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あふれ出す

 外壁の上層は、ひとつの巨大な吹き抜けだった。

 見上げた先に、光と水が混ざり合う世界が広がっていた。

 壁の高みに並ぶアーチ状の梁が、透き通るような青い光を反射している。

 そして中央、天井近くの空間にそれは浮かんでいた。


 正八面体の結晶。

 巨大な蛍石のようにも見えるが、その青の深さはどこか異質な存在感を放つ。

 水そのものが光っているかのように揺らめき、輪郭はあやふやで、見る角度によって形がわずかに歪む。

 結晶の下端から滝のように水が流れ落ち、地鳴りのような轟音を立てながら、段差をいくつも越えて水路へと吸い込まれていった。


 私はただ立ち尽くした。

 風車の動力でも、地下水の圧でもない。

 この街の水は、空中から生まれている。


「……うそ。」

 声にならない息が漏れた。


 空気が濃い。呼吸をするたび、肺の奥まで湿気が入り込む。

 理屈ではなく、身体が異常を訴えていた。

 日本のどんな技術でも説明できない。

 考えるよりも先に、心が拒絶していた。


 それでも、目は逸らせなかった。


 石の光が滲んで見えたのは、最初、単なる錯覚だと思った。

 けれど頬を伝う感触でようやく、それが涙だと気づく。

 ぽたり、ぽたり。

 心に波紋が、目の前の滝壺と重なって、ひとつになったような錯覚。


「……ほんとうに、異世界なんだ……」


 やっとの思いでそう呟いた。

 認めた瞬間、胸の奥で何かが崩れ落ちた。

 残してきた日常、声、匂い、約束。

 全部、手の届かないところにある。


 そして代わりに、目の前のこの世界が、否応なく現実になった。

 その確かさが、痛いほど眩しかった。


 滝の音はなおも絶え間なく響き続けている。

 泣き声をも飲み込むような、底の知れない水の唄。

 その轟きの中で、私はただ立ち尽くしていた。

 涙の味さえ、もう分からなかった。


 どれほどの時間が経ったのか、分からなかった。

 滝の音は変わらず響き続け、空中の結晶は変わらず光を放っている。

 ただ、自分の中の何かだけが、確実に変わっていた。


 もう、帰れない。

 その実感が、静かに喉の奥に落ちていった。


 口の中が乾いて、喉の奥がひどく痛んだ。

 けれど、水の音を聞きながら、その痛みさえも現実の証のように感じられた。


「お母さん……」

 小さく呟くと、言葉が音になって空気に溶けた。

 それだけで胸の奥がつんと熱くなる。


「ごめんね……」

「おばあちゃんも……」

 そして、

「……みっちゃん。」


 名前を口にした瞬間、胸の奥がひときわ強く締めつけられた。

 あのときのほんのささいなすれ違い。

 うやむやにしたまま気まずい日が過ぎていった。

 次の休みに、こっちから遊びに誘おう――そう思っていた。

 そのまま、ここに来てしまった。


 言葉が滲み、声が崩れていく。

 涙はもう流れきったはずなのに、呼吸のたびに喉が震えた。


 滝壺の向こうで、光がゆらいでいる。

 結晶の放つ青い光が水に屈折し、壁のひとつひとつを柔らかく照らしていた。

 まるで、慰めるように。

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