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帰路

 あたしの半分は、ことさら寒さに弱い。

 生まれた時からついて回ってきたこの実感が、いつも以上の意味をもたらしていた。


 地面を擦る腹の下から、じわじわと冷えが上がってくる。

 石でも土でもない、乾きかけた草と、薄く霜の降りた土の感触。

 冬にはなりきらないくせに、風だけは木々の葉っぱを全部さらって行く季節だ。


 黄金の穀倉地はもう刈り取りが終わっている時期で、戻ればまた、短く切られた茎と、乾いた土の匂いを感じられることだろう。


 逃げる時は、リルとあたしをぐるりと囲むようにいくつもの獣人の姿があった。

 リルのぬくもりや周りの体温で、腹の下にある冷たさなんてほとんど気にならなかった。

 突然巻き付いたあの日、迷うことなく大枚を払ったリル。

 リルはあたしを拾った日のことを、ちゃんと思い出してくれていたのだ。


 細い槍を抱えて走るロンギヌスの姿もあった。

 先だけ金属で細く延ばした、人間兵がそこら中で振り回しているやつだ。

 そんなものを大事そうに抱えている理由なんて考えたくもなかったのに、少し冷えたのを思い出す。


 来た道を戻っている。

 あたしは一番前を這っている。

 風を真正面から受けるのは、今はあたしだ。

 耳に入るのは、自分の這う音と、後ろの少ない足音、それより少し大きい風の音くらいだ。


 一歩ごとに、腹のうろこが冷たくなっていく。

 頭と腕はまだ動くのに、尻尾の方からだんだん重くなる。

 身体の片側だけが別の生き物みたいに鈍っていく感覚には、さすがに苦笑いも出なかった。


 あたしを孤児院に連れて行ったぬくもりがリルだったってことに、突然思い至った。

 寒さで死ななかったのは、リルのおかげってわけだ。

 戻ると決める前に見当がついていたら、あたしはどうしたろうね。


 冷たさが突き付ける。

 木枯らしが吹き始める季節に、水で人を押し流す。

 それがどういうことか、あたしの身体は、頭より先に理解していた。


 ◆


 外壁が見えて来た。

 壁に大きな穴が開いており、そちらへ進む以上、目を背けることは難しい。

 出戻り組の息が荒くなるのが聞こえる。

 振り返ると体温が上がっているのが()て取れる。


「イシュ」それは原初の魔物

 愛を育み願いを唱える

「イシュの民」よ「人であれ」

 彼の地に向けて夜明けを祈ろう


 あたしは歌う。

 リルが歌い、紫露が人であれと鎮める歌だと評した歌を。

 怒れないから怒れるようになった今、大事なのは怒らないことだと言い聞かせるように。


 ◆


 森から孤児院の跡地に出た。


 反乱軍の恰好をした人間たちが、孤児院のみんなを流した小川に下りては水を汲み、石張りの運動場跡地に堆積した泥を掃除しているようだった。

 逃亡旅団の面々が、森の中から出られなくなり、しばらく眺めることになった。


「いったい何やってんだい?」

「う、うわっ。」


 あたしが話しかけた人間が、慌てて道具を取り落とした。


「ここが、どういう場所だかわかってるんだろうね。」


 状況は飲み込めたが、経緯がわからなかった。

 ラヴィから怒りと湧き上がる感情を紐付けてもらったとき、まだ目の前に人間はいなかった。

 これがそうか、と軽く受け止められた気がしていた。

 どうやらあの落ち着きは、その後すぐに、リルを助けるという目的ができたからだったらしい。


 怒れないあたしが怒りを知って、怒らないおばちゃんの場の納め方が役立つと思った。

 でも今は、外壁の街に戻るという目的を達成したところだ。

 そこで起こっている不可解な現象。

 あたしは、湧き上がる怒りを抑えることに必死だった。


「あたしゃ、イシュの民だからね。怒れないのさ。」


 嘘をついた。

 嘘になった、慣れ親しんだ言葉だった。

 おばちゃんの顔を思い出し、口をついて出たといった感じだった。


「す、すまな……いや、俺はこの言葉に逃げない。気の済むようにしてくれ。」


 今までにない反応だった。

 膝を付いて両手も地に付け、動かなくなる。

 それに気付いた周りの者たちも、同じように膝を付き始める。


「いったい何だってんだい。……まあいいさ。今のうちに通らせてもらうよ。」


 これ以上、何かを語りそうな雰囲気ではなかった。

 あたしは向きを変え、みんなを引き連れて孤児院の跡地を抜けた。

 みんなの呼吸は明らかに乱れていて、それでも歌うことをやめなかった。

 反乱軍どもは、その間ずっと動かなかった。


 ◆


「そうか、戻って来たんだね。」


 出戻り組も更に人数を減らしていた。

 外縁の森に残った者も多かったのだ。

 奴隷候補の子で、街まで戻る者はいない。

 外縁の森に家族がいない者は、リルと共にガン・イシュに向かった。


 話しかけて来たのは、狐の獣人だった。


「そういうあんたは誰だい?」

「僕は、オウルさ。橙とか、近衛軍とか、呼ばれてるんだけど、知らないかな。」


 知っていた。

 こいつがそうか。


「こんなところで何やってんだい?」

「上の穴を、塞ぐのさ。あのままじゃ、かわいそうだろ?」


 芝居掛かった動きで、憐れみを表現しながら、穴を指し示す。

 普通に指させばいいのに。

 あたしの中でイラッと何かが湧き上がる。

 困ったもんだね、怒りってのはこんなときにも湧くものなのかい。


「みんなを中に通してやりたいんだけどね。」

「ああ、見た顔もいるね。カイってヤツんとこの、子たちだね。僕は、門番じゃないし、通るといいさ。」


 あたしは、みんなを無言で先導し、外壁の中へと進む。

 これが、井戸端会議で一部熱狂的なまでに人気を博していた橙ってヤツか。


「あたしには全く理解できないね。」

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