貴族やぞ。お貴族様や。敬え!崇めれや!奉らんかい!」


 カイは噴水の縁に飛び乗り、極端なことを言う。

 両手を広げて、噴水広場を我が庭みたいに見渡している。


「は?んなことしたら一緒にいるだけでお前の情報を垂れ流すことになるだろ。」


 レン坊ちゃんが、心底うんざりした顔で言い返す。

 返しが早いあたり、こちらもいつも通りだ。


「せやな、ほしたらこの二人は友達やないってバレてまうもんな。え?ワイらって友達やないん?アカン、そんなん生きてかれへん!待って、ワイを置いてかんで!ってなんでやねん!」


 身振り手振りを大げさにしながら騒ぎ立てるカイに、周りの子たちがくすくす笑う。

 今日も平常運転である。


「……友達なんかじゃあねぇよ、俺たちは……」


 レン坊ちゃんが視線をそらしたまま、ぼそりとこぼす。

 その声色には、いつもの皮肉っぽさがなかった。


「……え?」


 カイが動きを止める。

 あたしも思わず、耳をそちらに向けていた。


「大親友だろ?」


 ようやく顔を上げたレン坊ちゃんの目は、真っ直ぐだった。

 その一言に、噴水の水音さえ一瞬だけ遠のいた気がした。


「レン~っ!!一生付いてくわ!ってどないやねん!」


 次の瞬間にはもう、カイは大袈裟に涙ぐむふりをしながらレンに飛び付いていた。

 周囲から笑い声が上がる。

 何度も見てきた掛け合い。


 張り詰めていた感情が、行き場を失った怒りに変わる。

 この男どもは、いつだって肝心なところで茶化す。

 その無神経さが、今、堪らなく腹立たしい。

 彼らの瞳の奥に、こちらの真剣さが映ることはないのだろうか。


「あたしゃ、イシュの民だけどね、例外種なのさ。」


 あたしはため息混じりにそう告げた。

 嘘になった、慣れ親しんだ言葉を、少しだけ真実に寄せる。


「ひいぃっ!やめてっ!こいつはどうなってもエエから、俺だけは助けたって!」


 カイが大げさに身をすくめ、レン坊ちゃんを自分の前にぐいっと押し出す。


「やめんのはカイ、お前だ。」


 レン坊ちゃんはこめかみを押さえながら、ゆっくりと息を吐く。

 真面目に叱るというより、暴走しがちな相棒を線の内側に戻す、いつもの調子だ。


「せやな、すまん。事情はウチのモンらに聴いた。なんや、副結晶が砕けたからやってな。」


 その目は一瞬だけ真面目になっていた。

 帰ったみんなから情報を拾い集めてきたことくらい、あたしにも分かる。


「メレナ、覚えとけ。怒りってのは原動力にもなるけどな、視野を狭めるんだよ。」


 レン坊ちゃんが、噴水の縁にもたれ掛かるようにしてこちらを見る。

 説教じみた口調なのに、不思議と責め立てる響きはない。


「リルに突撃しかしいひんかった、若かりし頃の苦い記憶っ。めっっっちゃ嫌われてたもんなぁ……ううっ、お痛わしや。」


 カイが胸を押さえて大袈裟に泣き真似をする。

 悪びれもせず、昔話を掘り返し、レン坊ちゃんの傷をえぐって来る。


「うるせぇ、これから巻き返すんだよ。」


 レン坊ちゃんがカイの頭を小突く。

 笑いと本気が入り混じった空気が、またぐらぐらと揺れる。


 このまま全部、冗談に変えられてたまるか。

 胸の奥でくすぶる熱に、軽口が油を注ぐ。


「レン坊ちゃん。この場合、カイだけ殴ればいいか?」


 あたしは尾の先で地面をとん、と軽く叩きながら言った。

 半分は冗談、半分は本気。

 そのくらいがちょうどいいと、自分に言い聞かせるように。


「こいつはもう、こういう生き物だと思ってパクっと腹に納めちまえ。」

「ちゃうて、お偉いさんの中で窮屈やった反動やねん。」


 カイは両手組んでわざとらしく懇願する。

 その軽さが、余計にあたしの苛立ちに火をくべる。

 何が腹立つって、場を弁えて抑えることができるのを知っているからこそなのだ。

 あたしの決意がその程度だと軽んじられたような気になる。


「お前はイシュの民にしちゃ、怒りをよく見て来たと思う。でもな、こうやって調子を崩されて、思い通りに行かないときにまで怒りが湧くだなんて、観察だけじゃあ気付けなかったんじゃないか?」


 レン坊ちゃんの声が、少しだけ低くなる。

 噴水のざわめきの中で、その言葉だけがすっと耳に刺さった。


「せやせや。俺はそれを教えたろ~思てん。」


 すかさずカイが口を挟む。

 わざと調子を外すみたいな物言いだが、その一言で周囲の空気が少しだけ軽くなる。

 その中にあたしは入っちゃいない。


「メレナ、俺たちみたいなのはな、常に冷静じゃないといけない。目的を見失っちゃいけない。相手に流れを奪われてちゃダメなんだよ。」


 レン坊ちゃんは、今度はあたしだけを見る。

 仕事の心得を教える先輩みたいな口ぶりだった。

 おばちゃんが決して言葉にはしなかった教えが、まっすぐこちらに投げ込まれる。


「エエこと教えたる。橙を追ってみ。俺らじゃ行けへんとこも、メレナやったら行けるやろ。」


 カイが、いつもの調子のまま核心だけをぽんと落とす。

 紫露の率いし者たち。

 その気になれば、イシュの民でもなけりゃ、簡単に撒けるだろう。


 なんでだろう。

 レン坊ちゃんの言葉はスッと入って来る。

 だというのに、カイの言った通りに動くだろうと確信してしまったことが、無性に腹立たしいのだ。

 これが、主導権を握られる苛立ちか。


 あたしは尾を一度だけ強く地面に打ち付けた。

 むしゃくしゃを吐き出すように、そして、次に向かう先を自分の中で確かめるように。

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