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教官の餞別

 出立の日。

 門へ向かう道は、何度も行き来した訓練場への道と同じ石畳だったのに、歩くたびに足の裏の感触が違って感じられた。


 門の影のところに、人の気配がある。

 見なくても分かった。教官だ。


 振り返らずに通り過ぎようとして、あたしは耳だけそちらに向ける。

 石壁にもたれかかって腕を組む衣擦れの音が、風に紛れて聞こえてきた。


「……怒りを道具にする怖さ、なんてな。」


 誰にも聞かせるつもりのない、低い独り言。

 それでも、あたしの耳には、はっきり届いてしまう。

 石畳に落ちる靴音が、少しだけ止まる。

 教官が目を閉じている姿が、見なくても目に浮かんだ。


「本当は、とっくに知ってなきゃいけなかったのは、こっちの方だ。」


 知ってるはずだろ。


「一人くらい、自分の怒り方を自分で選べる奴を、戦場の外に逃がしたって、罰は当たらんさ。」


 見たら分かるだろ。


「お前みたいな奴まで矢に変えてたら、いよいよ帝国は底が抜ける。」


 あたしが兎だってこと。


「聞こえてるよ!教官!」


 大声で、後ろを振り向いて叫んだ。


「怒りの使い方、ちゃんと選べる兎になってくるからさ!」


 しんみりしっぱなしの別れより、あたしらしいや。



 ラヴィの怪我も、長旅に耐えられるくらいには癒えた。

 荷物は軽く、足取りも意外と軽かった。


 街道が城壁の影から外れ、開けた平野に出たところで、背後から荒い息遣いが聞こえた。


「おい、待て。待ってくれよ。」


 振り返ると、埃まみれのマント姿がひとつ、こちらへ駆けてくる。

 ラヴィが耳をぴんと立てた。

 近づいてきた少女は、腰を折り、膝に手をついて息を整えた。


「見ろ。あんたの元上官からの命令書だ。追跡命令だ。」


 胸元から取り出した紙を、高々と掲げて見せる。

 帝国の印章が、赤く押されていた。


「で、あなたがその追跡者ってことかしら。ジャンヌ。」


 私が問うと、少女はにやりと歯を見せた。


「そうだ。だからどこまでも付いていってやる。」

「捕まえないでいいのかよ。」


 ラヴィが目を細める。

 問いは半分冗談めかしていたが、半分は本気だ。


「さあね。」


 ジャンヌは紙をひらひら振って見せると、あっさり言った。


「あたしは字が読めねぇからさ。ただ行先を教えてくれた詰所のおっさんは、追跡しろとしか言わなかった。」

「ジャンヌと教官の関係が分かんないんだけど。」


 ラヴィが首をかしげる。


「あたしは勇者様だからね。」


 ジャンヌは肩をすくめた。


「まあ、勇者って名の監視さ。その監視から逃がしてくれたってのは、あたしでも分かる。」


 教官の顔が脳裏をよぎる。

 門の陰で呟いたあの言葉を、ラヴィもきっと思い出している。


「ふうん。じゃあ別に付いて来なくてもいいんじゃん。」


 ラヴィがあっけらかんと言う。


「てか、あたし追われてんの?なんで?」

「なるほど、ようやく繋がったわ。」


 私は小さく息を吐いた。


「私たちのことが、魔王誕生のきっかけだったのよ。」


 帝都で聞いたあの神話。

 王国の聖女が堕落し、ここで魔王となった——などという話。


「あー。帝国のやりそうなことだね。」


 ラヴィは肩を竦める。


「は?何のことだよ。意味がわかんねーんだけど。」


 ジャンヌが不満そうに眉をひそめる。


「あなたは分からなくてもいいわ。」


 あまりにも理不尽な話だからこそ、詳しく説明する気になれなかった。


「そうかよ。」


 ジャンヌはふいと顔を逸らし、それでも一歩こちらに近づいた。


「でもあたしはあんたらに付いて行くからな。あたしはあんたらを描くって決めたんだ。」


 その目は、妙に真っ直ぐだった。


「だってさ。どうする、リオナ。」


 ラヴィがこちらを見る。

 耳は面倒くさそうに揺れているが、目は少し楽しそうだ。


「治るまでと思ってたけど、ずっとこの速さになるわね。」


 ジャンヌを加えた三人旅。

 足並みも、きっと会話も騒がしくなるに違いない。


「まあ、急ぐ旅でもないし、いいか。」


 ラヴィがあっさり言う。


「たった今、急ぐ理由ができたかもしれないのよ。」


 帝国が作った魔王の神話。

 それが、ガン・イシュを穿つ楔になろうとしている。


「まあね。」


 ラヴィは空を見上げて笑った。


「じゃあ辺境伯領に直接向かうことにしよっか。」


 帝都から伸びる街道は、いくつもの分かれ道を持っている。

 その中のひとつ、元来たリオナの故郷へと続く道へと、三人分の影がゆっくりと向きを変えた。

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