譲り合いこそ喧嘩なり
凡そイシュの民を戦に用いるは、人間を用いるに似て非なるものなり。
命ずるところ素直に従うが、心に怨み少なく、敵味方を一義に分かたず。
ゆえに人間の常道そのままに命ずれば、しばしば妙なる結果を招く。
ここに、その愚を記し、後学の笑い草となしつつ、戒めともなさんと欲す。
◆壱の条 前線を維持せしむる事
ある将あり。
イシュの民を得たばかりにて、人間兵と同じく扱えると思い込み、試みに命ず。
「前線を維持せよ。」
人間兵にこれを命ずれば、前線とは即ち刃の触れ合う場所なり。
互いに一歩も退かず、槍と盾とを打ち合わせ、血を流してようやく維持と見なす。
ところがイシュの民にこれを命ずると、様子が異なる。
双方とも命に素直、足並み揃えて進み行き、やがて互いの鼻先が触れようかというところまで来て、ぴたりと止まる。
槍も振るわず、盾も打たず、ただにっこりと見つめ合い、
「ここが前線でありましょうな。」
「ええ、ここが前線でございましょう。」
と心得たる様子。
前線は確かに維持されている。
ただし、武力衝突だけが綺麗に抜け落ちた。
【教え】
イシュの民に「維持せよ」と命ずるときは、「保て」とは言えても、「戦え」とは言えておらぬものと知るべし。
◆弐の条 前線を上げる事
また、別の将あり。
前線を動かしたく、号令をこう改める。
「前線を上げよ。」
人間兵なれば、これ、敵を押し退けながら前に進め、の意である。
ゆえに衝突をもって前線は押し上がる。
盾を合わせ槍を押し出し、ぶつかり合いつつじりじりと前に出る。
イシュの民は、素直である。
前線を上げよと言われたならば、「前線の線そのものを、前へ運べばよい」と解する。
自軍も敵軍も、同じように命じられたとき、互いに気を利かせて道を譲る。
結果どうなりしか。
互いにぶつかるべき位置にて、彼らは軽やかに身をずらし合い、するりとすり抜けた。
押し合いではなく、すれ違いである。
槍も振るわず、盾も叩かず、ただ「線」がするりと内側へ移動したのである。
気性の穏やかなるイシュの民は、これを喧嘩とも勝利とも思わぬ。
ただ、命じられた場所に、より忠実に近付いただけである。
世に伝わる噂に曰く、
「イシュの民にとっては、譲り合いこそ喧嘩なり。」
この戦を見れば、その噂も、あながち虚言にあらず。
【教え】
前線を上げよと命ずるときは、敵を退けよとまで言葉を尽くすべし。
さもなくば、線だけが進み、人間は進むこと能わず。
◆参の条 イシュの民に武力衝突を命ずること難し
前線を維持せよと命じて誰も殴らず、
前線を上げよと命じて線ばかりが動いた例は、すでに前条に記した。
ある将、これを愚と見て、言葉を尽くすことにした。
「前線を上げよ。敵を退けよ。」
人間兵においては、この二つは一つの働きである。
敵を退けるとは、敵を押し、刃を交え、武力衝突をもって前線を押し上げることを指す。
イシュの民は、まず命を正しく聞き分ける。
前線を上げよ。
敵を退けよ。
退くとは、後ろ向きに下がること。
そう理解したうえで、両軍のイシュの民は、それぞれ前に進み、やはり、ぶつかるべき位置まではきっちりと歩み寄った。
ここまでは、前と変わらぬ。
ただし今回は、わざわざ言葉を尽くしたがゆえに、その場所で、互いにこう言い合うことになった。
「ここから退いてほしい。」
「そちらこそ、退いてほしい。」
イシュの民は素直である。
退けと命じられ、退いてほしいと頼まれたならば、退くとは、後ろ向きに下がることと、てらわずに解する。
そこで彼らは、くるりと向きを変えた。
敵に背中を向けて、一歩、また一歩と歩き出す。
前線は、上がった。
敵陣の中へ、するすると入り込んでいく。
ただし、その前線を形づくるイシュの民は、みな一様に、敵に背中を向けていた。
互いの陣の間には、相変わらず衝突はない。
前線だけが内側へ進み、争うことなく、静かに背中向きに進んでいく。
この有様を見て、将は嘆いて曰く。
「イシュの民に武力衝突を命ずることの、なんと難しきことか。」
【教え】
退け、押せ、上げよと、いかに言葉を重ねようとも、イシュの民はまず「歩き方」を正しく守る。
前線を上げんと欲して彼らを前に立てれば、前線は上がり、イシュの民は退き、戦のみ始まらぬ。
武力衝突を望む将は、イシュの民にその役を命ずるなかれ。
どうしても命ずるならば、まず並べ方と、言葉の並べ方を改むべし。




