摺り合わせ
「おばちゃん、帰ったよ。」
「おやまあ、そんなに汚れて。まずはきれいにしようかね。」
ここまで付いて来たのはカイのところの子たちだけ。
街の中まで付いて来た者の大半を占めていた。
あたしには真似できないが、ざぶんと噴水に入っていく。
「レンとカイならもうすぐ戻って来るさね。」
ここに来れば、カイが現れる。
お貴族様の屋敷に直接赴くなんざ、荷が重いってもんだ。
噂をすれば影である。
「おお、みんな無事やったんか。」
噴水に駆け寄ったカイが、叫ぶように話し掛ける。
みんな一斉にカイのもとへと集まりながら、身体を揺すって水を飛ばすことも忘れない。
現れた方を見ると、リルの屋敷に行った帰りなのだろう。
「メレナ、よく戻った。屋敷に顔出すなら今だぞ。」
リオナが戻っているのだろうか。
あたしはレンから詳しく聞き出す前に、リルの屋敷へと向かっていた。
◆
「メレナ、よく戻りました。やはりリルは戻らないのですね。」
エレガン辺境伯が門のところで出迎えてくれた。
というより、見送りのためのようだった。
知った顔が勢揃いしていたが、リオナやラヴィの姿はなかった。
「リオナと、……ラヴィは戻ってないんだね。」
ハピィが持って来た尻尾を思い出していた。
あたしたちが孤児院の跡地から遠ざかるとき、殿を務めた二人。
森の中からはどんな様子で戦ったかなんて、見えやしなかった。
「残念だがな。と、言ってもいいんだが、そう悲観するな。リオナとラヴィは生きているようだぞ。」
ドーラがそんなことを言う。
それは本当なのか、と言い掛けたが、続く言葉に顔をしかめた。
「無事だとは言えないけどね。ラヴィを国境まで乗せたという行商の者から報告があった。」
ファルス、運輸家の女当主だ。
やはり、たった二人で反乱軍を相手取るなどという無茶をして、無事なはずがないのだ。
「いきなり前に飛び込んで来た兎さんをね、撥ねちゃったって言うんだ。」
「は?兵にやられたんじゃないのか?」
ネロが軽い感じで言った情報で、全く状況が読めなくなった。
「外壁の外側の民衆は、戦意を喪失して深追いしなかったそうだ。」
軍務家のルイスだ。
逃亡旅団に残ったヴィクトリア母娘の所有者であり、娘たちの父親であるはずだ。
その一言だけ言い残すと、一人飛び出すように帰って行った。
「この度は、心よりお悔やみ申し上げます。本当にお辛かったことと思います。こんな言葉が慰めになるとは到底思いませんが、何かできることがあれば、いつでもおっしゃってください。」
水務家のカタリナという壮年女性だ。
深々と頭を下げ、あたしに対する選民思想なんて全く感じさせない振る舞いをする。
穀物家のカイと合わせて、この辺境伯領の四大貴族家の当主たちで、屋敷によく出入りする顔触れだ。
「残念ながら遺体が上がったという報告はありません。河口付近は海に沈む外壁部分の影響で、ただでさえ離岸流が発生しやすいというのに、大量に放水されましたから。」
丁寧に説明をしてくれるのは、オクパトス。
ドーラ、ネロと同じく、辺境伯領担当の本国特使だ。
次々と知らない情報があたしのメモに蓄積されていく。
「リルは、ハピィの先導で西へと逃げたよ。」
「西、ですか。」
「連れ戻せそうなのかい?こっちの状況は。」
反乱軍は戦意を喪失したという。
孤児院の跡地で見た光景とも符合する。
ドーラは腕を組み、短く笑った。
「連れ戻そうと思えば、俺が一人ででも迎えに行けるさ。」
「ですが、リルをここに戻すというのは、この辺境にもう一度、あの子を標として立たせるということです。鳥獣憐みの令も孤児院も、全部あの子ひとりの顔と名前に結び付けられる。」
エレガンは、ドーラの言葉を継いで、メレナをまっすぐ見た。
「メレナ嬢。今ここにリルが戻って来ちゃったら、鳥獣憐みの令も孤児院も、全部はしゃいだ聖女様のお戯れでございていう物語が、東の王都できれ~に出来上がるのさ。」
ネロは相変わらずの軽妙な口ぶりで唱える。
どこか冗談めいて聞こえるのに、否定しがたい説得力があった。
「全部流されちまった今、あの子ひとり無理矢理連れ戻してでも、もう二度とこんな真似はしませんって、失策として畳んじまった方が、お国は楽なんだよ。」
ドーラはそう言って、顔を伏せる。
「それだけはさせたくないのさ。」
ドーラは拳を握ったまま、床から視線を上げようとしなかった。
「そうそう、ドーラたちは親として。……僕はね、全部リルにおっ被せといて、僕なら何とでもできるなんて自惚れてた自分が許せないのさ。だから──僕もそれだけはさせない。」
笑っている形の口元のまま、目だけが笑っていなかった。
さっきまでの軽妙さをふっと消し去った言葉で、あたしの目をじっと見て告げた。
「ですから今は、あの子が西のどこかで息をついていられるうちに、こちらの片付けを終わらせるのです。」
エレガン辺境伯が今後の方針を語る。
二人の当主は、口を挟まなかった。
あたしがここに来る前に方針は固まっていたのだろう。
カイのみならず、レンまで招いていたあたり、おそらく、その推測はそう間違っちゃいない。
喉の奥まで出かかった言葉を、あたしは飲み込んだ。
あたしは何をすればいい。
まずは自分で見て、聞いて──足は……ないんだっけねぇ。
からかうようなおばちゃんの声が頭の中で響いた。
おばちゃんの元で色々考えて育った。
イシュの民で、怒りを知って、そして、ここで起きたことを一番よく見てきた一人だ。
手の中のメモ帳を軽く握り直す。まだ書き込む余白はいくらでもある。
「邪魔したね。」
あたしはそうだけ告げて、深く頭を下げた。
あたしのやることは、いくらでもある。
リルの残した水の音が、まだこの街に残っているうちに。




